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727の日記です(ゝ_σ)


2023年03月16日(木)  やっと忌明け… え?もう忌明け?

瞳閉じてもそこに愛をくれし君の懐かしき声がしないRIE727です。ども。
現実は…シーンとした家の中で 家族がみんな逝って誰もいないってことを実感させるわ。やだわ。


もうずっと猫のチーソゥとばかり話しをしてるんで、ますます思い入れが強くなっちゃいそうで。 チーソゥにもし何かあったら あたしもうどうなっちゃうんだろうかと すげー弱気なこと考えてますが…。 まぁ、ほとんどは 話してるというより叱ってるんですけどね。 チーが いたずら過ぎて。


そして 誰もいなくなった実家問題。
水道光熱費の基本料金や固定資産税をどうしようかとかね。
2軒分のお金を払うって、現実的に考えると ほんと無駄な気がして。
でも、しばらくの間は 実家は実家で水道光熱の確保しとかないと…。
おトイレに入るだけでも電気代と水道代がかかるし、やっぱお湯を沸かすならガスも必要。
カセットボンベやIHヒーターはあるんで、停めるとしたらガスだろうけど ガスが1番基本料金が安いんだよね。実家でお風呂には入らないから月2千円台で済んでる。
水道代はこの市は高い。水を一滴も使わなくても基本料金だけで2か月5千円近く取られる。
まぁ、高いのは電気代ですよ…。とくにここ最近の値上げはとんでもねーな。オール電化が安全ですよなんて言われて しかもソーラー無しの家なんて 詐欺られたようなもんじゃないか?

って、よそんちの心配より自分ちの実家よな。

お墓参りひとつにしても 生花って高い…。
外で直射日光を浴びてたら切り花じゃ日持ちしないし。
四十九日の間くらいはと、毎日お墓に生花を欠かさないように気をつけてたけどさ…。

親がまめにお墓に行ってた意味がわかりましたわ。お花を保つにはお水も毎日注がなきゃなきゃなんだよね。
本音としては…お墓ってめんどくせぇ。

早いもんで もう弟の四十九日。
両親の葬儀やなんやかんやの儀式的なことを 生前からいつも「こんなにお金がかかること要らねーよなぁ」と本人が言ってたんで お墓参りだけで済まそうかなと思ってるけど せめて位牌は作らないとね。白木のままじゃね。
親が6寸の位牌なんで、同じにするか5.5寸にするか5寸くらいでもいいかで悩んでる。
0.5寸の違いだけでも値段がだいぶ変わるのよねぇ。


家族がみんな先に逝ってしまったのは 言葉にできないほど悲しくつらいんだけど、その反面 面倒なこと全てあたし1人に押し付けて逝きやがって…とも思うわけですわ。
仏壇ばかり賑やかになって シーンとした実家で 黙々と片付け作業をしてると 虚しくてね。
あー、気が弱い母はこうやって あの震災で崩壊した家の中 精神的に追い詰められてたのかなぁとか思ったり。

そんな時、ふっと 誰かからLINEきたり 何か送られてくると 救われます。
アホなこと考えず、負けず、泣かず、あたしはもう少し生きていかなきゃな って。
まだやらなきゃいけない使命みたいなもんがたくさんあるし。

ということで、北海道の昔からのネッ友さんに 大好きなロイズのポテトチップチョコレートを送っていただき 頑張って生きよう!!って思った単純なあたしです。

ありがとう様です。


■AM 8:11



2023年03月05日(日)  情けない女でごめんよ

ハスッパな夢に気絶しそうなRIE727です。ども。


やっぱダメだー。この時期は地上波テレビは見たくないわ。
ちょっとニュースだけでも…なんてテレビをつけると、震災関連の話題ばかりで。
相変わらずトラウマ治らないな。
情けない女だわ。

津波で父を亡くし、ほぼ崩壊した実家ですぐに後追い自殺した母。それを見つけた弟。
弟はその後ストレスからいろんな病気になってしまって、ずっと治療を受けてたけど結局逝ってしまったわけで。
弟が逝った時、12年経っても我が家の震災はまだ続いてるんだなって思った。
たぶん 一生続くんだろうな、これ。

あたしは自分なりに強く生きてるつもりなのに、結局ヘタレなんだわ。
もう同情されたくないし、気をつかってほしくない とか思ってるくせにさ。
やっぱ傷ついたまま癒えないものってあるんだな。

でも、こんなあたしにも声をかけてくれたり相手をしてくれる人がいるってのは 幸せなことだと思う。
だからまだ生きていける。


■PM 10:23



2023年02月17日(金)  値上げの波

砂漠の荒野に倒れても 長い鎖につながれても 明日は明日の風の中を飛ぼうと決めたRIE727です。ども。


位牌、高いっす。
墓石の名彫りも高いっす。
12年前の倍っす。
インフレこんなとこにもかよ…。

そんでもって、戸籍謄本の高さよ。
1本だけでも750円っすよ。
銀行やその他各所の手続きに 弟の除籍された謄本と あたしと弟が姉弟という証明の謄本と あたしの名字が一瞬だけ変わったせいで、その証明の謄本が必要なわけですよ。
つまり 姉のあたしが弟の代理で解約や解除に使う戸籍謄本が毎回3本ですよ。多過ぎっすよ。 手数料も加算されたりして、銀行によっては解約に赤字の場合もあったり。
やっと何件か終わったけど 正直もうこれ以上、やりたくない…。面倒だしお金かかり過ぎる…。


