ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年11月23日(土) 柚子と直七

冬型の気圧配置とか。その割に西日本は暖かく過ごし易かった。

札幌は雪。能登の被災地は冷たい雨だったようだ。


昨日は柚子農家さんから柚子をたくさん頂き

同僚は直七をこれもたくさん持って来てくれた。

勤労感謝の日でカーブスが休みだったので朝から果汁を搾る。

搾り機があれば簡単なのだが我が家にはそれがなく

半分に切っては手で絞らなければいけなかった。

けれどもそれが面白い。一時間程かかったが全て搾り終える。

柚子が五百ミリと直七は一リットルもあった。

これだけあれば一年は持ち美味しいポン酢醤油が出来る。

湯豆腐やしゃぶしゃぶには欠かせない物だ。


台所だけではなく家中に良い香りが漂っていた。

柑橘系の香りは心身ともに癒される気がする。

なんと有難く幸せなことだろう。




夫は高齢者講習のため自動車学校へ行っていた。

「とうとう俺もか」と苦笑いしながら出掛ける。

お昼には帰って来て誇らしげに終了証書を見せてくれた。

「次はお前の番だぞ」何だか少しも実感が湧かない。

もう2年もすればれっきとした高齢者なのだ。

車に乗れなくなったらどうしようと心細くもある。


このところ長距離運転が億劫になってしまった夫だが

本音は苦手になったのだろう。自信もないのかもしれない。

ドライブも近場が多くなり遠出をすることも全く無くなった。

元気なうちにと思うが「思い出作り」にも限界が生じる。


20代の頃には四国一周もした。

子供が出来てからは九州旅行にも行ったことがある。

別府の温泉街で一時停止を怠り反則切符を切られこともあった。

それさえも思い出となり随分と長い歳月が流れてしまったようだ。


高齢者の事故が後を絶たないこの頃である。

リスクを避けることを一番に考えなければいけないのだろう。




娘達がめいちゃんのダンス教室から「一条さん」に行くようで

まだ帰って来ておらずあやちゃんは夕食を食べられずに居る。

憐れに思い声を掛けたが「待つけん」の一点張りであった。

3年前までは家族揃って出掛けていたのが嘘のようである。

娘達も諦めているのかあやちゃんを誘うことをしなくなった。

もう留守番が当たり前になっているのだろう。

いつまでこんなことが続くのだろうと思うが

私達祖父母が口出しは出来ずそっと見守るしかなかった。

永遠は在り得ないと思うのだ。それにはきっかけが必要に思う。

そのきっかけは誰が作るのだろう。母親である娘なのではないだろうか。


老婆心ばかりがつのるが愛情には違いない。

背中を押すことが許されないのなら手を繋ぐことは出来るだと思う。

そこには大きな「拒絶」があるが手を差し出すことを諦めてはならない。


どんな気持ちで待っているのだろう。

娘達よどうか早く帰って来てやって下さい。


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