■ 腰痛日記 ■
ケイの10年にわたる痛みの治療体験を少しずつ書いていきます

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2003年12月28日(日) 教養の定義


:::::::::『まともな人』::::::::
養老猛司 著


日本人はものごとを水に流すといわれる
これも狭い国で
中世四百年のあいだ
対立抗争を続けてきた挙句の知恵とも
いえるのではないか

武田信玄なら
父を幽閉し
息子を殺し
家を保ったのである

これではたまらないというので
常識を変え
江戸三百年の平和を維持したのであろう

人間科学の講義で
今年は最初に
個性だの自分だのと
若い未熟な人間が
バカなことを考えるなと

はなはだ乱暴なことを語った

それより自分の友だち
親兄弟の気持ちが良く理解できるほうが
よほど人生が豊かになるのではなか

若い時からそう思ってきた
だからますますそう思う

これで他人の気持ちが
もっと理解できていたら
はるかに偉くなっているかもしれない

四月のはじめに
八十歳を超えられた恩師を囲む会があった

そこで恩師の口癖ともいえる
人の心がわかる心を教養という

という言葉にあらためて出合った

いつの頃からか
その言葉が私自身の口癖にもなりつつある

それでどこが悪いといいたい

イスラエルの人にアラブの人の心がわかるか
その逆は可能か

教養はものを織ることとは関係がない

やっぱり人の心がわかる心
というしかないのである

それがいわば日本風の
教養の定義であろう

自分だけの考え
自分だけの理屈
自分だけの感情
そんなものがあったところで
他人に理解され
共感されなければ
まったく意味を持たない

そういう徹底的に
「個性的」な心を持つ人は
精神科の病室に入っている

それなら個性とは
いったいなにものか

個性を伸ばすとは
どういうことか

だれも他人と自分を間違えはすまい
自分の皮膚を
親にすら提供することはできない

免疫を抑制しなければ
拒絶されるからである

それなら個性は身体にまかせればいい




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:::::::::::::::::::::::::::::

この理論から行くと
TMS同好会のメンバーは
『教養のある人』の集まりですね

それからこんな法則をみつけました

「TMSを理解できる女性は美人」
いや〜〜それほどでも(*^.^*)

「TMSを理解できる男性は
いろんなことにハゲんでいる」
いや〜〜それほどでも(~0_0~)




いろんな意味で
バッシングがきそうですね(^-^)ゞ



2003年12月27日(土) 絶対に治るなおる


:::::::::『まともな人』::::::::
養老猛司 著


夢は毎晩見る
夢にはどういうい意味があるのだろうか

それがフロイトの夢判断である
それならご自分の夢に意味がつけられるか

われわれは人生の三分の一を
眠って過ごす

人によっては
半分くらいは
寝ているのではないかと思う

寝ている間
意識はない

その意識がすべてになるのが
近代社会
脳化社会
つまりわれわれの社会である

意識は意味を追求するが
追求している意識のほうは
自分の限界を心得ない

夜になればあっという間に
無くなってしまうくせに

寝ている間に脳は起きているときと
同じ量のエネルギーを消費する

つまり意識があるというのは
その程度のことだともいえる

寝ているのと
さして違わないのである

つまり寝ている間とは
脳がただ「休んでいる」時間ではない

そこではなにか
重要なことが行われているに
違いないのである

眠りの意味はなんだ
その問いに答えられるだろうか

寝ていないで頑張ると
まさに意識が朦朧としてくる

そのくせ意識はそれが
「ない」時間について
なにも答えてくれない

そして目が覚めると
すぐにものごとの
「意味を問う」のである

意識のそうした身勝手
についてなら
本が一冊書けるというものである

::::::::::::::::::::::




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センセの医院のロビーで
まーちゃんと話していたら
車椅子のおばあちゃんが来ました

