ビー玉日記 | きのう もくじ あした |
2006年06月03日(土) ハリーに考えさせられたこと 「ハリー・ポッター」の第6巻を読んでつくづく考えたことがある。 それは最近とても反省していることでもある。 例えば、自分が深く考えずにやったことで誰かにものすごく迷惑をかけたり、助けてもらったりすること、とか。 誰かのことを偏見をもって見てしまうことがあったり、とか。 (特に時間に追われている時なんかに)自分が正しいと思っていたことに対して意見を言われるとちょっといらだって反感をもってしまったり、とか。それが態度に出ちゃったり、とか。 そういうところがまだまだ子どもっぽくて嫌なところだな、と思ってたんだけど、第6巻のハリーがまさにそういうところがあった。 私は16歳のレベルと変わんないんだ。 ……もっと大人にならなくちゃ。 私が自分で前と少し違うと思うのは、そういう子どもっぽいことをしてしまった後に「バカなことしちゃったなあ」と気付いて反省するところ。 前は自分のそんなところに気付きもしなかった。 反省しても同じことしてしまうのはまだ問題だけど。 (これって弁解?) 第6巻でハリーが愛についてようやく理解する。 恋愛だけではなく、もっといろんな意味の愛。 やっぱり世の中を動かしているのは愛だと思う。 殺人事件や交通事故や。いろんなことあるけど、そこには誰かが誰かを想う気持ちがあったり、愛が憎しみに変わってしまったり、愛情の記憶がないために起こってしまったことだったりがある。 小さな男の子がひき逃げにあった時、その子の親は逃亡した犯人について「犯人を憎むことより、子どもが元気になってほしいという気持ちしかない」と話した。 20年前、墜落していく飛行機の中で書かれた遺書は全て、家族への愛を綴ったものだった。 誰か大切な人がいる人の方が、誰もいない人より強い。 誰かのために生きようと思えるから。死を恐れることは生きることだ。 誰も愛せず愛されない人は、自分がもうここでいいやと思えばそこで人生を終わらせることができる。 その方がある意味強いと言えばそうかもしれないけど、本能的に人間は誰かに愛されたい生き物だから、それはけして楽しいことではない。 そして同様に大切なのは、信じる気持ちだ。 私はそもそも人を信じやすいところがあって、時々気をつけなきゃいけないと思うことがある。 信じていた人が嘘をついていたとわかると、悲しい。 でも、疑うよりは信じていたいと思う。 信じられる誰かがいるだけで心強いものだ。 こんなことを考えさせる本って、なんか哲学的だよねえ。 読む年齢によって受け取り方は様々なんだろう。 バカバカしくも複雑な恋愛の問題について考える人もいるだろうし、私みたいに家族や友人や自分に関するあらゆる人たちの愛について考える人も、若さゆえの反抗心(私はハリーより2倍近く生きてるけど)について思いをはせる人もいるだろう。 奥深い。 |
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