無責任賛歌
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2005年10月18日(火) |
古畑VSイチロー/ドラマ『1リットルの涙』第2回 |
来年正月に、3夜連続のスペシャルでシリーズが完結予定の田村正和主演のドラマ『古畑任三郎』。犯人役に第1夜・石坂浩二&藤原竜也、第3夜に松嶋菜々子の出演が決定していたが、残り第2夜の犯人になんとマリナーズのイチロー選手が本人役で出演することが決定したとか。 聞けば、イチローは『古畑』の熱狂的なファンで、シリーズも全て見ており、そのことを知ったプロデューサーが出演をダメモトでオファーしたところ、二つ返事で快諾したのだそうな。 演技経験の全くないシロウトを主役級の役どころに抜擢するというのは、日頃研鑽を積んでいるプロの役者に対する冒涜ではないかとか、所詮は人気取りが目的ではないかとか、揶揄する声は多いと思う。下手をするとプロの役者や評論家がそんなことを言うことがあるのだが、残念ながら、演技とかドラマというものは実はそういう一見理が通っているように見えるインテリぶった批評モドキを越えたところに存している。 つまり、「シロウトの演技がプロの役者の演技を越える」ことがこの世界には往々にしてあるのだ。例えば「子供と動物にはかなわない」なんてのもそうだろう。「巨匠」と呼ばれる監督がある時期から全くのシロウトや新人を使いたがるようになるのも、「プロを越えた演技」を期待しているからだ。正直、「プロの演技」を標榜する人間ほど「先の読める定番な」演技しか披露できない。心を打つ演技というものはどこかに予測不可能な「シロウト」の要素を含んでいるものである。 もちろん、イチローに演技ができるのかどうか、というのは全くの未知数である。しかし未知数というのは「どう転ぶか分からない」ということであり、ともかく「結果を見てみなきゃ分からない」ということであるのだ。 いやね、もうネット始めて仕入れる情報量が格段に増えてからはね、世の中、ここまで余談と偏見に満ち満ちてるもんなんだと驚いたし、それが「見識」なのだと勘違いしてる馬鹿だらけなのだということに暗澹たる気持ちにもなったのである。「シロウトに演技ができるのかね」程度ならばともかく「シロウトに演技させるんじゃねえ」と、「見る前から」文句を付けるのは、いったいどういう神経をしているのか。全く、「カミサマ」だらけの世の中である。 ま、見た後で「シロウト使うな!」と怒るんだったらそれは問題ない(笑)。
仕事が終わりかけてた午後5時。 ふと気が着くとしげからメールが入っている。いつもの「何時に帰れる?」コールかと思って開いてみると、たった一言書いてあったのが「父ちゃん入院」。 いつものことだが、しげのメールは電報より短いのでいったい何が起こったのか全く分からない。夕べ一緒にスシを繰ったばかりだと言うのに「入院」? 折り返ししげに電話をかけてみたら、「父ちゃん、脳梗塞だって」。 「脳梗塞? 倒れたんか?」 「いいや、病院には自分で行ったって。朝から父ちゃんが『手が痺れる』って言うから、お姉さんが無理やり病院に行かしたら、CTスキャンで脳梗塞だってことが分かったって。今、○○病院にいるよ。『倒れたわけじゃない』って伝えといてって。今から病院に行く?」 「そうだな。博多駅まで出て来てくれん?」 そのあと姉にも電話をかけてみたが、概ねしげの話の通りだった。何度か手に持っていたハサミを取り落としていたので、これは様子が変だ、と病院を勧めたそうである。 脳梗塞かあ、昨日、寿司を食い過ぎたのがよくなかったんだろうか。あるいはホークスの敗退がショックで頭に血が上ったか。いろいろ考えていても仕方がないので、ともかく病院に向かうことにする。
病院に着いたのは六時少し前。 病室を訪ねると、そこは重いドアで仕切られていて、救急医療センター「HCU(high care unit)」という物々しい文字がガラスに躍っている。何となく不安な気分で、中に入ってみるが、受付で教えられた病室にはまだ父の名札がない。しげが 「部屋が違うんじゃないと?」と言うが、「まだ名札が間に合ってないだけだろろ」と中に入ってみると、案の定、父が別途に寝ていた。 「おう、来たとや。てっきり来んやろうと思って、お医者さんには『息子は来ましぇん』て言うてしもうたとこやったが」 どうして私が来ないと父が思い込んだのかは定かではないが(笑)、口は全然満足に利けるようである。「どげんあると?」と聞くと、「朝からなんか手の感覚がなかったけん、あ、ついに来たとかいなと思って、病院で見てもらうことにしたったい」 「姉ちゃんは『無理やり病院に行かせた』って言いよったけど?」 「なんがもんか。私が自分で来たと」 どっちの言い分が正しいのか、そりゃどっちでも構わないのだが、とりあえず命に別状はないようなのでホッとする。 「最初は××病院に運ばれるところだったとぜ。ほら、××病院はお母さんが倒れて、最初に運ばれて、ここじゃ治療できませんからって、こっちの病院に運ばれたろうが。だけん、××病院はやめてくださいって頼んでこっちにしてもらったったい」 事実、母が死んだ時に呆れてしまったことなのだが、救急車の職員は、手近な病院に患者を適当に運び込むだけで、そこが脳出血の治療設備があるかどうかなんて全く知らないのである。つか、脳出血や脳梗塞の治療設備もない病院が救急病院の指定なんて受けてること自体、問題なんじゃないのか。ともかく西方沖地震の時もそうだったが、福岡の病院事情は全くデタラメなんである。 とか考えてたら、主治医の先生が来られた。メガネをかけた細身の、袴田吉彦にちょっと似た感じの先生で、心の中では「こいつも藪じゃねえかな」とか思いながら顔はにこやかに「父の具合はどうなんでしょう?」