きまぐれがき
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雛祭りの時期に祖母の家に行くと、手を繋いでまず連れて 行かれるのが、普段はあまり行ったことのない奥の座敷だった。 『見て欲しいの』と祖母がおごそかに襖をひくと、ぼんぼりの 薄明かりの中に浮かんで見えるのは、だんだん飾りで息を潜め ているお雛さまたちだった。
戦争でどれも焼けてしまって、これだけが残ったというその 雛飾りは、祖母の祖母が子供の頃から大切にしていたものなので、 疎開先に預けていた為に、戦災に遭わずにすんだのだという。
祖母の祖母とは、いったい私からみたら何代さかのぼるのだ? その人はいつの時代に生きていた人なのか? 明治か?大雑把に計算すると江戸末期かもしれない。 それにお雛さまを疎開?とは、どういうことだ? 祖母は、大空襲で焼け野原となった東京の空の下で、この戦争は 勝つはずがないと確信した、という話をよくしてくれた。 人間はB29が投下する焼夷弾から逃げまどっていたというのに、 雛は優雅に疎開先にいたのか?
『ねっ』と、うなずくように祖母が見渡す雛壇を見ると、確かに 時代を感じる色焼けした装束に身を包んだ、髪の毛の抜け落ちた官女、 顔の剥げた家来たちがこちらを見て笑っている。 そして、もうすぐ天井についてしまうようなてっぺんのお内裏さまの 女雛には、なんとなんと顔がなかったのだ。 疎開先から戻った時には、こうなってしまっていたらしい。 『この古いお雛さまに、現代風のお顔をつけてあげても、合わないから』 そのままなのだという。
家に帰って母に話すと『そうよ、小さい頃あのお雛さまを見て、あなた 怖がって泣いてヒキツケを起こしたのよ』と言った。
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