「おかあさん」が帰った - 2008年01月29日(火) 今朝は5時起きで7時の出勤。「おかあさん」が朝早く退院して、お昼の飛行機で日本の病院に移ることになってたから。 だから夕べは、わたしの人生にはほとんどあり得ない11時の就寝。ベッドに入って無理矢理目をつむっていると、日本のインスタントラーメンの匂いが漂ってきた。すっごいいい匂い。いい匂いはだんだん強くなってきて、わたしの脳は「ラーメン食す」をシミュレーションし出したからたまらない。お隣のアーキテクトのお兄さんに違いない。最近ときどき夜中になるとラーメンの匂いがする。お隣のアーキテクトのお兄さんは、仕事のパートナーが日本人の女の子だって前に言ってた。きっとその子からインスタントラーメンを1ダースくらいもらったんだ。「日本の母がたくさん送ってくれたから」って。とかいろいろ考えてると、インスタントラーメンが食べたて食べたくてしかたなくなって、もう眠れなくなってしまった。 飛び起きてキッチンのキャビネットの奥を探す。ずうっと前に父がインスタントラーメンをたくさん送ってきて、「日本の父がたくさん送ってくれたから」ってジェニーとかに分けてあげた。少しだけ自分用に取っておいたけど、ほとんど食べてなかった。もう2年くらい前。 あった。見つけた。「出前一丁しょうゆラーメン」。イタリアン・ミックスベジタブルとカリフォルニアン・ミックスベジタブルを使って、卵もひとつ入れて作る。 作ったけど、お隣から漂って来る匂いに比べるとちっともいい匂いじゃなかった。でも食べた。 美味しくなかった。古くなった麺のステイルな味がして、はっきり言ってめちゃくちゃ不味かった。でも食べた。 そしてますます眠れなくなった。 例の小説の翻訳をすると眠たくなるかなと思ったのに、力が入って結局朝5時まで翻訳をしてしまう。 6時過ぎにうちを出たら外はまだ暗かった。地下鉄を降りたら明るくなってた。早足で病院に向かって自分のオフィスで白衣を着てメインオフィスでサイン・インして急いで「おかあさん」のいる病棟に行ったら、まだえみ子さんは来てなくて「おかあさん」は眠ってた。 「おかあさん」にあげるために持ってきた臙脂色とグレーのリバーシブルのショールを自分のオフィスに忘れてきたことに気づいて取りに行く。戻って来たらえみ子さんがいた。飛行機の中で「おかあさん」の世話をする日本人のナースの人も来てた。 「おかあさん」は先週トレイクが取れた。でもまだ口からごはんは食べられなくて、PEGで非経口栄養を続ける。日本の病院に渡すその処方箋を作って注意書きをいっぱい並べてプリントアウトして、一番最近の血液検査の結果をプリントアウトして、病室に行ったら「おかあさん」が「こんにちわ」って笑顔いっぱいに言ってくれた。トレイクを取ってからもう随分喋れるようになった。 「おかあさんがいなくなったら淋しくなるなあ、あたし」って、ベッドから抱き起こして「おかあさん」を両腕に支たまま言ったら、なんだか涙が出そうになった。 バタバタと退院の準備をして、酸素ボンベやウォーカーやその他の必要な医療器具とおむつとかガーゼとか非経口栄養の缶11個とか、その他もろもろものすごい荷物をトランスポーターとえみ子さんと手分けして運び出す。えみ子さんはだんなさんの車で、ナースと大荷物が「おかあさん」と一緒に救急車に乗って空港に行く。 わたしは救急車の中に入れてもらって、「おかあさん」に最後のごあいさつ。「がんばってね、おかあさん。応援してるからね。うんと頑張って早く元気になって、鎌倉のお家に退院したら遊びに行くからね」。「はい、がんばるよ」っておかあさんは言った。運転手さんに「もう出ますよ」って言われて救急車を降りる。「バイバイ、おかあさん」って毎日言ってたみたいに言う。でも「また明日ね」はなかった。 夕べ寝てないから、うちに帰ったらぐったりして眠ってしまった。10時頃、携帯のリングトーンで目が覚める。ジョスだった。土曜日のタンゴに誘ってくれた。 -
|
|