2004年02月03日(火) |
腰 痛 体 験 記 (6) |
妹のような存在のバド美ちゃん
実は私の娘と同じ名前なのです(字も) あ、バド美じゃないですよ(^-^;
掲示板で出会い メールでお話を何回かして そして(~0_0~)先生の医院で 実際にお会いしたのでした
これと思ったらなんでも試してみる 好奇心旺盛な妹の体験記 読んでやってくださいましm(_ _)m
::::::私が痛みから学んだ事::::::
<プロローグ>
2002年1月。会社勤めを6年ぶりに再開。三人の子持ちでも復帰できた喜び。やる気に充ち溢れて、新しい年を迎えた。
二人目まではフリーで続けていた仕事も、自宅では深夜に仕上げる事になるし、急に依頼が来たり、また不況で量的に減ったりと、不安定だった。
40歳を迎える前にもう一度、きちんとステップアップしておきたいという気負いと、近所に実家や妹が居り、助っ人に恵まれ、週二回位の出勤なら二才の末っ子はなんとか預かってもらえるだろう、という計算だった。
そして、何より、育児だけの生活からも、少しの時間でも解放されて、リフレッシュするチャンス。その上、待遇が良いならやるしかない!
最初は週に三回。上の二人の幼稚園のお迎えに間に合う時間帯。しかし、やり出すと、のめり込む完全主義の性格。育児のリフレッシュどころではなくなってきた。
両親が共働きで、自分は、絶対専業主婦になろうと思っていたのに、仕事にのめり込む自分にジレンマを感じ出す。
肩こりから、始まり、背中のこわばり、そして左の腰痛が・・・。
このとき、私のストレスのグラスは溢れ出した。
<腰痛から鬱状態そして、とうとう、治癒の道へ>
5月 出張とMRI撮影。ヘルニアの診断。映像の力と18年前にも慢性腰痛の経験から、ヘルニアになったらおしまいだ!という、呪いがまたもや、慢性腰痛への道へじわじわ引き込む。
6月 雨が降るたびに、天候で、痛みが酷くなると呪いがかかる。
7月 とうとう、長時間立つ事と、歩く事が困難になり治療に専念するため、休職。鍼治療、ヨガ、カイロなど代替治療を、はじめるが結局、18年前に治った経験がある入院に頼る。子どもの夏休みを待ち、入院。安静→注射→リハビリで、効果が上がらないため、神経根ブロック注射→造影検査→手術へと勧められるが、これ以上痛い思いはしたくないので退院。通院でしばらくリハビリを続ける。
退院後、父と大喧嘩して、変な姿勢で長時間、話したので「ああ、また、痛くなる」という、心配とは裏腹に、次の日なぜか、腰が軽くなった???どうしてだろう?
8月 日常生活のうち、立ち仕事以外は、なんとか、苦痛を感じずに出来るようになった。もう、一押し、完治への道を求めて、本で見つけた。整体を受ける。無理矢理前屈して、骨の間を空け、そこへ、ヘルニアを戻すという作業??前屈が出産より痛く!辛かった私は、痛みの恐怖のため、次の日から立てなくなる。
悪夢の日々が始まった。いっそ、ここから飛び降りた方が楽なんじゃないか。私は、一生このまま、ベッドで寝たきりの生活。子ども達と一緒に、遊ぶ事も出来ないどころか、食事も満足に作ってあげられない。そして、自分の子どもも抱き上げる事が出来ない。なんて、価値のない人間なんだろう。
頭の中は、負のアファーメーションで、ぎっしり。どんどん、鬱へと落ちていく。しかし、子ども三人と主人をおいて、このままくたばる訳にはいかない。何か治る方法があるはず。18年前の痛みと同じなんだから。
9月 なんとか、このどん底の生活から、元の平和な生活へ戻りたい。インターネットで、腰痛の広場へたどり着く。 やっぱり、手術しかないのか・・・ 歯の噛み合わせを治す・・・ 友人が一度で治ったというカイロの先生・・・
選択肢がいくつか上がった中に、ん? TMSって何? 腰痛は怒りであるって? なんだか、うさんくさい?
9月の終り、赤本も読まないまま、TMSのホームページに行き着いた私は、ちょうど10月に開催されるメソッドに最後の望みをかけて、申し込みの送信をした。しかし、心から信じていなかったし、なんだか、会場で治療グッズを買わされるのでは??という、不安から主人を、護身につけての参加となった。
ここから、完治まで結局、一年近くかかるのであるがメソッドを受けた事により、勝利の女神が私に微笑んだ。
白本→メソッド→赤本→掲示板で疑問を解決→メソッドのツールを気長に実行→リンク先の先生に受診(加茂先生・空先生・淀川クリニック)していただく→動作恐怖症を脱するため、アファーメーションを次々に達成する→不安に隠れる怒りに気づく。
☆私に特に効果のあったツール☆
アファーメーション ストレス(不安)リスト EFTタッピング
毎朝のあの、鈍痛。寝室からダイニングまでの廊下が長く感じ、朝の目覚めが怖かった日々。夜中に痛みで目が覚める不安と恐怖。
いたたたっという声と共に、起き上がり、ダイニングの椅子で30分休み、顔と、身体を歪めて、朝食の準備と、お弁当を作る私は、今や、スキー、バドミントン、水泳、もちろん、子どもとかけっこや、抱っこにおんぶ、運動会には綱引きに参加できる元気なお母さんに戻れたのである!!
もちろん、途中、私にはTMS理論は効かないんだ。私は特別なんだと、悲観したり、後退した日々もあった。そんな時、長谷川先生、AGI様、ケイしゃんはじめ掲示板のイタ友の皆々様や、加茂先生、空先生、淀川クリニックのスタッフの方々に助けていただきながら、痛みのメカニズムを理解し、痛い時は、薬に頼り、悪循環の輪を断ち切り、自分の心と向き合うことを覚えた。
「治すのは自分。しかし、完治を意識しない。痛くても出来る事は沢山ある。痛いと悲観するより痛くてもできた、喜びにスポットをあてよう。痛いと泣く一日も、痛くても行動する一日も同じ時間なら、行動しよう!何事も完璧を求めない。少々の身体の不調は、誰にでもある当然のこと。長い人生、焦らず、いつか、出来る事がたくさん増え、あれ?そういえば、痛くないよって言う日が来るんだ!!」と、言い聞かせていたら、本当に来た!