なんて聞いてみる。 レントゲン写真を見せながら、「この右側の部分に白いのがあるでしょう。視床下部なんですが、ここに脳梗塞ができていて、それで手の感覚がなくなってるんですね。けれど、麻痺とは違います。脳梗塞の中では一番軽い症状だと考えてください」 「それはまた元通り動かせるようになるということですか?」 「元通り、というのは難しいと思います。後遺症が出る可能性もありますし。けれど、放っといたら悪くなるばかりですから、それをこれ以上悪くならないように止めることですね。今はともかく点滴をして、検査をしているところです」 要するに、「まだどうなるか分からん」ということなのだろう。心なしか、父の表情が曇ったように見えた。また仕事ができるようになるか、不安なのだろうと察していたら、先生が退出したあとで、「これでしばらく酒が飲めんなあ」と言ってため息をついた。 この期に及んでまだ「酒」かよっ! 半身不随になるとか、言語障碍を起こすとか、植物人間になるとか、そういう心配もあったのに、呑んだくれはこれだからもう。
数少ない読者のみなさま、途中までは思わせぶりな書き方になってしまいましたが、覚悟しなきゃならないような状況ではなかったようでホッとしてます。まだ容態が急変するんじゃないかとか考えると油断はできないのですが、とりあえずは父がそんなに落ち込んではいないようだったのが幸いでした。 しかし、病院に行く途中、しげが「来月、父ちゃんと一緒に旅行に行くの予定しとったろ? キャンセルせんといかんね」と言ってたのを「いや、意識があるなら意地でも行くよ、あのオヤジは」と返事していたら、病室で父は本当に「来月の旅行には行くからな」と言い切りました。その時までには絶対に退院できる、いや、「退院する」つもりでいるんですね。全く、懲りないオヤジ殿であります(苦笑)。
ドラマ『1リットルの涙』第2回。
亜也(沢尻エリカ)は自分が脊髄小脳変性症であることをまだ知らない。母の潮香(薬師丸ひろ子)がその現実を受け入れることを拒んで、未だに本人に伝えられないでいるためだ。担当医の水野(藤木直人)の診断を拒んで、セカンド・オピニオンを脊髄小脳変性症の権威である宮下(森山周一郎)に求めるが、結果は変わらない。ついに潮香は夫・瑞生(陣内孝則)に亜也の病名を告げる。そして二人は亜也の、恐らくはこれが最後になるだろうバスケの練習試合を家族で応援に行く……。
苦手なのに今週も見ちゃったよ、『1リットルの涙』。 『愛と死を見つめて』以来、この手のドラマは極力避けるようにしてきたのに、一回目をうっかり見ちゃったら、次の回も気になって見ちゃうんだよね。かつて伊丹万作が映画『小島の春』に苦言を呈したように、こういう「難病もの」が「見るものの涙を振り絞りはしても映画としては何の価値もない」ことは党に喝破されてるのは分かっちゃいるんだけどね。要するに脊髄反射でまさに記号的に「感動」のボタンを押されてるだけなんだけどね。 見ない見ないと思ってはいても、どんなドラマにも「お涙頂戴」要素は含まれているものだから、いつの間にかそのパターンやセオリーは見えてくる。だから、こういうドラマがいかに現実に取材していようが、ドラマのために都合よく事実を改変され、人物の心理もどこか緊張感、切実感を欠いたものになってしまうことは否定のしようもない。みんな、下手な役者さんじゃないんだけど、やっぱり「お芝居」を見てる感じしかしないのね。 私自身も怪我や病気で何度も死の淵をさまよった経験があるから思うんだが、そういう経験をすれば、限りある命を大切にしようと希望を持つかというと、そんなことはないのである。じゃあ絶望して自暴自棄になるかというと、そうでもない。どちらの場合も、そんな「ありきたりなドラマみたいな心理展開を自分がなぞるなんてこっ恥ずかしいマネ、とてもじゃないが自分自身で耐えられなくてできない」のである。 つか全世界の難病の人に聞いてみたい。「あなたは親に向かって『どうしてこんなカタワなからだに生んでくれたんだよ』と文句をつけたことがありますか」と。多分、1%もいねえよ、そんなアホは。ドラマってヤツがどれだけ適当に作られてるか分かりますね。 それなら病気になって何を考えるかというと、自分のことは殆ど考えなくて、医者や看護師に対する文句と悪態だけだったりするのだね(笑)。実際、何十人もの医者にかかってきたが、その8割は藪で無能で、残り2割は「フツー」でしかなかった。私が何度誤診で死にかけたと思ってるのだ。腹立たしさの方が先に立って、自分の残りの人生の短さを憂える余裕なんてありゃしねえよ。 ま、私の場合は特殊かもしれないが、実際、希望と絶望は常にコインの表と裏で、どっちか一方に傾くってことはないんじゃないのかね。まあそれじゃ首尾一貫したドラマにゃ向かないんだろうけれど。
続けて『鬼嫁日記』を見ている最中に眠くなったので寝る。いつもの就寝時間よりも2時間ほど早い。疲れてないつもりだったけど、心労はやっぱりあったのかな。
2002年10月18日(金) 今日はノロケじゃないと思う/『プリンセスチュチュ』10AKT.「シンデレラ」/DVD『鬼畜』ほか 2001年10月18日(木) 風邪、続く。気の利いたタイトルなんて思い浮かばねーや/『トライガン・マキシマム』6巻(内藤泰弘)ほか 2000年10月18日(水) オニギリとわらび座とフリカケと/『彼氏彼女の事情』10巻(津田雅美)
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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