ミドルエイジのビジネスマン
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自分で小さな株式会社を作って、代表取締役に就任した。
設立するまで、色々スッタモンダもあったが、その道の専門家たちと新しい出会いがあり、友人や後輩にアドバイスを受けたりして、これまでとはまた違う世界に入った。一言で言うと、漫画「ナニワ金融道」の舞台に足を踏み入れた感じだ。
これからも、それが面白いな、楽しいな、で行きたい。
2012年01月14日(土) |
ドメスティックバイオレンス野郎の真心 |
長渕剛は、ずっと昔にドメスティックバイオレンスで離婚したことくらいしか知らない。それに、結婚式の乾杯の歌でも有名だが、思ったままに行動し、思ったように生きる自分勝手なナルシスト歌手と見ていた。
2011年12月末の紅白歌合戦で、「ひとつ」という歌を歌った。どんなに探しても見つからない津波で亡くなった人に、いくら考えても分からないから、ひとつになって生きるのだという歌だ。石巻の暗い小学校グラウンドから子供達へ語りかけ、白いライトアップの中で熱唱した。
カッコよすぎて胡散臭いが、子供のために活動し、救援する自衛隊にも応援した。東日本大震災の後、果敢に行動し、共感を呼んだ者として数えられることだろう。
官公庁や多くの会社が仕事納めの日。
夕方、下町のホルモン焼きに屋に足を向け、「梅ワリ」を一杯。かつて、スーツ姿では入りにくかったその店も、三十代くらいの女の人が一人で座っていたり、若い男が友人にホルモン焼きのウンチクを語りながら値の張るビールを飲むようになった。その後、商店街で安いうどんを食べていると、店のテレビが詩人金子みすずの生涯を紹介していた。地震のときに「こだまでしょうか」と何度も聞いた詩の作者だ。現代の人かと思っていたら、明治生まれだそうだ。しかも、苦労の末に若くして亡くなっている。東日本大震災の記憶と繫がって、なんだか辛いなあ。
駅からフラフラと歩いていると、三日月がもう傾き始めていた。天頂には大きな木星、雲ひとつない。夜間飛行の旅客機が上空を飛んでいく。まだ上がり切っていないのか胴体にオレンジ色の窓が一列に並んでいるのが見える。どこか南の国に飛んで行くのだろうか。ひとつの窓にひとつの家族の幸せが輝いて、幸せが並んでいるように見えた。
こだまでしょうか、と問いかけていた境遇と飛行機でお正月にリゾートに向かう人たちとが共存する奇妙な時代の年末だ。
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