ミドルエイジのビジネスマン
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2012年04月22日(日) |
シャチョー、どうするんですか! |
デイサービスの下見や具体的な問合せが増えてきた。しかも、1日に何件も重なったりする。経験則上、地道な営業活動が臨界点に達しようとしているときの現象だ。
自分が外出している間にケアマネジャーさんが見学に来られた。ちょっとした条件(こちらにとっては結構なハードル)があったらしく、夕方のミーティングで対応方法について揉めた。利用者の方は迎えたいが、できないことはできない。チームメンバーの思いは同じだ。ましてや、直接話をしている人にとってはあと一歩と感じられる。相談しているうちにヒートアップしたらしく、「シャチョー、どうするんですか!」と責められた。どうでもいいけど、その「シャチョー!」という呼び方やめて貰えませんか。
その場で、指導とは直接関係のない、相談しやすい本部の人に電話して話してみた。その段階でノーと言われれば、仕方ないという気持ちであったが、色々教えてもらうことができた。ただ、やはり直接の担当者に聞いてみたらと言う。改めて電話したところ、直接の担当としては、こちらで考えて最大限できることを、そのまま提案したらどうかとのことだったので、直ちにケアマネさんに回答した。
我々のアットベストは決して利用者にとってのベストではない。ここまで頑張っても、他の事業所に敗退するだろうと考えていた。すると、利用を検討している方のご家族が別の日にケアマネさんに連れられて見学に来た。話の内容からすると他所も見ているようだが、それでもこれでイーブンまで切り返した訳だ。結果は、後日改めてということになった。
どんな仕事にもあるだろう、これを飲めば仕事がもらえるという厳しい条件、う〜ん、ま、一言で言えば中小企業の悲哀そのものだ。 「あら、こんなご近所に小さなかわいいデイサービスができたなんて、私たち幸せね。早速申し込みましょ」なんて時代は、とっくに過ぎ去っている。
チームの諸君、ギリギリのディスカッションを通して自分の器も見えたんじゃないか。「利用者は欲しいけど、それはできない。しかも数時間以内に回答しなくては」という追い詰められた状況に直面する良い機会を与えてもらったと思う。それにしても、かわいそうだったのは、関係ないのに問い詰められた本部の若い人だ。いきなり、どうしたらいいんですかね、と詰め寄られても決して「こっちは、カンケーねえよ」とは言わなかった。あんたは、エライ。
2012年04月15日(日) |
ほとんど区別がつかない |
デイサービスを開業した。利用者はまだいない。
半年ほど前に開業計画のお話を聞いてもらった縁で、グループで7人もの訪問者があった。元々は環境保護のために石鹸を使おうという市民運動から始めた人たちなのだそうだ。今では、県議会や市議会に議員を送るほどの力を持つようになった。庭に咲いたというクリスマスローズと水仙の小さな花束を開業祝いに持参していただいた。透明のガラスのコップに活けられた清楚な花の香りがいつの間にか玄関ホールに満ち、幸せな気持ちにしてくれた。
その数日後、開設に向けてお世話になったフランチャイズ本部のメンバーお二人と飲み会を開いた。ちゃんこ鍋をつつきながらなごやかに話をしているうちに、先方も意見を言い、こちらも好きなだけ文句を並べた。
近所の奥さん達と昼下がりのお茶飲み話をしているようであり、また、同じ会社の友達同士の飲み会のようであり、相手と自分の立ち位置があまり違わないので、自分たちがどこの組織に所属しているのかほとんど区別がつかない。この仕事は、立場が違ってもそれぞれの利害が正面から衝突することのない、へんてこりんなところがある。そういう幸せをずっと分かち合うために、資金が続く数ヶ月以内になんとか軌道に乗ってもらいたいものだ。
畑の脇には小さな森がある。農作業の合間にお日様が斜めに射す様子を眺めたり、風のざわめきや野鳥のさえずりを聞いたりするのは楽しみだ。久しぶりに畑に足を向け、早くも立派に成長したアサツキをつまんだり、まだ芽は出ないかとジャガイモの畝を見たりしていると、トランクの蓋を開けたまま、枝のついた木を満載した乗用車が駐車場に乗り込んできた。
悪い予感のとおり、ひとりのオジサンが、育ちすぎて持て余した自宅のヒバの生垣を何本も切って森に捨てようとしているのだ。天気の良い日に気持ち良く時を過ごしていたのに、なんと間の悪いことだろう。一度だけなら、見て見ぬフリをしようと思ったが、幹が腕の太さほどに育ったヒバの木を5〜6本も森の中に持ち込んだオジサンは、トランクを開けたまま帰って行った。
案の定再び荷を積んで現れたので、捨てても置けず、粗大ゴミの不法投棄になりますよと声を掛けた。土に還るからいいと思ったと、一旦屁理屈をこねたが、捨てようとしている場所はそもそもご自分の土地ではないでしょうと返すと、持って帰るという。ヒバの山が土に還る間もなく、森が粗大ごみ廃棄場になるのは目に見えている。大きな車に乗っていて、廃棄のお金がない訳でもないだろうに、平気でああいうことをするかな。
一度だけなら、許してあげる。昔の歌謡曲の歌詞のような、そんな気になったのは、どこかでオジサンがこちらのことを知り、今度は謂れのない悪口を広げるかもしれないなどと一瞬心によぎったからだ。
商店街の食品店など、近所の人を相手にしている小商いではこんな経験はしょっちゅうあるに違いない。子供ではなく、いい年をした立派な身なりの近所の人が万引きをしているのを発見したお店のオバサンなら、どうするだろう。相手がよく買い物をしてくれるお得意さんだったら、あえて見逃すこともあるだろう。ソッと胸にしまわれたままの小さな罪が世間には思ったより沢山あるのかもしれない。
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