まーちゃん
「おばあちゃん、もう腰痛くないの?」

おばあちゃん
「うん、もう治ったよ
あんたも腰いたいんか?」

ケイしゃん
「はい、今治療してきたんよ」

おばあちゃん
「そうか、、、心配せんでも
絶対に治るなおる(*^.^*)」

ケイしゃん
「うん、ありがとう」

おばあちゃんに力を貰いました



2003年12月25日(木) 自分だけのものとは、心ではなく身体である


:::::::::『まともな人』::::::::
養老猛司 著


脳のはたらき
すなわち人々がふつうに
「心」と呼ぶもの

これは個人的の共通性がない限り
そもそも他人に理解できない

ゆえにまったく個人的な心
というものがあったとしても

それは社会的意味をもたない
ふつうそこに誤解がないか

多くの人は心を自分独自のもの
と思うらしいのに

そのくせ同時に
他人の共感を求める
らしいからである

心とはつねに共感を要求する

はっきり規定すれば
万人に共通のもの
それが心である


― 中略 ―


自分だけのものとは
心ではなく
じつは身体である

これはことごとくオリジナルである
遺伝子の組み合わせが
クローンを別にすれば
かならず違うからである

将来にわたって
自分とまったく同じ
遺伝子の組み合わせが
偶然に生じる可能性は
まずないであろう

― 中略 ―

個性とは身体だが
一般的にはそう思われていない

この話題がなぜ重要化というと
若者を教育するときに

なにを前提にするか
という問題があるからである

若い人には、個性は
心や思考だと教えるのは
可哀想である

若者の頭に中は
それほどものが
詰まっている訳ではない

そこで個性を発揮しようとすると
妙なことを無理にすることになる

確かに数学が理科系な分野では
若い人が大きな業績を
あげることがある

それは考えることができる
能力があるからであって

それなら長嶋監督だって
貴乃花だって
オリジナリティーを
主張する権利がある

なぜなら運動選手もまた
脳の能力によって選手に
なっているからである

卒中になれば
運動はできない





(良く考えれば当然か。。byケイしゃん)↑(投票ボタン)
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2003年12月24日(水) 脳という都市、身体という田舎


『バカにの壁』を読んでから
すっかり養老ファンになった娘

片っ端から養老さんの本を
読んでいる様子

一冊貸してもらったら・・・

やっぱりオモシロイ(*^.^*)


:::::::::『まともな人』::::::::
養老猛司 著

―脳という都市、身体という田舎―

平成十二年度の山本七平賞は牛村圭氏の
『「文明の裁き」をこえて』だった

当時の連合国
要するにアメリカは
東京裁判を「文明の裁き」と呼んだ

その文明とはなにか

こうした文科系の用語を
だから私は好まない

「文明」とは要するに都市化
さらに脳下にすぎない

都市の人間が田舎の人間を
馬鹿にするのは

今に始まったことではない

比喩としていえば

人間は
脳という都市と
身体という田舎
を抱えている

その意味では
世界は等身大である

都市と田舎からできているからである

それなら戦争やテロは心身症である

心にも体にも
つまり都市にも田舎にも症状がでる




ふむふむ↑(投票ボタン)
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::::::::::::::::::::::::::::

戦火にある現場の火を消すだけで
解決を望むのは無理なのでしょうか

やはり早期解決が不可欠なのでしょうね
こじれてしまっては難しい・・・



2003年12月22日(月) ルミナリエ






キレイな画像が届きました↑(投票ボタン)
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:::::::::::::::::::::

『神戸ルミナリエ』は
阪神・淡路大震災犠牲者の
鎮魂の意を込めるとともに

都市の復興・再生への
夢と希望を託し

大震災の起こった
1995年12月に初めて開催しました


:::::『神戸ルミナリエHP』より::::::

今は携帯電話で
感動の場面がすぐに撮影できるように
なりましたね(*^.^*)

楽しい場面
感動の瞬間
ビックリの画像
季節を感じる自然

なにかオモシロイ写真が
撮れたらメールで送ってくださいませm(_ _)m



2003年12月21日(日) 慢性むち打ち症候群


:::::::『THE BACK LETTER』:::::::

―慢性むち打ち症候群の存在についての議論―

リトアニアの最新研究が
いわゆる『慢性むち打ち症候群』に関する
激しい議論に再び火を点けた

最新研究と

Journal of neurolgy
neurosurgery
psychiatry

の3つのジャーナルに
掲載されたいる論説は
追突の直接的な結果としの
むち打ち症候群について
存在そのものについて
異議を唱えている

新しいプロスペクティブコホート研究において
Diana Obelieniene博士らは

”追突によって生じる
慢性疼痛に関する先入観がなく
そのために長期活動障害に
対するが不安がなく、また通常

医療団体
(therapeutic Community)
保険会社
訴訟

が追突事故に関与しない国では
急性のむちうち損傷後の症状は
自己限定性(self-limiting)
で短期間のものであり

いわゆる慢性むち打ち症候群
には進展しないようである”

と、記している
(Obelieniene et al、1999)

これは
同調査グループによる
1996年の有名な
レストスペクティブ研究
における知見と一致する
(Schrader er al、1996)

論説委員のJ.M.S.Pearce博士は

”これらの最近の研究は
『慢性むち打ち症候群』
の臨床的な妥当性に関して
重大な疑問を投げかけている

患者もしくは法廷に対して
慢性疼痛のメカニズムまたは
正当性を示そうとする医師達は

この病因となる
病理過程
すなわち

解剖学・生理学・生化学・心理学的な
一連の過程を示さなければならない

これらの根拠を示せなければ
蔓延する症状と因果関係に
妥当性は否定される方向に
大きく傾くであろう

『慢性むち打ち症候群』

と呼ばれている傷害の病因・メカニズムを
示すことができなければ
その存在は疑わしいものとなる

それ以上の見解は推測に過ぎない

これは科学では最も敬遠され
法廷で判断されることである
(Pearce、1999)
と述べている


::::::::::::::




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2003年12月20日(土)






ゆ〜きやコンコ、あられやコンコ↑(投票ボタン)
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クゥちゃんの出入り口


初雪に足跡


始めてみた雪にビックリ


冷たいけどオモシロイ!!!


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