無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2005年08月22日(月) 「優勝」の意味はどこに帰属するのか/『アニメーション監督 原恵一』(浜野保樹編)

 何ヶ月前だったかねー、全世界の話題になってた「謎のピアノマン」。
 まるで現代のカスパー・ハウザーのような騒ぎになってたけれども、案外つまんないオチが付いたようである。
 イギリスのデイリー・ミラー紙によると、「ピアノマン」の正体はドイツ人の同性愛者で、パリで失業して、イギリスに来たのは自殺目的だったという。一言もしゃべらなかったのは医師らをかつぐための芝居だったとか。ピアノの絵を描いたのも「最初に思いついただけ」という、なんじゃそりゃ? な結末である。
 つかさー、今更かもしれないけれど、記憶喪失の身元不明者って、そんなに話題にしなきゃならないことだったのかねえ。病気の人の人権侵害になる危険だってあったわけだし。身元確認のために情報公開したというのは分かるのだけれども、それにしても大々的に過ぎたように思うんである。発見されて報道されるまで、たいして間がなかったよね? その前に身元不明者の照会とか、警察に連絡するとか、そっちの方が先にやるべきことだったんじゃないのかな?
 この事件が大仰になってしまったのは、やはり、本人の背景に「何かある」ことを期待した野次馬連中の「盛り上がり」の影響の方が大きかったんじゃないかなあ。でも、本当にピアノマンに公表しがたいような事情があったら、どうなっていたのだろう。カスパー・ハウザーの場合は、謎の死を遂げているのだよ。
 穿った見方をしたがる世の雀たちは、この「オチ」にも何か陰謀があるのではないかと騒ぎ立てるのではないかと思うが、火のないところに煙を立てるようなマネは、いい加減でやめてほしいものである。それをあえてするのがマスコミだと言われればそれまでなんだけれどもね。


 こないだ日記で、明徳義塾高校の甲子園大会出場辞退問題について「どうせほかの学校だって似たような不祥事があるんじゃないか」と書いたのだが、予想がドンピシャと当たったような出来事が。それもなんと優勝校である駒大苫小牧高校にである。
 22日夜に、苫小牧高校で開かれた同校校長の会見によると、野球部の部長(27歳)が三年生の部員に、「態度が不真面目である」という理由で、二度にわたって暴力をふるったという。加害者である部長は、現在、謹慎処分中。
 問題となるのは、被害者の保護者から学校に通報があったのが8月8日、甲子園大会の三日目だったのだが、その時点で苫小牧高校は高野連に事情の報告をしなかったということである。明徳義塾の事件が既に明るみになり、「学校の報告が遅延したこと」が問題視されている最中であるにもかかわらず、不祥事の発表を優勝決定後に伸ばしたということは、それだけ苫小牧高校の方がより「悪質」だったと考えざるを得ない。
 多分、今回も、「優勝は取り消しになるのか、次の大会に出場はできるのかどうか」、この点が論議の対象になるとは思うが、恐らく、世論の多くは「努力してきた部員には関係がないのだから、優勝を取り消さないでほしい」と同情論が幅を利かせることになると思う。しかし果たしてそれは「正しい」判断だろうか?
 まず、公表が遅れたということは、即ち学校が事件のもみ消しを図ったということである。即ち、この件がもしバレたなら、問題になるということを学校側はしっかりと自覚していたということなのだ。これだけでも苫小牧高校に同情してやらなきゃならない余地は全くない。
 「問題なのは部長の方で、部員は無関係だから処分すべきではない」という意見は、筋が通っているように見えるが、ただの感情論で、冷静に教育の本義を考慮したものだとは言えない。問題が教育者である部長の方にあるのならばなおのこと、学校は、「生徒を監督する義務を負うものの責任として」、事後報告などという薄汚い行為をするべきではなかったのである。
 高校野球における「優勝」とは、野球部員個々人の努力だけに与えられるものではない。それぞれの学校の「教育の成果」に与えられるものである。部活動が教育の一環であることを忘れてはならない。「不祥事にはほっかむり」なんて学校の姿勢を評価できるわけはないではないか。教育の本分を考えるならば(特に明徳義塾が出場辞退をしている状況を鑑みるならば)、「優勝取り消し」が最も妥当な裁断である。優勝旗を苫小牧高校に与えたままにしておくなら、実質、学校に責任を取らせることを完全免除したも同然である。
 もし「優勝取り消し」となれば、野球部員たちは悔し涙に暮れるだろうが、結局は部長の暴力を看過した部員たちにも責任のあることだ。これは泣いて頂くしか仕方のないことなのである。ちょっと考えてみれば、部長の暴力行為を他の部員たちが知らなかったはずがない。「優勝しちまえば、そんなに簡単に処分なんかできないだろう」と部員たちが高を括っていなかったとどうして言えるだろうか。
 そうは言っても、高野連は、結局は世論に流されて(昔から世間は他の部活動には冷淡だが、高校野球にだけは甘い)、既に部長が処分されたことでそれ以上の追求はしないような気がしてならない。本来これは、事実を隠蔽しようとした校長が自ら引責辞任をしてしかるべき事態なのである。しかしその権限は高野連にはない。高野連にやれることは一つしかないのだ。
 高野連が本気で高校野球界から暴力を追放しようと考えているのなら、この際、大鉈を振るうべきだと思うが、そんな度胸はあるまいね。だって高野連の連中自身が、これまで「そういうこと」を平然とやってきたやつらだろうから。既に「明徳義塾とは事情が違う」と、処分を流すための伏線も敷いているのである。
 しかしここでハッキリと断言しておくが、これで処分が軽いものですんでしまえば、もう高校野球界では「バレなきゃいい」が常識化するぞ(まあ、もうなってるから、苫小牧も緘口令を布いてたんだろうがね)。そこまで考えずに平然と高野連に情状酌量を嘆願する連中は、全くのお天気野郎なのである。