ほんとね、急に自分にもしものことがあった場合、残された人が困らないように ちゃんとしとかないとダメだなって思います。


田舎なもんで、四十九日の忌明けまでは物を送るのは縁起が悪いから嫌われるとか 忌中の挨拶状や礼状に句読点は使ったらダメとか めんどくさい決まりばかりで あーなんかもうやんなっちゃうなー。
ただでさえ精神的にも体力的にもキてるのにさ。
なんだかんだといろいろあって まだまだ落ち着けない日々です。

仏壇に向かって「ったくもう ケンちゃんてば ずるいよ」とか文句言いながら 地道に作業してますわ。

そんでもって、ケンちゃんの戒名が素敵なのはあたしの人脈のおかげだぞ。
ギター弾くのが好きだった弟のために「新たな世でも やさしい音色を響かせるであろうと つけさせてもらいました」って、弟は『開響健悠信士(かいきょうけんゆうしんじ)』という戒名になりました。
良い戒名をつけていただき、長照寺の御住職には感謝です。


さぁ もう少し頑張りましょうかね。


■PM 11:11



2023年02月07日(火)  納骨まで終了

あの君の言葉どこに仕舞えばいいのだろう と考えてるRIE727です。ども。

弟が1月27日の深夜に逝きました。逝っちゃいました。
最期は、手を握り顔に触れることが出来ました。
まだ温かい弟の体。
「最後の診察をさせていただきます」と言われ、臨終の言葉を聞いてもピンとこなかった。
でも、ただただ涙が出た。
「頑張ったね でも疲れちゃったんだね もういいよ 苦しくも痛くもないでしょ?」と、声をかけた。

結局 父と母と同じで 何も話せないままだった。
悔いばかりが残る。
最初の心停止する数日前に会った時、なんでもっといろいろ話さなかったのかなって悔やむ。
心停止する1カ月くらい前、買い物に一緒に行こうかなと思った時、なんで電話しなかったのかなとか。
あんなにお喋りだった弟はもう喋ってくれない。

でも、 時間問わずにかかってくる病院からの電話に動悸しながら出ることはもう無いんだな…という、安堵もある。

病院てさ、何かしらの処置や治療や手術するたびにサインサインなんだよね。
サインした書類の枚数、50枚以上あったぞ。 弟みたいな場合はまた特別なんだろうけど。


身内はあたしだけだった弟が亡くなって 唯一、救われたのは 弟の死に号泣してくれる人があたしの他にもいたことだった。
弟が高校の時から30年以上の親友でいてくれた人の存在が 本当に嬉しかった。



死後すぐに安置された斎場で あたしは朝からやることがたくさんあってそばにいてあげられなかったけど、その親友くんはずっとそばにいてくれてた。
「しょうがねーなぁ、おまえはほんと」って文句言いながらも泣きながらそばにいてくれてた。

お花や 一緒に行ったライブのグッズや思い出の品を御棺に添えてくれた。

本当にありがたかったし助かった。
火葬は平日だったのに「何のための有給ですか!こういう時のためですよ!」って、火葬で骨まで拾ってくれた。

1人でもそんな人がいてくれたら それだけでいいんだよね。
大勢の知り合いよりも 数少ないけど心から泣いてくれる人がいれば、それで弟は幸せだったんだと思える。 弟はエキセントリックでわがままな子だったんで、そんな弟なのによくもまぁ親友くんは仲良くしてくれてたもんだなぁ‥と。

PARSONSやARBや布袋やその他のライブは、必ず弟はその親友くんと行ってた。
弟はとにかくライブに行くのが好きだったんで、親友くんといつも一緒に出かけてた。旅行やキャンプにも親友くんが誘ってくれてよく2人で行ってた。

親友くんと弟で あるライブに行った時、終わってから帰りに弟が見つからなかったという。そしたら「キースが客席にいたんで出待ちしてサイン貰ってきた!」と、「まだいるからおまえも貰って来いよ!」と、意気揚々と嬉しそうだったとかね。
「昔 奴と一緒にライブの時、俺じつはお姉さんの180SXに乗ったんですよ!たまたま何かで奴のサーフと交換していて 180SX速ぇぇぇー!って言いながらライブに行ったの憶えてます」とか。
他にもあたしの知らないことをいろいろ話してくれた。
そういえばそんなこと言ってたなぁとか もうあたしにはおぼろげな記憶の話しもあった。
親友くんはなんでもクリアに憶えててくれて 本当に仲良くしてくれてたんだなと。ありがたいなと。よかったなと。