毎朝、無痛で起きる幸せ。鏡の中の、まっすぐに立っている自分。五体満足が当然のことに思っていた傲慢さが、感謝の気持ちに変わり、毎日を大切に生きていける。こんな気持ちになれたのは、あの忌まわしい痛みに出会えたからこその副産物なのである。
痛みにばかり敏感になり、目先の事ばかりに気を取られていた、気弱で暗い私はもういない。この先の人生、また、沢山の壁にぶつかっても必ず、明るい未来が来る事を教えて頂けたと思っている。 普段の何気ない出来事や行動も、痛い時を思い出せば、なんだか、きらきら光った特別な事に思える。
まだまだ、書ききれないことがたくさんあるが、身体の不調のほとんどは、自分が作り出していて、またその自分は、それらのほとんどを治す力も持っていると強く確信できる。この痛みから学んだ事は、私の人生において、これからも、大きな手助けとなってくれるであろう。
今まで、関わって下さった皆様に感謝! そして、腰痛よ、ありがとう!
:::::::::::::::::::::
2004年02月02日(月) |
腰 痛 体 験 記 (5) |
お互いに石川県の人間なのに 大阪での初めての出会い
そして(~0_0~)センセの医院での再会
【ギックリ・・・違ったビックリ】
まさにシンクロしている二人でしゅ
性別、年齢、職業もまったく違いますが ココロが通じるイタ友です
::::::<腰痛は怒り>正に自分の気持ちにピッタリ::::::
発病の期日ははっきりとは、覚えていない。多分、平成14年10月の半ばだと思う。その頃、職場の人間関係や、仕事の内容にかなり悩んでいた。
なぜ本来自分のやりたい仕事をやらしてくれないのか、訳の分からない事で注意を受けないといけないのか、仕事が無い時の気持ちの持ちようとか、(仕事が無くても拘束時間終わらないと帰る事が出来ない)色々と悩んでいた。
そんなおり、腰でも痛くなったら仕事を休めるのにと、思い始めていた。(今から思うと)実際自分の望み通りに、腰痛を発症してしまった。(全く馬鹿な希望だ)
そこから、痛みとの戦いが始まった。 座っていられる時間が段々と短くなるにつれて自分では、どうしようもない不安が自分自身の中に広がっていった。
そんな私を見るにつけ、家族の皆も、焦っていた。「あそこに、良い整体の治療院がある」だの「あそこの病院は良いよ」など喧しく言われて、色々な治療方法を試していた。(無論どれも良い方向へは運んでいない)
その頃の自分は、もう少しじっくりと休養したいと思っていた。でも、家族のプレッシャ―に負けて治療を頑張っている内に、益々痛みが酷くなるのを実感していた。
もう手術しかないと、諦めかけていたとき、病院からの帰り、バスを途中下車して大きな本屋に立ち寄り何気なく、腰痛のコ―ナ―を眺めていると、『腰痛は怒りである』と言うタイトルが目に飛び込んできた。
このタイトルは正に自分の気持ちにピッタリだと思い、立ち読みをすることにした。読んでるうちにこれは、ゆっくり読みたいと思い脚はレジへと向かっていた。
帰宅後読んでるうちにホ-ムページがあることを知りアクセスすると、メゾットがもう目の前に迫っている。「これは行くしかない!」と強く思い、家族の反対を押し切り、遠路はるばる大阪へ出かけた。
そこで同県人のケイしゃんと出会い、加茂先生の事を知り、先生のところで三か月の入院で復活した。
今思うのは、何故家族の皆が薦めてくれた所では、何も反応が無かったのに、自分で決めた所は反応したか、それは気付きがそこに介入しているからと思っている。
以上が、簡単な経緯である。いずれパ-トⅡを書きたいと思っている。 読んで下さいましてありがとうございました。
2004年02月01日(日) |
腰 痛 体 験 記 (4) |
掲示板のヒマワリさんのような白雪姫
そんな姫にも 辛~く痛~い過去があったのだった
さぁ、物語のはじまりはじまり~
::::::『今痛い皆様へ』::::::
今思うとこれがはじめてのTMSだなあというのは、23歳のときです。 朝起きたら、首があがりませんでした。何とか起きて首をそろそろと上げると、右肩甲骨の辺りに激痛が走りました。まるで胸を患っているような嫌な痛みです。
痛くて後ろを振り向くことが出来ません。レントゲンをとって、坐骨神経痛と診断され、数週間 温熱治療に通いました。その一年後くらいにまた同じ症状になり、ペインクリニックで痛み止めを処方してもらったらすぐ治りました。
座りっぱなしの仕事だからだと思っていました。
ほどなく結婚して、第一子妊娠中は切迫流産、早産で、2ヶ月ほど入院生活を送りました。第一子が1歳半のとき、23歳の時に起きたあの右肩甲骨の痛みが再び私を襲いました。
またしても坐骨神経痛、このせいで痛み止めを服用することになり、断乳の憂き目となりました。
でも、数週間で治りました。おんぶのしすぎ、だっこのしすぎと単純に考えていました。
そして第二子が5ヶ月のとき、朝起きたら(いつも朝起きると突然なのです)右足が上がりませんでした。特に運動した覚えはありません。起きたら突然、なのです。
何とか立ち上がるも足があがりません。足をひきずって子供をおんぶして歩きました。整形に行くと、おんぶのし過ぎといわれました。痛み止めの注射(腕にしました)で半分くらいの痛みになり、1ヶ月ほど温熱治療に通い、それでもすっきりしないので、初めてカイロに通いました。
カイロでは、骨盤が開いているせいと言われました。3ヶ月ほど一週間おきに通い、ほとんど気にならなくなったので通うのをやめました。もう無理な姿勢をとるのはやめようと心に誓いました。
そして運命の痛みです。腰が痛いなあ、腰が痛いなあと思っていたら(今度は突然ではなかったのです)だんだん、お尻と足の付け根が痛くなり、だるくて激痛ではないのに、じくじくと病むような嫌な痛みが出現しました。
じーーじーーーじーーーっと音がするような痛みです。 整形に行くと、やはり抱っこのしすぎと言われました。今度は、痛み止めの注射は無く、内服薬とシップと温熱治療でした。一ヶ月通いましたが、全く痛みは軽くならずひどくなる一方でした。コレは、変だと思い、以前すごく良く効く薬をくれたペインクリニックを思い出し行きました。
