2003年08月11日(月) |
高見広春『バトル・ロワイアル』再読 |
どこかの新人賞で選考委員に「不愉快だ」、「賞のためには絶対にマイナス」と言わしめ、落選してしまったという問題作である。 一度読んで3年ほど放置していたことになると思うが、再読するまえも今回の再読後も同様に、悪い印象を抱いていない。 たしかに内容は過激だと思うけれども、けっして殺人を正当化しているわけではない。壊れた人間は存在するが、それが現実社会であり、ゲームを勝ち抜く三人の間にはしっかりとした倫理があり友情があり愛情がある。最期に希望がありカタルシスがある。 個人的な読後感としては、「不愉快さ」などのマイナスイメージより「清清しさ」のほうが勝っている。今でも、本当にいい小説だと思っている。 舞台設定のマイナス面ばかりをあげつらって、もっと本質的な今時珍しいほどの青春小説としての一面をまったく無視してしまった選考委員の理解に苦しむ。
現実社会には「勝ち」と「負け」が存在する。そして「勝ち組」が決して倫理的な「正義」とイコールにならないのは周知のことである。 しかし、今の学校教育はそのことから故意に目を背ける。運動会で二組に分けて勝利を競わせることは「間違っている」。聞くところによると、鬼ごっこも「差別的だから」推奨されないらしい。 私には、この現実から故意に目を背けた馴れ合いが、現代の学校教育の歪みに思えてならない。 人間は皆平等で、仲良く。どんなことでも参加することに意義がある。…それはそのとおりである。 けれど、現実の社会に出ると、それは建前というか目標であって、生き抜くためには何かしら闘争心を抱かなければならず、いくつかの小さな勝負に勝利していかなければならないのは自明のことだ。 臭いものに蓋をかぶせてまるで存在しないかのようにするから、存在が明るみに出たとき歪みがでる。現実に存在する、ありとあらゆるものを見せて、「これは悪いこと」「これはしてはならないこと」と教えることが、教育なのだと思う。
本書の新人賞落選にまつわるエピソードは、なんだかそういった歪みを代表しているように思えてならない。 なにはともあれ、いろいろな紆余曲折を経て太田出版から発行され、映画化とともにより多くの人に知ってもらえたことは、一読者として本当に喜ばしいことだ。
ちなみに、この小説は、本当に登場人物が魅力的だと思う。 七原と典子のカップルはもちろん、テキ屋の兄ちゃん・川田、第三の男・三村、硬派の空手家・杉村、悪の華・光子、超人(!?)桐山、等々挙げだすと切りがない。 幾人かの魅力的な人物を配置したうえで、クラス42人ほぼ全員、しっかり人物の書き分けができているというだけでも、作者の力量はあなどれない。 映画しか見ていない人には、是非原作を楽しんでいただきたいと思う。
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