ミドルエイジのビジネスマン
DiaryINDEX|past|will
2012年04月01日(日) |
バンド・オブ・ブラザーズ |
利用者第一号になるかもしれないとケアマネジャーから連絡のあった方の条件は、案の定、厳しいものだった。先方はただ送り先に困っているだけかもしれないが、そうだとすれば私達は天に試されている。
隙があれば突撃し、敵わぬときは退却する。レンタルDVDで観たバンド・オブ・ブラザーズのように重戦車の機甲師団に対してライフルだけでも立ち向かうのだ。それを可能にするのはチームの結束力しかない。頼むぜ兄弟、逃げるなヤングボーイ。
思うに、小さなデイサービスが成り立つかどうかは、結局需給バランス次第なのだが、その中で生き残るためには、私達の存在を知ってもらい、期待に応え、その期待を上回る成果を出して信頼を勝ち取るしかない。スタートはゼロからだ。
大丈夫ミスター、私達が救い出します。さあ兄弟、列を組んで進もうぜ、担架は持ったか。
プラモデルの部品でもあるまいに、施設長からパートタイマーまで、2週間くらいの間に揃って来てくれるなどと、ノー天気なことを一体誰が考えたのだろうか。指示されたようにネットに転職広告を出し、ハローワークにも行き、新聞の折込も発注した。そして、家具もない寒い部屋でキャンプ用の椅子に座り、全然効かないファンヒーターに両手をかざしながらひたすら待った。それぞれの役職には公的な資格が必要とされ、それぞれの応募者には何物にも代え難い自らの人生がかかっている。
ある人は大型施設の仕事を投げ打って、ある人は同時期募集のもっときれいな施設と比較した上で、またある人は子育てとの両立を考えて。ある若者は初めての社会人生活をこんな小さな職場で始めるのも面白いと。こうしてみんな集まってくれた。とりわけ感謝しているのは、その資格に見合う報酬が払えないと、一度はお断りしたにもかかわらず、その後こちらが困って送った泣きのメールに応えて参画してくれることになった方に対してだ。
タイムリミットまであと1週間、その人が来てくれなければ、有資格者が充足できず、最も短期間であっても開設が1ヶ月遅れるところだった。全員のひと月分の給与を支払った挙句、何も動けないばかりではなく、こんな脆弱な組織に参加してあげようとと思ったのに、やはりスケジュールどおりの開設さえできないのかと落胆させ、場合によってはチームが空中分解しても不思議ではないところまで追い詰められた。
奇跡的に滑り込みセーフとなり、スケジュールに沿った形で開設できることとなった。かねてから、自分は人との巡り会いにツキがあるとは思っていたが、こうして集まった方々の顔をひとり一人思い浮かべると、奇跡の連続だったとしか思えない。
採用している期間を通じて、こちらサイドから見ても浮き沈みがあり、もし双方のタイミングが合っていれば一緒に働けたはずなのにと思う方もいたし、当方が「決めた」と決断しても、のらりくらりと他の会社と比べ続ける猛者もいた。いい年をした紳士のはずなのに、面談する日を2回も変更させて、結局約束した日に現れない人もいた。いやいや、人のことばかり責められない。立派な人を失うことを惜しみ、一日また一日と返事を遅らせてしまったのは自分の方だった。申し訳ない。
そういう浮き沈みの波や偶然の出来事を乗り越えて、ようやく集うことのできた人たちと、和気藹々(あいあい)としたチームを作ることができたなら、なんと素晴らしいことだろう。
3月14日、デイサービスの指定申請が県に受理された。これで4月開業に向けて大きく前進した。
これまで2ヶ月間、ほとんど休みの日もなく全ての時間とエネルギーを開業準備に費やしてきた。目の前の懸案事項を乗り越えることだけに夢中で集中せざるを得なかったのだったが、3月14日という日を境に、気がついて見ると「こちら側の人」になっていた。こちら側の人というのは、自ら助けなければ、どんなにカッコいい事を言っていても自分の生活も成り立たない人のことだ。
そんなことは始める前から分かっていたつもりだったが、結局のところ深く突き詰めて考えた訳ではなく、実感を伴っていなかった。昼間の実習も夜間勤務もやったものの、どこか、介護職員という役割を演じているような、現実離れした虚構の世界にいるような感覚にとらわれていた。 4月からは、それが自分の生活の大部分を占めることになる。しかも、利用者となるおじいちゃんやおばあちゃんが来てくれての話だ。
重ねて言おう、4月1日から「人生で最も輝いた日々がその人の本当の姿だ」という言葉を胸に新たに始めた仕事をすることになる。
|