これぞ、運命でした。この医師は子供を連れた患者が嫌いだったのでしょうか。2歳なのでうろうろとうるさかったのでしょう。終始冷たい態度でこちらを見ようともせず(もうすでに痛みで半べそなのにダブルショックでした)あげく、ここがこう痛いんですという私の説明だけで「ヘルニアだからもう一生治らないね」と言うのです。
ヘルニアなら痺れが出るはずだ、と半端な知識から思いました。そうしたら、本当に、足先がびりびりとしびれたのです。「治療はブロックしかないけど、する?」と言われて「はい・・・お願いします」と言うしかありませんでした。(もうこのあたりで涙が出そうでした)
子供を狭いベットの脇に立たせ痛いばかりで全く効果の無いブロックを打ちました。帰宅後、ものすごい頭痛に襲われましたが、でもこれでしばらくは痛みから開放されるんだ!と思い我慢しました。しかし、痛いだけで全然効きませんでした。
このブロックは2回しました。2回とも頭痛がひどいだけで、全く効きませんでした。一ヶ月も整形に通って少しもよくならないので、嫌な予感はしていたけれど、ヘルニア?あの不治の病(そう思っていました)のヘルニア?手術しかないヘルニア???!!目の前真っ暗とはこのことです。旦那に迷惑を掛ける・・・一番先にそう思いました。
実はこの一昨年前に、ストレスから感音性の難聴になり、ずいぶん心配を掛けているからです。
2回のブロックで全く症状が変わらないので、MRIを撮りました。結果は椎間板の硬化でした。「ほら、真っ黒、ぺしゃんこにつぶれいてる、治らないよ」これが、ペインクリニックの医師のことばです。しかし、この医師にすがるしかなかったのです。痛みで消耗しておどおどしたような態度だから余計付け込まれたのだろうなあと今は思います。
このころはじめてインターネットを始めた私は、腰痛で検索しまくりました。そこで見つけた、N式のストレッチ。掲示板で色々な方が相談していました。そのころ、掲示板で非難されている内容の治療法がありました。それが 「TMS理論」です。
初めての印象は、怪しい、なんじゃこりゃ、です。ストレッチの本を買い、一生懸命やりました。一ヶ月ほどストレッチをやったでしょうか。でもちっともよくなりません。体は柔らかくなりましたが。
心の片隅には、TMS理論が引っかかっていました。腰痛の広場も行きました。またしてもTMS理論が、こきおろされていました。そのときの私は「藁にもすがる」の心境になっていたのです。
もう嫌でした。毎日毎日、痛くて寝てても痛くて、寝ている子供を抱きしめて毎夜泣いていました。抱っこも出来ない。寝ても覚めても痛くて、安らげる時間がなかったのです。
TMS理論て、なんなんだろう・・・あんなにひどいこと言われてるのに、回答してる人がすごく謙虚で穏やかで、いい人みたい・・・非難してるほうが悪者みたい・・・だんだんそう思ってきたのです。
初めてTMS理論を知って2ヶ月がたっていました。ついに、TMS JAPANのHPを見ることになりました。掲示板をのぞくと、なにやらやっぱり普通の腰痛の治療とは違っていて、凝り固まった私には変な感じがします。
リンクを見たら、小松市に整形外科の先生がいらっしゃる!早速、自分の症状は、TMS理論適用なのかどうか、失礼ながらメールをしました。すると驚くべきことに、すぐに返事をいただき、プログラムを始めてみるよう勧めていただきました。
それと前後して、娘の股関節の件で長谷川先生にメールしていました。もともとネットをはじめた理由は娘の足のことだったのです。とても人情味あふれるお返事をいただき、信頼できる方だな、と直感しました。色々なピースがうまくはまって私をTMS理論へと導いてくれたとしか思えません。
赤本を買い、(「椅子が怖い」をその前に読んでいましたので、べースは出来ていたのだと思います)読み終わったら・・・不思議なことに、痛みが半分に減っていました。なにをやっても少しも減らなかった痛みが、です。
それでも、ストレスリストを書く、、、、毎日、書く、ということに大変抵抗があり、書かずに済ます方法が無いものか意を決して掲示板で相談しました。「一週間だけとりあえずやってみるってのは駄目でしょうか」こんな風な投稿だったと記憶しています(笑)
その頃のケイしゃんはじめスペシャルメンバーの方々が次々応援のレスをくれて、私は初めて、パソコンの画面を見て泣いてしまうというのを経験したのです。
見ず知らずの私のために・・・胸が熱くなりました。ペインクリニックで電気鍼治療もしていましたがそれもきれいさっぱりやめました。自宅で、せんねん灸をしつつTMSプログラムに真剣に取り組むことに決めました。自分で治すんだ!と固く決意しました。(せんねん灸もすぐいらなくなりましたが・・・)
毎日毎日、ストレスリストを書きました。書いて書いて、思い出して泣いて泣いて、吐き出すたびに腰が軽くなっていくのを実感しました。私ってこんなこと うらんでたんだ、怒ってたんだ、かわいそうだったね、頑張ったね、と初めて自分に言ってあげたんです。
リスト登場の順番は、旦那、子供、両親、妹、でした。ペインクリニックの医師も数十回登場しましたね~。ちくいち掲示板で報告もしました。なにより、掲示板で皆さんと話しているのがとても楽しくて、慣れてくるとだんだんお馬鹿な話にも混ざれるようになり、私の後から来た人(半ケツ人とか)に自分の経験を話したりしているうちに5ヶ月もたった頃でしょうか。
痛みが消えていました。ほんとうに、きづいたら・・・です。
ストレスリストだけのときは、あまり痛みに変化は無かったように感じます。アファーメーション(当時は毎日の注意)を唱えるようになって、リアルに自分の治っている姿を思い描くようになってから、ぐんぐん痛みが減っていったように思います。そのあいだも、「赤」「白」ともに、何度も読み返しました。
でも私の一番の薬は、掲示板でした。あんまり楽しいから痛くてもいいや~って思っていました。過去ログを全部読んだのも、大きな効果でした。毎日少しづつ3ヶ月くらいかかったかな~~
痛いお陰で得たものの方が多かった。これが実感です。あれから、今夏でまる3年になります。
― 今痛い皆様へ ―
一人で戦うのはやめて 掲示板で話しましょう!
