written by 田村 MAILHOME
#歯医者
2004年08月07日(土)

しばらく更新を怠ってしまった。
申し訳ない。

歯医者へ行ってきた。
もう半年振りぐらいなのだが、いつ行っても歯医者は嫌だ。単なる検診と言えど、嫌なものは嫌なのだ。絶対に虫歯が見つかる。絶対だ。ほーら見つかった。何がいけなかったのか、ここ半年間の所業を省みる。が、思い出せない。そもそも歯に関する所業を思い出せという方が無茶なのだ。

ちなみにこの歯科にはかれこれ20ン年通っている。ずっと同じ歯科なのだ。ある意味私の成長を近く、というには微妙な距離だが、ちょっと近くから見守っていてくれた人、人と言うか歯科だが、人なのだ。そもそも見守ってくれたのかも分からないが。この歯科に行くと、いつも何となく微妙な、昔を思い出したような気持ちになる。小さい頃から、ずっとこの建物のレイアウトは変わっていない。そして空気も。

なので嫌な思い出がいっぱいなのだ。削られたこと、麻酔を打たれたこと、引っこ抜かれたこと、治療中に口をあけているのがつらくなり、油断して力を抜いたところえらい目にあったこと。世に生を受けてから味わった苦痛がここには満ち満ちているのだ。ノスタルジックな雰囲気どころかトラウマに近い。歯医者なんて居なくなってしまえと何度思ったことか。今日だって出かける直前までサボってしまおうかと思っていた。嫌だ嫌だ。

半年前に来た時には、そう言えば受付にちょっと綺麗なおねいさんがいた。まだいるであろうかと覗いたところ、まだ居たようだ、久し振りに見る顔がそこにあった。さっきまでの暗い気持ちが若干晴れ、顔を見るために来ても悪くないかとも思った。それはストーカーに近い行為なのでそれは止めておこう。何かの拍子に目が合ってしまった。慌てて逸らすが気付かれてしまったか。意識をすると余計に気恥ずかしい。参ったな。思い切って清算の時にでも声をかけてみようか。ねえ、君。

この辺りで勘弁していただきたい。

さて、いよいよ名前も呼ばれ、診察台で横になる。付いてくれた看護師(婦?)は、きっと私よりも若いであろうが、てきぱきと診察をこなしていく。虫歯の有無を尋ねたところ、以前詰めたところが変色し、なりかけているところがあるとのこと。早期治療すれば問題無いようで、まずは一安心。

看護師が診察した結果を歯科医の先生が受け、いよいよ治療が始まった。始まったが、再度口内を先生が診たところ、なにやら様子がおかしい。場所が違うとか何とか言ってるではないか。どうも先程の看護師、虫歯の箇所を間違えていたらしい。もしや、と懸念を抱きつつも、しかし削りだけで済むということなのでそれほど気にかけていなかったのだが、治療が始まったところで不安は的中してしまった。

先生が削る。看護師が溜まった唾液をノズルで除去する。・・・しない。先生が削る。看護師が除去す・・・しない。先生が削る。看護師が除去しない。先生が削る。看護師が除去しない。しない??

案の定むせる。歯医者に通って、初めて「苦しかったら手を上げてくださいね」を実践した。本当に苦しかったのだ。


先「(看護師に向かって)ほら、ちゃんと除去しないと苦しくなっちゃうでしょ!」

看「あ、は、はい!」


先生、怒るのは分かるが苛々するのは止めていただきたい。こっちが不安になる。

あの、新人さんですか?と尋ねたところ、案の定、看護師は新人であった。どうも先程の虫歯の位置を間違えたところで動揺したらしく、その後の口内の治療から先生のアシスト、最後の締めまで、終始ドタバタしっぱなしで、文字通り漫画のようであった。最初の落ち着きはどこへ行ってしまったのか。見かねて、気にしないでいいから頑張ってくださいと声をかけたところ、かえって恐縮させてしまったようだ。そんなつもりではなかったのだが。

どうにか無事治療は終わったが、歯の治療であれほど緊張したのは今回が初めてだった。妙に力が入ってしまい、顎がわななく始末。あと一回治療を受けねばならないようだが、またあの看護師に当たったらどうしようか。・・・どうしよう?