 浜野保樹編『アニメーション監督 原恵一』(晶文社)。
 十年前ならばいざ知らず、もはや「原恵一」の名前を知らないアニメファンは、アニメファンの名に値しないだろう。
 分かっている人にはもう充分分かりすぎていることであるが、宮崎駿、富野由悠季、押井守、大友克洋、庵野秀明、今敏、etc.世界にその名を知られたアニメーション監督たちに比しても、原監督の演出力は一頭地を抜いている。
 『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ! オトナ帝国の逆襲』が公開されたとき、『キネマ旬報』の映画評論家諸氏は殆どこの傑作を無視したが、数年後、「アニメーション・オールタイムベストテン」を選出したときには、ベストテンの上位にランクインされていた。プロの評論家と称する半可通はいつだってこんなもので、自分の目で本当に面白いものを見抜く目を持たない。常に他人の批評を気にし、評判が高いと知ると誉めそやし、不評が多いと口汚くののしる。いつだって他人の尻馬に乗るばかりだ。そんな批評に関係なく、『オトナ帝国』(それ以前の『クレヨンしんちゃん』映画もそうだが)を評価し得たことは、「シロウト」である私の誇りである。
 後追いで「しんちゃん映画」に出会った人たちは、「『クレヨンしんちゃん』なのに」、という表現をよく使っていた。『クレヨンしんちゃん』をよく見もしないで馬鹿にする連中がやたらいたころだから、そういう無遠慮な言葉遣いにもあまり目くじらを立てないで看過するようにはしていたが、本当は『クレヨンしんちゃん』だからこそ、あれだけの傑作が作れたのである。「なのに」なんてふざけんじゃねえ、だ。