他愛ない話でもいいんです 今日はいい天気だよ だっていいの(*^.^*)
つながっている ひとりじゃない 応援してくれる人がいる
そう思うだけで元気になれますよ
私はそういうキャラじゃないから・・・ って自分を縛っているのは自分だから
力を抜いて はじめまして!って 来てくれれば それが、痛みから抜け出す第一歩です
長々とまとまりなくてごめんなさい::::::::::::::::::::: ということで 一切の修正なし モザイクなしでお送りしました(^-^;
2004年01月31日(土) |
腰 痛 体 験 記 (3) |
患者でもあり治療者でもある番長
幼いころからのカラダとココロの不調を 赤裸々に書いてくださいました
私も読んでグッときてしまいました(;-;)
:::::安心が与える治癒力 ::::::
とにかく幼い頃から、とても不安の強い子供だったように思う。小学校高学年の頃は、よく深夜に両足の激痛で何度も目が覚めた記憶がある。
そういう事もあり、中学の部活を選ぶ時に母親に「運動部に入部なんてしたらまた足が痛くなる」そう言われて入部したいのを辞めさせられました。悲しい思い出です。
自分では大人になる事への不安、責任を負わねばならない不安、出来れば逃げ出したい欲望。 いつも、リーダー役などを任されるハメになるのだが、そう言う強い自分を装う事で、本来の弱い部分を隠していたのだと思う。
不定愁訴は20歳頃から、段々とキツクなる一方でこれが更なる不安を呼び、悪循環を作りあげて行ったように思える。
20歳の時友人が運転していた車が、スピードの出しすぎでカーブを曲がりきれずに、中央分離帯を乗り越え、車が反転して天井から地面に叩きつけられ、病院に1週間入院するハメになった。その日は40度近くの熱が出ただけで痛みは無かった。
しかし周りから「ムチウチは後から出るから怖い怖い」と呪いをかけられた。
事故から3月くらいしてからか?左の首のうなじ辺りになんとも言えない嫌な感覚が起こり始めた。 父や知り合いに連れられ、病院や色々な民間療法に行きました。医者や治療者に色々な事を言われて、随分通ったように思う。
頻繁に起こる寝違い。それも自分で自分の頭が支えられない感覚。痛みでまともに眠れないなんて何度経験したかわかりません。
その頃、目が開けていられない程の眼精疲労で多くの医院や病院も受診しました。 結局診断は遠視と言う事でした。テレビを見たりなんてとても出来ませんでしたが、3月程度で楽になったと思います。
そして、確か22歳の時、両目が突然飛蚊症になりました。 今もこの状態は治る事なく続いていますが、過去何度も検査しても異常はありません。
左首の不快感は、相変わらずの状態が続きました。
24歳の時、後輩を乗せ新御堂筋を運転中に、突然激しい動悸と眩暈両手の痺れに襲われ、このまま死ぬのではないかと言うような状態になりました。
いわゆるパニック発作です。当時はまだ心療内科などなく、近くの内科で自律神経失調症と診断されました。
その時「これは必ず再発します」と言われた嫌な思い出があります。 しかし、幸か不幸か鍼灸整骨院への就職が国家試験後に内定していたので、長期間休養することが出来ませんでした。結果的に、これでひきこもりにならなくて済んだのかもしれません。
しかし、電車は各駅停車を好んで利用車の運転はいつも手に脂汗と動悸の状態でパニックの恐怖と隣あわせでした。僕が勤務した鍼灸整骨院は、当時まだ景気が良かった大阪のオフィス街にありました。
そこで僕が見たものは、鍼灸主体の治療所だったのか、何度も腰や首を手術した人、不定愁訴を抱え日常生活が満足に過ごせない人。
いわゆる西洋医学でサジを投げられたと言う患者さんと、接する事になります。 これもまた、自分がこのような状態になったらどうしようと言うように、どんどん不安を大きくする原因になったと思います。
当時はインターネットなど当然無く、情報はごく限られたもので自分の置かれた環境や収入では、勉強すると言っても限界があり、勉強すればする程自信よりも不安が大きくなっていきました。
そんな中で当時付き合っていた女性と結婚することになりました。子供もすぐに出来ました。 そろそろまわりから開業したら、と言うことをしきりに言われ始めましたが、僕はもう自分自身が一杯いっぱいでした。しかし、父が定年してから退職金の殆どを僕の大学資金と鍼灸、柔道整復の学校資金に使わせたのでギブアップは出来ませんでした。 また家内も開業を強く希望しました。
そこで、子供が小学校に入学または低学年の間に、家内の実家の家業を継ぐと言う条件で開業に踏み切りました。なるべく借金を抑え立地が悪くても、家賃の安さを優先させたのですが、それでも実家を担保に僕にとっては大金。
開業後はいつも焦る気持ちばかりが優先していました。同時期に開業した仲間がいて絶対に負けたく無い気持ちで一杯でした。開業して3ケ月が経過した頃でしょうか。夜に、しばらく身を潜めていたパニックが顔を出すようになりました。
その内に全く眠れず、食事も喉を通らない、凄い倦怠感が襲うようになり始めました。当時来てもらっていた受付さんが鬱の経験があり、強く精神神経科を受診するように勧めてくれようやく受診しました。病名は聞きませんでしたが鬱だったと思います。
とにかく、自分が倒れたら、働けなくなったら、親の家が取られてしまう。働いていた時そのような人を数多くみてきた嫌な記憶がいつも頭の中にありました。 鬱の症状は波がありましたが薬を飲みながら、ましだまし仕事を続けている状態でした。時には、起きていられないような倦怠感に襲われて仕事を休んだ時もありました。
開業3年経過して次男が生まれました 2ケ月早産で、10点満点の4~5点いわゆる仮死状態、障害が残る可能性が大きいと言われました。 毎日のように病院からかかる電話で病院へ出向き、色んな障害の可能性とリスクを伴う治療の同意書へのサインを求められました。
本当にこの時期は不定愁訴と絶望感から何度死を考えたか分かりません。
死を選べなかったのは、まだあどけない長男、必死で生きようとしている次男、残された者にかかる迷惑を考えると思い切れませんでした。
今から6年前だと思います。突然両手の力が抜ける感じがしました。ちょうどその頃、身内のちょっとした(大きな?)トラブルがありました。詳しくは割愛しますが、これほど、人間の醜さ汚さ裏切りを間近に感じた事はありませんし、一生忘れられませし、忘れてはいけないと思っています。
この時からちらほらTMSが出現していたように思います。 5年前の秋3ケ月程寝違いが持続的に頻発するようになりました。それに伴い足の脱力感や痺れが出始めました。我慢できる程度の腰痛、同じ姿勢で立っていると1分ももたない。