受付のおねえさんの診察だったらいくらでも受khgzy;2f。



#さようなら
2004年08月03日(火)

イエモン解散。
今変換したら家もん海産、もう一度変換し直したらイエモン海産と出た。本当に死んでしまえよ、この××××め。

音楽に興味を持ち始めた時に聞いた、本当に本当に、大きな影響を受けたバンドだった。音楽好きな人には、そんなアーティストがそれぞれ居るだろう。私にとってはそれがイエモンだった。そう思う。

聞いたきっかけは取るに足らないものだ。当時好きだった人がよく聞いていた、ただそれだけ。しかしいつしかそんなきっかけは抜きにして、ロックンロールの魅力へ引きずり込まれていった。

それからこれまでずっと聞いてきた。名盤sicksで狂喜し、パンチドランカーでどこへ行くのかと心配したり、パールで完全復活したかと喜ばせたかと思うとその後の8でもう何がなんだかぐでぐでに分からなくなってたり。いやパールで復活しただなんて思ってないのだけど。心配は一層深まったのだけど。その結果が8で、その後の活動休止だったのだけど。

どのバンドより人間臭く、愛すべきバンドだったと思う。休止したところで、今は休んでいるだけ、きっと戻ってくる。私はそう思っていた。ファンもそう思ってただろうし、そして同時に危惧もしていただろう。このまま戻って来ないんじゃないか、と。

4年も、4年も待たせておいて解散かよ。あんまりじゃないか、吉井ロビンソン。ああ、皆ソロ活動も初めて、そのうちまた充電したところでイエモン復活かあ?と思っていたのに。何故この2000年初頭のミュージックシーンに彼らが居ないのか、本当に残念だった。2000年になっても活躍できるだけの力量を、彼らは持っていたはずだった。それなのに。

ただでさえ今日は他に色々考えるところがあったんだ。
どうにか出来ないか無い知恵絞って珍しく考えてみたり、友達に救われたり、まとまらないまま頭捻りながらおてまみ書いてみたりして、やれやれ寝ようかと思っていたところに、絶妙なタイミングでこのニュースだ。明日だって早いんだ。狙ってたのか。

公式の発表を見た。
仕方ない。延命させ続けることがどれだけ苦しいかというのも分かる。オルゴールを聞いて、本当に吐きそうになったのだろう。最後に握手で別れることが出来たってだけでも、物凄く良いことじゃないか。良いことだと思う。

そんなことは分かっている。でも、すっかり胸に穴があいてしまった。

ブランキー、ミッシェル、ナンバーガール、イエモン。
ずっと続くものじゃない、死んでしまったわけでもない、ソロで活動はいくらでも見れる。ああ、分かっているとも。

とは言え、寂しいじゃないか。
その時代の、その瞬間の彼らを、そして彼らのフィルタを通した世の中を、もう見ることが出来ないなんて。


僕が犯されたロックンロールに希望なんてないよ
あるのは気休めみたいな興奮だけ それだけさ


「人生の終わり」のこのフレーズが、たまらなく好きだった。



#続続
2004年08月02日(月)

じいさんが入院する。


続くなあ、こういうのって。
最近どうも運勢はよろしくないらしい。
やれやれだ。




じいさんに同行した母が帰ってきた。どうだった、と聞いてみる。



「入院してきたよ。集中治療室に・・・・・・」



・・・そんなに酷いのか。




「部屋がそこしか空いてなくて」




おいっ。おーいっ。
どこぞのホテルじゃないんだから、そんなことってあるか。


あるらしい。おじいは2泊3日の旅に出た。ともあれ、安心した。本当にやばいと思ってたんだ、こっちは。



#泉オブトリビア
2004年07月30日(金)

今日の(何の役にも立たない)トリビア:







会社のウォシュレットは











































隣りの個室と、連動している。

('A`)ゲェー('A`)ゲェー('A`)ゲェー('A`)ゲェー('A`)ゲェー('A`)ゲェー(6ゲェー)



結論:
隣りで使われると、有無を言わさずこちらも強制ウォシュレットとなることが判明した。



打開策:
助けて、渡辺満理奈。




#送別会
2004年07月29日(木)

会社で同じ部の同期K木が、今日で転勤である。
ので、送別会であった。
焼き肉だった。
皆、肉を焼くのに必死で、誰一人として偉い人にお酌しに行ってなかった気がする。
多分気のせいだ。
大騒ぎするでもなく、盛り下がるでもなく、適度にまったりだった。
飲み会と言うより、どちらかと言えば食事会という表現の方が適切だった。
久し振りに食べたタン塩はうまかった。
肉が良かったのかもしれない。
目の前に居たおっさんは「俺の焼きが良いんだ!」と言っていた。
きっとそうなのだろう。
おっさんは、若い私たちに向かって色々と良いことを言っていた。
「嫁さんには感謝しろ」「でも言葉に出すな」「態度や行動で示さなくちゃ意味がない」
ああ成る程、そうかもしれない。
でもおっさん、ちょっと酔い過ぎだ。

K木、泣いてたな。
色々思うところあっての涙だろう、しかし案外涙脆い。
折角同じ部署になって、組んで仕事をするようになったのに残念だが、仕方ない。
頑張れよ。




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