ATM - 2005年10月13日(木) 先日、銀行に行った時のことである。 その日、その時刻、ATMはとても混んでいた。長蛇の列である。 私の前に並ぶのは平均年齢72歳ぐらいとおぼしき老夫婦だった。 待つこと十数分、ATMが立て続けに二台空き、ようやく老夫婦と 私の番が回ってきた。 さっそくカードを入れ、暗証番号を入れたそのとき、 隣のATMにいた老夫婦が私に声をかけてきた。 「すみません・・あの・・やり方が・・」 彼らの声は不安に満ちていた。 もちろん、私はお手伝するべく隣に行こうとした。 だが、その瞬間、頭に妙な不安がよぎった。 「待て待て。自分は今、カードを差込んだ状態でここを離れようとしている。 おまけに暗証番号も入力済みだ。 最近、ATMで他人にいきなり声をかけられ、油断している隙に 別の仲間の一人が金を盗むという、窃盗団の話を聞くではないか。 もし、このおばあさんたちに仲間がもう一人いて、 私が彼らに構っている隙に、そいつが私の口座からお金を引き出そうとも 限らない。 そういえば、昔、ミラノに行ったとき、そんな手口で同僚が財布を 抜き取られそうになったではないか。未遂に終わったけど。」と。 私は良心とその想像の狭間で戸惑うばかりだった。 あんまり戸惑っていたので、結局、彼らは近くに立っていた係りの 人に助けを求め直し、私もバツの悪い感じで、用事を済ませたのだが、 帰り道、「なんか申し訳なかったな〜」と反省しきりだった。 ちなみに・・・ その時の私のカードの残高といったら・・・ たったの588円。 おしまい。 ... 秋便り。 - 2005年10月12日(水) 東京に戻って、一ヶ月が経った。 先週、実家の母から荷物が届いた。 段ボールを開けてみると、中には新潟産の大ぶりな梨やメロン。 故郷からの秋便りだ。 荷物の中には、詩のコピーが入っていた。 詩の好きな、元司書らしい母の計らいである。 それは、高田敏子という詩人のもの。 一部載せてみる。 「 忘れもの 」 高田敏子 入道雲にのって 夏休みは行ってしまった 「サヨナラ」のかわりに すばらしい夕立をふりまいて (中略) もう一度もどってこないかな 忘れ物をとりに 迷い子のセミ さびしそうな麦わら帽子 それから ぼくの耳に くっついて離れない波の音 なんだかジーンときた。 夏休みが終わり、娘達が帰ってしまった後の 母の気持のような気がした。 詩の他には手紙もあった。いつものような走り書きの母の手紙。 「あなたの好きな萩の花が満開を終え」 手紙はそんな書き出しで始まっていた。 私は涙が出そうだった。 だって、その後の言葉は 「(満開を終え)あなたもいなくなってしまって寂しいです」 または 「(満開を終え)あなたもいなくなり、家の中がひっそりとしています」 と続くに違いないのだから。 だが、次の瞬間、目に飛び込んできたのは、 「(満開を終え)すっかり枝を撤去してしまいまいました」 切っちゃったのかよ。 おしまい。 ... 美談。 - 2005年10月11日(火) 玄関の前に立ち、向かって右側に 荷物置き場になっている部屋の窓がある。 出窓というほどではないのだが、その部分は少し出っ張って いて、下に鉢が置けるほどの空間がある。 そこには弟が残していった15センチ四方の箱が3つ、 ついこの前まで縦に重ねられて置いてあった。 ところが、ある日、外から帰ってきて鍵を開けながら、 なんとなしに目をやったら、重ねてあるハズの箱が崩れて、 無造作に地面に転がっていた。 通る人の足にでもあたって、崩れたのだろうか? いやいや、外壁にピッタリとくっけて重ねてあったから、 簡単に人に当たるとは思えない。 旦那は、たぶん、隣のSさんの猫たちのせいだと言う。 確かに、通路は猫たちに陣取られている。そこかしこにうずくまっている。 彼らは、日本庭園に配置された石のようだ。 今度は崩されないように、平らに3つ並べて置いておいた。 だが最近、その箱がまた元のように、縦3つに重ねてあることが発覚した。 「あれ〜?おまえ重ねた?」と旦那が聞くが、私はそんなことはしていない。 もちろん旦那も。不思議だった。 あれから数日経つ。 今、我が家ではその出来事が、 「崩したことを申し訳ないと思った猫たちが、肉球を駆使しながら、 おぼつかない様子で力を合わせ、また箱を重ねくれたのだ」という 動物と人間との「ふれあい物語」になっている。 おしまい。 ...
|
|