 本書の編者である浜野氏もそんな「後追い」の人なのだが、自らの不明を恥じてなのだろう、まるで汚名返上とばかりに原監督の旧作を片っ端から見返し、「原恵一」をどこまでフィーチャーできるかというコンセプトのこんな大部の本を作ってしまった。
 原恵一監督へのロング・インタビューに始まり、監督の担当した絵コンテ、樋口真嗣・荒井晴彦・田口ランディ・五十嵐太郎各氏のエッセイ、矢島晶子・湯浅政明・茂木仁史各スタッフ・キャストのインタビュー、曽利文彦・中島かずき・中島信也各氏へのインタビュー、海外からのレポートなど、様々な角度から「原恵一」の映画監督としての能力を照射するための記事をこれでもかってくらいにぶちこんでいる。
 浜野さん自身、原監督との直接対談や評論の中で、小津安二郎、木下恵介の系譜の末裔として原監督を捕らえ、『クレヨンしんちゃん』前期の監督である本郷みつる監督のSF嗜好・ファンタジー嗜好と対極にある「日常性」を追求する原監督の映画の特徴を高く評価している。
 けれどもまあ、昔からのしんちゃんファンにとってはそんなことはもう今更言わずもがなの自明のことなので、このあたりの熱い語りにも、浜野さんの後追いの焦りが感じられて、ちょっと微笑ましくなる。

 浜野さんが、執拗なほどに食い下がって聞き出した原監督の「好きな映画」。

 デヴィッド・リーン『アラビアのロレンス』『ドクトル・ジバゴ』『旅情』
 木下恵介『二十四の瞳』『喜びも悲しみも幾年月』『野菊の如き君なりき』『永遠の人』『楢山節考』『笛吹川』
 小津安二郎『秋刀魚の味』『東京物語』『麦秋』
 タルコフスキー『ノスタルジア』『ストーカー』
 ヘルツォーク『フィッツカラルド』
 塩田明彦『どこまでもいこう』
 井筒和幸『岸和田少年愚連隊』
 山本政志『ロビンソンの庭』
 チャウ・シンチー『少林サッカー』
 沖浦啓之『人狼』
 湯浅政明『マインド・ゲーム』
 宮崎駿『風の谷のナウシカ』
 杉井ギサブロー『銀河鉄道の夜』。

 何年か前、ある作家さんとメールをやり取りしていたときに、その方が「原監督は昔の映画はあまり見てないと思う」とか、どういう根拠でモノを言っているのかよく分からないが、かなり乱暴な書き方で決め付けていたことを思い出した。このリストを見るだけでも、それがただの思い込みに過ぎないことがお分かりいただけると思う。
 当然、どんなに実力のある映画監督でも、無から有を生み出すことはできない。影響を与えた先行作というのは常にあるのだ。このリストを見て、その「趣味のよさ」が原作品を「映画」にしているのだという事実を感じ取っていただければ幸いである。

 原監督の次回作はもう『しんちゃん』ではない。矢島晶子さんなどは原監督に再び戻ってきてほしいと対談で懇願していたが(そりゃ、今年の『三分ポッキリ』なんてヘボ映画に出演させられてちゃ、嬉しくはないだろう)、未だに「しんちゃんなのに」と言いたがるエセ評論家が跋扈している状況に足元を掬われない、自由な環境で作られた原監督の新作を見てみたいものじゃないか。
 ああ、それから、本書中でも批判されてたけど、『オトナ帝国』や『戦国大合戦』がオトナに受けたからと言って、やっかむように「子供は退屈していた」とか反作用的にワルクチいうのは止めようね。これも「馬鹿批評」の典型で、大人が映画を見て賛否両論に分かれるように、子供だって、感想は二つに分かれるのである。全ての子供を満足させる映画なんてありゃしないし、私が劇場で見る限り、『オトナ』も『戦国』も、子供にだってちゃんと受けてたよ。たまたま自分の近くにいた子供がアクビをしていたからって、それで全てが図れるわきゃないのであるよ。

2004年08月22日(日) どんなふうにイジったかはヒ・ミ・ツ♪
2003年08月22日(金) 病院尽くし/『炎の転校生』1巻(島本和彦)
2001年08月22日(水) オタクの花道/同人誌『オトナ帝国の興亡』ほか
2000年08月22日(火) とんこつラーメンは臭い/『ここだけのふたり!!』8巻(森下裕美)



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