近くの整形で検査しましたが異常無し、MRIで首のヘルニアが見つかりました。 通院中の神経科では、詳しい説明が無いまま薬のみが処方され続けていました。
症状はキツクなるばかりで、○○大学付属病院の神経内科を受診しました。
脳のCT.筋電図等の検査で僕が危惧していた難病は除外されましたが「ストレスですね」と言う答えの他は、何も示されませんでした。一時期は症状はほぼ完治していました
ただ、またもや身内に罵声を浴びせられたのを境に症状が現れました。それからは、鍼灸、カイロ、アメリカから最新のサプリメントを個人輸入したり、噛み合わせをあわせる為親知らずを3本抜いたりしました。一体いくらのお金や時間を注ぎ込んだか・・・
でもそれだけしても、症状は変化ありませんでした。それどころか両手の指先が思うように動かなくなってきました。それまで通院していた神経科を辞めて、思い切って近所の心療内科に受診しました。 やっと納得行く説明と、安心する言葉を掛けて貰う事ができました。 答えは脳の過緊張で、心配しなくても必ず治ると言うものでした。
それでも症状は一進一退でした。最後は本当に霊が原因では無いかと思ったりもしました。 そうして、はっきり記憶にはありませんでしたが、おおざる先生のHPの呪いと言うところに目が留まりました。 中を読んですぐに、呪いの意味を理解して赤本をとりよせました。 一筋の明かりが、暗い心の中に差し込んで来た感じがしました。
掲示板に書き込み、アドバイスを貰い実践しました。 それまで腰が何度鍼をしても板のような感じがしていたのが、3日車を運転しながら、叫んだだけで嘘のように収まりました。
大阪のメソッドに参加して、色んな仲間と知り合え随分安心できました。苦しんでいるのは自分だけじゃ無いんだと!今も症状はたまに顔だします。 でも、以前のような不安はありませんし、それはそれで、受け止められるようになりました。
そしてなんとなく、気楽に構えられるようになりました。なにより長年に渡って僕の前に立ち塞がっていた大きな扉が、ようやく開き始めた気がします。
― 追記 ―
ストレスは常に自覚していたから「ストレスですね」と言われすぐに納得出来た。 ただどのように対処したら良いかわからなかったし教えて貰えなかった。
今まで数多くの医者や治療家に出会ったが、一人のドクターを除いては、不安を煽られはしたが、患者を安心させる言葉をかけたのは、皆無だった。 自分も治療する上で、また自分の身分を守る為、患者教育と言う名のもとに、どれだけ多くの呪いや不安を与えた事か。
今は安心を与えるのが治癒にどれだけ大きな力を貸すのかが良くわかる。
ただ病気をあらゆる面から、推理、洞察する力、安心させる為の、医学的、生理学的、科学的裏づけの勉強が必要になって来たと感じています。
2004年01月30日(金) |
腰 痛 体 験 記 (2) |
今回はダン吉くんの体験記です 彼も腰痛歴はとっても長いので
投稿文も、とーーーーっても 長~~~いものになりました
あ、ダンちゃんだからね(^-^;
:::::『あきらめないでください』:::::
腰痛体験記(1999~現在)
1. これまでの経過
高校、大学、社会人とバレーボールをやっていた。 ポジションは、エース。全力ジャンプの回数は、すさまじく、21万回にもなる。腰がおかしいと感じだしたのは、大学生の頃だ。 座って、腰を揺すると、お尻からごきごきと音がしていた。ひどく腰を痛めたのは、20台後半だ(14年前)。当時考えられた理由は
①ジャンプの衝撃により、背骨(椎間板)が弱っていた ②少し腰が痛かったが、無理して走ったため ③会社でストレスが激しかった ④重い実験装置を一人で動かした ⑤バレーボールの現役を引退後数ヶ月後なので、たぶん筋肉も落ち始めていたのだろう ⑥アンバランスな鍛え方で、腰椎の前湾が小さくなっていた。
等の理由と思っていた(後に、この理由でない事がわかるが・・・) 当時は、腰痛の後、脚も痛くなってきた。後半は脚の痛みが主体だった。正常(?)に戻るまで、数ヶ月ほどかかった。
その後、ほとんど毎日の腰痛体操と、週1回のトレーニングは、続けていた。 バレーボールも、たまにやり、普通にスポーツもしていた。 しかし、腰痛(ぎっくり腰)は、年に1から2回ぐらい発生していた。
1999年4月くらいから、エアロビクスに、はまり出す。エアロビクスに、はまり出して、腰痛も結構起こっていた。 5月、 7月、 8月と 短い期間に3回も、腰痛を起こしている。 8月ぐらいから、右太股裏側に変な痛みを感じる(特に朝)。 また、筋肉トレーニングの座って膝を伸ばすレッグエクステンションは、腰が痛むため、できなかった。
10月に、入ってから、ストレスを感じる事が多く、その反動で、ますます エアロビクスに、はまっていく。 この頃は、ジャザサイズに はまり、週に3回も 通っていた(それプラス1日は、筋トレもしていた)(疲労も、あったのでは? あまり疲れを、感じなかったが、自立神経の異常か?)
2.痛みの再発
1999年10/20 朝の体操で、腰を痛める。上半身を回していると、体を反った時、左腰にぎくっときた。やってしまった…あーーあ、やってしもた !!
10/22 朝から、左太腿裏側、お尻に激痛が 走る。会社は 休んだ。夕方、○○整形外科の治療を受ける。好転しない。
☆ 腰痛と脚の痛みがさらに激化 ☆ 10/25 ~10/31 毎朝目覚めると、左脚のスネ外側がピリピリ痛む。少しでも動くと、ピリピリと痛む。まるで、ナイフで、フクラハギを刺されて、ぐりぐりするような感じだ。 朝の1時間ぐらいは、地獄だった。体が少し温まると、かなり痛みは和らぐので、30分くらい激痛に耐え半べそかきながら、部屋の中を歩きまわった。不思議と30分くらいで痛みはかなり減った。朝のトイレでも、体が左に傾いたままだ。真っ直ぐにすると、痛い。(正確には、まっすぐ できない)
この痛み方は、かなり、やばいと感じていた。(腰から脚へ痛みが移動する) 毎朝、起きた時に強烈な痛みを味わうため、朝 起きるのが、恐怖だった。 ○○整形外科(AKA)で治療を受けるが、全然好転しない。
☆ 椎間板ヘルニアと診断される…ショック ☆ 11/5 ○○病院で、MRI撮影を受ける。腰椎の4番、5番間の椎間板が黒く変色し、痛んでいる。4番5番間は椎間板が 後ろに出ていた。
ヘルニアだ。ショック、ショック、ショック !!
又、3番、4番間と5番、仙骨間の椎間板も、黒く変色し、痛んでいた。○○先生の診察で、保存療法でいく。さらに、痛みが悪化した時のみ、手術をするそうだ。
この頃は、治るのか、悪化するのか わからず、毎日 すごく不安だった。 N式ストレッチも、方法が、よく わからない。前屈すると、激痛が走るけど、やっていいのかな ? どれくらい、やれば いいのかな ? かえって、悪くなれへんかな ?
