日々日記
いちらんふるいあたらしい


2010年05月18日(火) きみも阿呆、われも阿呆

誰かと何かやり取りをしてて、ああ、この人阿呆かなーーーーと思う事って多々ある。
今もそうなんだよじつは。

だったら最初から君が分かりやすい内容で投げかけるか、
意味がわからなくても気にするなといったインフォメーションを付けるべきですよね!

なんだあれは祝詞か。呪詛か。そもそも日本語か?なんなんだよ。


なんの配慮もせずに意味不明のこと述べてからに!この阿呆め!と
まぁ、プンスカピーに怒っておる訳ですけども。


まぁ、しょうがないかとも思うの。
それぞれがそれぞれであるしかないかと。

他者に自分の望むような対応をあんまり望むのもなぁ。
それこそバカバカしいしなぁ。

そういう事言うのって、よほど親密な関係じゃないと言いたくない。
単なる友達にそんなこと言ったりしたら、私はあなたの何さまですか!ってね!
自分で自分に思っちゃうヨ!呆れる。


分からなくて悩んだのも、分かり辛い言葉に対してあのように投げかけたのも、
それを悪かったかなと思って謝ったのも、全て私が好きでやったといったら
そうも言える訳で。

あるいは私の判断ミスっていったら、これまたそうとも言える訳で。

だが、そこを看過せず、質しておきたいかどうかって、
相手が自分にとってどういう存在かって事にも大きく左右される。。

うーん。質したいような、どーでもいいような。。はてさて。



でもその人ととおんなじように、自分も誰かから(ひょっとしたら相手から)
こいつほんっとーーーに阿呆だなーって思われてるだろうなという、絶大なる自信がある。

これ↑!これが私が相手に対してギャースカ言って強く出ない一番の理由であり、
同時に自分の怒りをうまーくおさめてくれる虎の子(?)なんだよ。

阿呆はお互いさま。阿呆は巡る。みんな阿呆。誰もが阿呆。世界は阿呆でできているさ。


やっぱり「やり過ごす」これが一番面倒でなくていいかと。
そういう結論にいま書いてて落ち着いた。やれやれだぜ。の、火曜日の夜。


inu-chan