思考過多の記録
DiaryINDEXpastwill


2012年02月18日(土) 時は流れて

 このところ立て続けに、以前一緒に芝居を作っていた人達に会ったり、その活動に接したりする機会があった。僕がその人達と本格的に関わっていたのはもう4、5年前になるだろうか。
 その間、僕は立ち止まっていたが、その人達は止まることなく活動を続けていた。そして、同じように歳を重ねていた。



 当然、前に会った時と今とでは、やっていることも立場も違っている。
 そして、みんな少しずつ、または大きく変化・前進していた。
 活動を継続していれば、確かに活動範囲が広がっていったり、活動が認知されたり、その力が認められたりしていくわけだから、考えてみれば前進するのは当たり前かも知れない。勿論、ある年齢を越せば、逆に伸び悩みに苦しんだり、結果が出ずに退場していく人達もいるだろう。
 いずれにしても、多くの人が、あの頃とは別の場所にいた。
 そして、みんな充実したような顔をしていた。
 苦しそうにやっている人も、やっていること自体から降りていない以上、苦しみながらも充実した日々を送っていると考えていいだろう。



 翻って自分はどうだろうか。
 長いブランクを経て、漸くもう一度進み出そうという所である。正直言って、だいぶ水をあけられてしまった感は否めない。あの場所からやっと歩き始めようとしているが、まだ歩き出していないのだ。
 あの時は伴走したいたように見えた人達が、気が付けば僕の遙か先を走っている。僕には背中が見えるだけだ。
 別に競争しているわけではないのだが、走り続けられる時間が限られる以上、ウサギとカメの話ではないが、止まっていればそれだけ距離が稼げない。



 今日見に行った芝居に出演していた女優さんも、初めて僕の芝居に出てくれた時は、まだ女子高生の制服がそのまま似合う19歳だった。しかし、今日の芝居では、ビジネスウーマンの服装がよく似合う、プロジェクトのサブチーフという役を演じていた。勿論、あの頃の雰囲気はまだ残っていたけれど、舞台の上の彼女を見ていると、この劇団に入り、数年を経る間に充実した時間を過ごしていたのだということがよく分かる。
 舞台が終わってから話ができなかったのが残念だが、きっと彼女はやっぱり少し大人になっているのだろう。



 どんな人間でも、平等に時間は流れる。
 ただ、その時間をどう過ごしたかで、再会した時のお互いの立ち位置が変わってくるように思う。
 本当に、時間は止められないんだな、と思う。
 以前、その彼女は、自分が主演した僕の脚本を、
「素敵な作品じゃないですか」
と言ってくれたことがあった。
 しかし、今日彼女が出演していた作品は、それとは真逆のテイストである。
 そして、彼女は自分のブログに
「○○という劇団に所属できて、よかった!

こんな素晴らしい作品に出演できて、本当に本当に、ありがとう!! !!

19日までしかやらないのは本当にもったいないなぁ…。」
とまで書いている。
 そんな彼女が、今僕の作品を見て、まだ「素敵な作品」と言ってくれるだろうか。



 時の流れは、僕と彼女を全く別の方向に運んでしまったんだな、と思うと、少しだけ淋しかった。


hajime |MAILHomePage

My追加