あ、拝んでもらう住職さんんで悩んだ。
両親の時のご住職はもう亡くなられてて、今は知らない人が跡継ぎをやってるみたいで。
だったら 昔から仲良くしてくれてる住職さんがいいなと思い、おめこ祭りの長照寺の栄昶さんに電話してみた。
ご無沙汰してるのに、快く引き受けてくれた。 わざわざ茨城県神栖市から来てくれると言う。
30分以上フルで読経してくれた。
「四十九日まで毎朝のお堂での読経の際に弟さんの供養もさせてもらいます」と。
ありがたい。
皆さんも 1人くらいお坊さんと友達になっておくことをおすすめします。いざという時に本当に助かりますよ。
って、栄昶さんは やさしくて人柄も物分かりも良い特別なお坊さんなんだけどね。
栄昶さんのYouTubeチャンネル

納骨が済んでも やることがまだまだ残っているけど、ここからはゆっくり無理せずやっていこうと思ってます。
怠けてる? や、少しだけ怠けさせて。

しかしまぁ…やっぱ寂しいね。
いい歳になっても あたしには可愛い可愛い弟だったからね。


■AM 11:46



2023年01月24日(火)  弟を見送らなければいけない

弟が6日に心停止し、今日は23日の深夜過ぎ 24日の午前? もう18日も経ったのか…。まだ18日しか経ってないのか…。 時間感覚がちょっとよくわからない。

その後もまた心停止があり、あたしが駆け付けた時にはまだ騒然とした感じで、弟のベッドを何人もの医師や看護師さんが囲んでいた。

さすがに2度目の心停止の時はやっぱりダメなのかと思ったけど、あらゆる蘇生術をしてもらい、なんとか持ちこたえてまた心臓を動かすことが出来た…と、医師から説明が。

今回の2度目の心停止の原因は不整脈のせいだから、すぐにICD(ペースメーカーのような物)を埋め込む手術をしたい と。
先生達がそれが良いと言うならあたしはもちろん従うしかない。


この少し前、人工心肺装置を抜く手術の説明を受けた。
人工心肺装置さえつけていればずっと生きていられるというわけではなく、感染症やその他の臓器へのリスクも高まり、実際 感染症の炎症の数値というのが上がり続けていると。
「そろそろ人工心肺装置を取った方が今は良いと思われます」と。
あたしは「お任せします」と頷くだけだったけど、先生が「ただ心臓が耐えられず 装置を取ってすぐまた心停止する可能性があります。その場合にどうするかが問題ですが、どうしますか?」と。
それは、あたしに弟の心臓をそのまま停止させる つまり死ぬのを決めるかどうかという質問だった。
「もう1度またすぐに心肺装置をつける手術をしたとしても、その場合の心臓を動かせる期間は長くは無いですし、感染症の数値もまた急激に上がります。」と。

「お姉さんが、その場合の答えを考えておいてください。」と。

困った。
あたしが弟の命の決定をする?
あたしにはその場での即答は無理だった。

「他の同じようなケースの場合、ご親族はどうされてるんですか?」と聞いたら、「患者さんがご高齢の場合は、もうそのまま逝かせてあげて下さいと言われることが多いですが、弟さんくらい若いと、なんとか延命をと願うご家族もいらっしゃいます。ご本人の意識も無く」と。

延命措置をするかしないかをあたしが決めるのか…と。

情けないけどあたしには決められず、とても悩んで、結局「弟の体と気力の限界まではお願いします。それが弟の選んだ寿命だと思うので。」と言った。
せめて意思疎通が出来るまで回復させてもらい、少しだけでもいいから話しがしたかった。


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と、ここまで書いていたら 深夜2時頃に病院から電話があった。

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そして、今、25日の夜8時半。

24日の深夜から、また不整脈が出て心停止し、あらゆる手段で対処してもらった。
ICDや、2度目の人口心肺装置をつけたまま カテーテルアブレーションという不整脈を和らげる手術もしてもらった。

深夜の電話で病院へかけつけたあと、面会できたのが 25日の夕方7時頃。
たくさんの医師チームの中でリーダー的な先生から話しがあると言われ待った。

先生は「弟さんの限界が来ました。 カテーテルアブレーションで良くなればと思いましたが、更に不整脈が悪化しています。 ずっとICDが作動してる状態のままです。もう心臓が限界だったようです。 二度目ですし、炎症の数値も普通の人の300倍です。 このままでは あと数日。早ければ1日から2日です。」と。

心の準備をしていたけれどやっぱりまだ出来ていない。
寒いんだか怖いんだかわからないけど、手が震える。

そうか、ケンちゃんもうすぐ死んじゃうのか。
悲しいな。
悲しいよ。

お父さんを津波で亡くし、お母さんがすぐ後追い自殺し、最期に何も話せないままだった。
ケンちゃんも、何も話せないまま急に逝っちゃうの?
話したかったよ、もう少し。
何も話せないまま意識不明のまま逝くなんて、悲しい。


認めたくないけど認めなきゃいけないってことをあたしは何度してきたんだろう。



■PM 8:55 (1月25日)


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