11/15 今日から、駅から歩くのをやめた。朝は、左フクラハギが、痛む。今日ぐらいから、会社で、座っていても、左太腿の裏に鈍痛がある。体が温まっても、歩くと 左太腿に鈍痛がある。やばいかな。先輩の場合も、フクラハギ、太腿、腰に痛みが来たそうだ。
但し、先輩の場合、フクラハギの痛みが慢性化、激痛化してる。僕の場合、フクラハギの痛みは、少し減っている。もう少し様子を見よう。薬は、晩だけにした。なるべく薬を減らすつもり。 駅からの帰り道に、左脚がかなり痛い。まともに、歩けない。歩くのが、大変。やっぱり手術かな? 電車で立ってたのが、悪いのかな ? そんなに大した疲労じゃないけどな。晩飯後、即寝る。明日、 大丈夫かな ?
☆この頃から、N式ストレッチのコツに気がつき前屈を始め、症状が好転しだした。一時的に痛みはなくなった(結局、プラシーボでした)☆
前屈で、激痛は、あるが、時間をかけて、じわーと 伸ばしだした。じわーと伸ばすと、激痛が、すこしマシになってくる。
11/16 朝の痛みは少し引いた。バスに乗って会社には、来れた。薬は飲んだ。 ここまでは、昨日と同じ。昨日は夕方から 脚の痛みが出てきた。 N式ストレッチで、気づいたことがある。体前屈をすごく、やっていることだ。 風呂上りに、体前屈を熱心にする。かなり 曲がりだした。その後、フクラハギが痛い。
11/17 朝、4時に起きた。風呂に入ってから、体操、バラコン運動、ストレッチをする。 体が温まっていると、体前屈が、結構曲がる。 フクラハギの痛みも、減った。腰の調子も いい。何より、普通に歩け出した。すごく、うれしい。調子がいいので、駅から、会社まで 歩いた。(歩行速度は、遅 い。おばちゃんに抜かれる)少し、フクラハギに鈍痛があるが、大丈夫そうだ。午前中、立ち仕事をする。 帰りに、少し脚が、痛かったが、大丈夫そうだ。薬は、完全に止めた。
11/20 ~11/23 連休 朝の脚の痛みは、かなり小さくなっている。朝、5分ぐらいで、ほとんどなくなる。連休中は、朝 ゆっくり体を温めて、バラコン体操、ストレッチをやる。朝から、前屈で、地面に指先が着いた。昼間は、なるべく正しい姿勢で座るように、心がけた。
晩には、ストレッチ。ヘルニア治療のストレッチは、なんとか全部できるようになった。
11/30 朝の痛みが、相当減っている。朝のトイレで立っても、脚が痛くない。いままで、 朝のトイレでは、体が左に少し傾いていた。いまは、傾かなくなった。また、真向法の第1体操が、朝から できた。堺東から歩く。
最近、晩のストレッチ後、左足の指先が、やけに冷えることがある。これも、ヘルニアのためか ?
12/28~2000年1/5 正月休み。ほとんど毎日の朝晩のストレッチとバラコン体操を行う。朝のバラコン体操では、ほとんど痛みもなく、腰回しが、できるようになった。 歩く距離、時間は、かなり伸びてきた。元日には、2時間近く歩いた。歩く速度も、成人男子並みになったようだ。体前屈は、全部の指が、畳に着く。このレベルから、中々伸びない。この頃から、朝、真向法の第1体操をすると、右足、フクラハギに鈍痛がある。この鈍痛は、風呂で暖まると、なくなった。 ほんとに、良くなっているのかな ? 少し不安 ? 治療の初期からみると、良くなっている。良くなる傾向の中で、上下があるのかな ?それとも 良くなる前に反動で、悪くなるのかな ?
2000年 1/6 初出勤の日。通常生活では、朝の脚の痛みは、ほとんどない。ただし、朝に、ストレッチをすると、脚が痛い。フクラハギの凝りは、ほとんど ない。バラコン体操の腰回しも、痛みなく、回せる。
朝は、駅から会社まで普通の速度で、歩く。歩いている時、鈍痛が、あちこちに、移動する。右腰、左腰、左足と移動した。昼ぐらいまで、右脚フクラハギに鈍痛があった。夕方ぐらいから、左足フクラハギに鈍痛がある。帰りは、普通の速度で、歩けた。たまにズキとするが、大丈夫のようだ。
1/8,9,10 腰の調子は、かなり いい。自宅から実家まで、歩いていても、特に 痛みは、ない。また、足の裏が、ほかほかと暖まってくる。血の循環が、かなり いいようだ。 10日の朝、歩くと、汗が噴き出してきた。かなり、良くなっているようだ。 (腰痛発生後、こんなに足の裏が、暖まることは、なかった。また、汗がでる程、暖まることもなかった)
2/1 ○○病院で、椎間板ヘルニアのMRI撮影をしてもらう。ヘルニアは、少し小さくなったらしい。そして、黒く変色していたのが、やや白くなってきたらしい(僕の目からは、ほとんど同じに見えた)。しかし、まだヘルニア根は、あるので要注意だそううだ。○○先生の診断では、軽いスポーツは始めて良いそうだ。 半年間ぐらいは、水中歩行、水泳、筋肉トレーニング、ストレッチで 体を作っていこう。
まず、今年の5月くらいまでは、このスケジュールで進む。ヘルニアが完治するには、どれくらい時間が、かかるのかな ?半年、1年ぐらいのスパンで、考えるべきだろう。
2/4 ○○理学診療所(AKAの本家)へ行く。仙腸関節が腰痛の原因とする考え方。腰のあたりを押したりする。特に痛みは、ない。普通の整体から比べると、物足りない気がする。僕の腰の調子は、変らない。むしろ、少し悪くなった気がした。 先生 曰く、ヘルニアが出ても、気にしなくていい。みんな(確か7割ぐらい)出ている。放散痛は、関節から発しているそうだ。(この辺は、信じられなかった)
また、一週間、様子を見て、大丈夫なら、どんなスポーツをしても、いいよと 言われた。(これも、信じられなかった) 自分の感覚からは、まだ無理は、できない。疲労のため、左脚太股の裏に、鈍痛がある。地道にストレッチとトレーニングを続けよう。 2000年の4月で半年、10月で1年になる。体が、柔軟になるまでは、ストレッチと水中方向と筋肉トレーニングで、進もう。完全に柔軟になってからエアロビクスをやろう。
3.その後 ぎっくり腰の再発 ・・・ TMS理論との出会い
その後もストレッッチを続け、2001年の春には、通常生活への支障は、ほとんどなくなりました。大好きなエアロビクスも、できるようになりました。 ところが、2001年春頃からぎっくり腰がポツポツと出だし、しだいにひどくなり、月1回が週1回となってきました。もちろん、ストレッチ等の治療は 続けてるのにです。また、「姿勢に気をつける」「重い物をもたない」等の制約も ありました。座ってる時も姿勢を気にしていました。
「なんで腰痛になるんや!!」というモヤモヤした疑問が噴出し始めました。また、「腰痛におびえる生活はいやや!!」とか「もっと自由にスポーツがしたい!!」という気持ちも ムクムクと沸き上がってきました。
この頃、出会った本が「腰痛は怒りである」(春秋社、長谷川淳史著)です。内容は、TMS理論です。簡単に言えば、腰痛は筋骨格系の歪みから生じているのではない。痛みは、筋肉、血管、神経そのものに起きている。その原因は、精神的なものである。というものです(詳細は、TMS理論のホームページを見てください)。
もちろん最初は、こんな考え方、信じられません。それが、通常の反応と思います。ところが、本を読み進むにつれて、腰痛へのいろんな疑問がすっかり解けてしまいました。
僕が持っていた主な疑問は、次の通りです。
1.僕のヘルニアは左側にあり、脚も左脚が痛むのですが、たまに右脚に痛みが移るのは、なぜ ? 2. 世の中のは、姿勢が悪くても、まったく腰痛知らずの人がいるのは、なぜ ? 3. 1度、ひどい腰痛を経験すると、ずーっと(少なくとも10数年以上)腰痛持ちな のは、なぜ ?
