”BLACK BEAUTY”な日々
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Boogie
2006年06月20日(火) |
愚か者 遅まきながら春を知る(結局こんな事を思いました編) |
男女雇用機会均等法の改正、あるいは男性社員の育児休業の容認等、政府は法的、制度的に既婚女性の労働機会の提供を幅広く認めるようになった。
だがしかし、「育児は母親に与えられた天職である」という固定概念はいまだに覆される事はない。おそらく今後もこのテーゼは続いていくと思われる。
育児に関する父親と母親の違いは松本清張ではないが、「点と線」に喩えられると思っている。
父親はウィークデーは会社に行く。もちろん残業もある。そうなるとウィークデーに子供と接する機会はゼロに等しい。毎日帰宅後に子供の寝顔を見つめ、「明日も頑張ろう」と心に思い、遅い夕食の中、家内の口から伝えられる今日の息子に起こった出来事を聞くのが関の山だ。
そうなると、父親が子供と接する機会は土曜日と日曜日が基本となる。 つまり、「点」という極めて限られた時間の中でのみ、育児に関わる事になる。
それに対し母親は365日あらゆる時も欠かすことなく子供と接することになる。だから母親と子供の関係は「線」だ。
こう整理すると、父親の育児は負担が少ない反面、機会が限られている分、失敗が許されないリスクを背負うことになる。限られた時間の中で誉め、共に笑い、時には叱り、諭す事をしていかなければならない。
母親は接する時間が長い分、負担が大きい反面、子供に対し間違った対応をとったとしても、それを挽回するチャンスがある。 そして、母親にとって最も負担となるのが「待つ事」であろうと考える。
子供が言う事を聞かない時、叱る事はたやすい。また叱ることで母親は自身のストレスをある程度解消する事ができる。 だが、子供を叱り続ける事は子供の人格形成に悪影響を及ぼす場合も少なくない。母親の前でだけ「いい子」でいればよいという知恵を植えつける可能性もあるし、また叱られる事への脅迫観念を芽生えさせる危険もある。
俺の家内は毎日この「待つ事」を育児の基本と考えている。まずは叱らずに、息子と対話し次の息子のアクションをただひたすら待つ。 これは並大抵の事ではない。思わず声を上げて叱りたくなる欲求を抑え、毎日「待つ事」を繰り返すのだから。 その意味で俺は家内を心から尊敬している。
育児は子供が成人を迎えるまで続く長い道程を経る。 その中で両親は逆に子供から教わる事も多い。
俺は他人の薄っぺらい自慢話を聞くのが大嫌いだ。まして自分の自慢話をネット上で全世界に発信するなど、ヘドが出る。
だが、このバカ親に一度だけ自慢話をさせて欲しい。
ポップコーンをほおばる直人に「どんな味がする?」と聞いた時の彼の回答だ。
「眩しい味がする」
どんな文豪、詩人をもってしてもポップコーンの味をこのように評する事はできないと思う。
こんな時、親をやっててよかったな、としみじみ思うのである。
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