1は、痛みの原因が左側のヘルニアじゃなく、筋肉、血管、神経に痛みが発生するので、血流が悪い部分が痛むんからなんです。原因がヘルニアなら、右にヘルニアが移動したことになります。一晩で、ヘルニアが移動するくらいなら、ヘルニアによる痛みなんてたいしたことない訳ですけどね(痛みは一晩で移動しました)。
2は、筋骨格系の原因じゃないからです。世の中には、姿勢が悪くても、腰痛のない人ってたくさんいます。ヘルニア持ちで痛みのない人、ヘルニアがないのに 痛みのある人、もいますね。
3は、条件反射と言われています。パブロフの犬の実験と同じようなものです。一度、ひどい腰痛を体験すると、その時の行動と痛みとを結び付ける記憶ができあがるそうです。同じ事を繰り返すことや 世間の腰痛の常識によって、記憶は、より明確になる訳です。僕の場合は、腰痛歴14年になります。
これらの疑問が解けてから、TMS理論は ほんものと直感しました。 2001年春から、真の健康人となるためにTMSプログラムを、本格的に始めました。 僕が主に行ったことは、本の再読、ストレスリストの作成、アファーメイションです。 本の再読は、その通り、「腰痛は怒りである」の再再読です。ちなみに、今では本は、ぼろぼろです。 ストレスリストは、日々の怒り、不安等をノートに書く作業です。この作業を始めてから、わかったんですが、自分が毎日、怒ってる事に気ずいてなかったことです。これには、驚きました。これが、精神的な原因かと初めて合点がいきましたね。
プログラム始めてから、4ヶ月くらいして、ぎっくり腰の頻度が減ってることに気がつきました。週1回が月1回になり、3ヶ月に1回になってました。 ぎっくり腰の頻度よりも、ぎっくり腰に対する恐怖が全くなくなりました。痛みの原因は、精神的なものなんですから、当然ですよね。今じゃ、ぎっくり腰が起こっても普通に会社に行きますよ。2日から3日ほどたてば、ほとんど治りますね。
あまり、進められない方法ですが、一度ぎっくり腰になった翌日に、無理してエアロに行った事があります。やはり2~3日で治りました。スポーツは、な~~にも悪くなかった ・・・
4.腰痛知らずになっちゃった ・・・
今では、大好きなエアロもガンガンにやってます。「ジャンプして大丈夫かな?」とかの不安がないので、思い切り、激しいエアロを楽しんでますよ。
車の運転も、大丈夫ですね。往復2時間くらい 運転したことありますが、腰は、なんともありません。 会社でも 座りっぱなしの仕事です。1日10時間以上は、座りっぱなしですが、腰は、大丈夫です。回りの一般人の方が、腰が痛いと ボヤいてます(苦笑)。 自宅でもソファーで、あぐら組んで、テレビ見てますよ。
2002年の2月初めには、スキーに行きました。3年ぶりでした。思い切り楽しめましたし、思い切り こけました(かなり下手になってました・・・)。もちろん、腰は、なんとも ありません。
TMS理論は、既存の概念と異なるため、すんなり受け入れる人は少ないようです。どうしようもなくなって、受け入れる人が 多いかもしれません。そういう人達が、治ってます。
僕は、TMS理論を行って、ほんとに完璧に治ったんです。これは、真実です。 おかげで、今では、自由になんでもできる体です。北海道スキーにも行きましたし、全く普通の人に戻れたんです。
少しでも腰痛で苦しんでる方の、励みになればと 投稿しました。 腰痛におびえず、自由になんでもできる生活に 戻れます !!
あきらめないでください 腰痛は治ります!!
2004年01月29日(木) |
腰 痛 体 験 記 (1) |
年代も子供の年も同じkobyちゃんとは 悩みも不安も共通するところが多いの
昨年の夏にあった北陸オフ会では 二人で朝まで語り合いました
こんなメールをくださったのも彼女です 【コンニャクゼリー】
そしてお願いを快く受けてくださり 最初に届いたのがこの体験記です
:::::『 焦らず、くさらず、あきらめず 』::::: [ 1 ]
2002年9月『腰痛の広場』の掲示板への投稿をきっかけに私はTMS理論と出会うことになりました。その書き込みで私は「31歳の時初めてぎっくり腰になり・・・」と書いています。
今思うとすでに20年以上前にぎっくり腰になってるし、さらにそれより前に長男を産んでから、よく腰が痛くなっていたんです。
でも自分で「腰痛患者」と言う認識はありませんでした。その頃は痛みを恐がっていなかったし、痛みにとらわれることがなかったから。。。
今から17年前、私は夫の転勤で大阪から石川県小松市に引越ししました。 その翌年。結婚後初めてスーパーにパートに出たんです。勤めだして1ヶ月仕事に慣れてきた頃にぎっくり腰になりました。 (かがんだ瞬間にビビビ~~電気が走ったような衝撃でまさに魔女の一撃でした)
「ぎっくり腰はクセになるよ。」に始まって、他にも諸々の呪いの言葉(一般的に腰に対する常識と思われている間違った情報)を聞くうちに、私の頭には『腰』の文字が常にあり(腰に対するこだわり)急性患者からりっぱな慢性腰痛患者になっていきました(^_^;)
翌年またぎっくり腰になり、その数日後には出産時よりも凄まじい泣き叫ばずにはいられないような、激痛に見舞われ、その時のことはしっかり私の脳にインプットされてしまったのです
小松市にいた間は、整形外科→整骨院→鍼灸院→カイロプラクティック に通いました。
奈良に引っ越してきてからは、小松で診てもらっていたカイロの先生が月2回寝屋川市(大阪府)で診察しておられたので、片道2時間ぐらいかけて通っていた時期もありました。
その後 整体→整体+カイロ→無痛バランス療法 というように治療方法を変えました。
腹筋・背筋が弱いから、身体が硬いから腰痛になるんだ。。。と言う思い込みからトレーニングにも通いましたし毎日かかさずストレッチもしていました。(今は健康の為に続けています)
腰にとって良くない事はせず、仕方なくする時はコルセットを巻いて・・・
日常の痛みは、まだ我慢できる範囲のものだったのでぎっくり腰にならないように『上手く腰と付き合っていこう』とまるで爆弾を抱えているかのようにこわごわ生活していました
[ 2 ]
今から7年ぐらい前に、無痛バランス療法の治療者の方から「一日中家に居てると腰のことばかり考えるしかえって良くないよ。パートにでも出てみたら?」と言われたのをきっかけに今のお米屋さんにパートに出ることになりました。
「エッ、腰痛持ちの人がお米屋さんなの?」ってよく言われますが、自身の体験から『ぎっくり腰』と『重いものを持つこと』は私の中では無関係だったのです。
しかし、40歳を過ぎた頃から何度かぎっくり腰を繰り返すようになり、その度に条件付けは増えていき、ますます快適ゾーンは狭くなっていきました。
私の場合、一度ぎっくり腰になると、一週間は寝たきり同然で(トイレは這っていき2,3日は食事も寝たまま)
その後の一週間も、布団は敷いたままで、炊事をしたら横になり、洗濯をしたら横になり・・・と言う状態。
仕事に復帰するのは発症してから1ヶ月ぐらい経ってからでした(>_<)
2002年8月実家に行く車の中でぎっくり腰発症!
それまで3月や11月頃の季節の変わり目にばかりにやっていて夏は比較的安心できる時期だったのに・・・ショックでした!
「なんて、私の腰は弱いのか・・・」 「こんなに気をつけて暮らしているのになんで?」 「このまま年老いていくと私はぎっくりをきっかけに一生寝たきりになるのでは・・・」
すっかり精神的に参ってしまって仕事を辞めることも考えました。
でも「このままでは本当にダメになってしまう・・・なんとかしなくちゃ」と思い直し、以前見たことのある『腰痛の広場』の掲示板に投稿したのです
[ 3 ]
広場への書き込みにはいろんな方からアドバイスを頂いたのですが、その中で「僕は『サーノ博士のヒーリングバックペイン』を読んだけで治りました」と言ってTMS理論を勧めてくださった方がいたのです
TMS理論の名は、以前広場で見て知っていたのですが、その当時は大して関心もなく、その内容を詳しく知ろうとしなかったのです(^_^;)
でも、この時は数ある中からなぜかその方のアドバイスに魅かれてTMS理論のHPを見てすぐに本屋さんに行きました。
『ヒーリングバックペイン』(白本)は取り寄せし『腰痛は怒りである』(赤本) を買って帰りすぐに読み始めました。
読み始めてすぐに「まさに私の腰痛はTMSに違いない!」と確信し、本文中の「必ず治ります」と言う言葉にハゲまされ読み終えたときには、目の前がパァーと明るくなり、傍にいた息子に「私は治るんや!」って興奮して話したのを覚えています。
それからTMSの掲示板をROMしてしばらく迷った挙句に、思いきって投稿しアドバイスを求めました。
多くの方が私を理解しハゲましアドバイスを下さいました。
皆さん同じ痛みを経験した人たちばかりなので、本当に心から理解してもらえたと実感できて嬉しかったですねえ~ 涙が出ました(;-;)
私が行ったプログラムは
・赤本・白本の読書療法 ・ストレスリスト ・赤本のCDを聞く ・アファーメーション
等です
そして目標を設定し、掲示板でハゲましてもらいながらチャレンジ、達成したら報告し誉めてもらうことを繰り返すうちに、徐々に腰に自信を持つことが出来るようになりました。
いつまでも恐怖心が消えずついつい焦っていた時には 「焦らず、くさらず、あきらめず」 の言葉にハゲまされケイしゃんの日記で加茂先生の話2002年8月4日日記参照を読んだ時は、自分がいかに『完治』にこだわっていたか、気づかせてもらいました。
他にも多くの『気づき』を得る言葉にふれ、お陰様で腰を気にせずいろんな事を楽しめるようになりました。
そうそう、MSジャパンのセミナーを受講したのも大きなきっかけでした。 今でも時々痛くなることはありますが『恐い』と感じません。 腰を理由に何かをあきらめる事はもうないのです!
TMS理論のお陰で自身の心と真正面から向き合ううちに『痛み』だけでなく、生き方そのものについても教わったように思えます。
また、痛友とも呼べる素敵な仲間たちとも知り合う事ができて、今では「腰痛になって良かったかも。。。」って思えるのです。
今痛みのある方も決してあきらめないで下さい! TMSなら必ず治ります!! まずは数あるプログラムの中から、自分にあったものを選んで何か始めてみませんか?
小学生の頃から作文が大の苦手で文才もないために、ダラダラと長い文章になってしまいました(^^ゞ 最後まで読んでくださってありがとうございますm(__)m
この体験記が少しでも誰かのお役に立てば幸いです。
昨日近所に住む叔母が救急車で運ばれました
突然、 「歯が痛い、喉がつまる、とにかく辛い」 と訴え近くの総合病院に運ばれましたが 症状が酷く、少し離れた県立病院に・・・
病名は 大動脈解離
高血圧が引き金になるようですが 多くのケースは予防不能とあります
転送された病院ですぐに手術 8時間も掛かる大手術でした
終わったのが今朝の午前3時くらいでしょうか
意識は戻ったものの まだまだ余談を許さない状態です
このところ心配事が続いていて 苦労の多かった叔母ちゃんです
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