ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年01月18日(土) 棘のようなもの

風もなく穏やかな冬晴れ。冬の陽射しのなんと有難いこと。

今朝は右隣の奥さんが桜草の苗を届けてくれていた。

ブロック塀に添うようにそっと置いてくれており嬉しくてならない。

桜草は一年草ではないので管理さえ怠らなければ毎年咲くのだが

昨年花が終わった時に切り揃えてしまったのがいけなかったようだ。

今年は全く芽が出ておらず残念でならなかった。

奥さんにそれとなく話していたので気遣ってくれたのだろう。

早速プランターに植えようと思いつつ今日は何も出来なかった。

明日こそはと思っている。心遣いを無駄にしてはならない。



朝ドラ「カーネーション」を見終わってからずっと寝ていた。

9時を過ぎてやっと目覚め大急ぎで洗濯物を干す。

青空が眩しい。陽射しが洗濯物を歓迎しているように見えた。


10時からはカーブスである。先週は行けなかったので楽しみでならない。

筋トレを始めたら直ぐに身体が温もり心地よく汗が流れる。

それが良き気分転換になったのだろう。帰り道には気分爽快だった。

やはり身体を動かすと心も動くのに違いない。

そうするように自ずから働きかけることが大切に思えた。

それにしても何と鬱々と過ごしていたことだろう。

仕事の疲れもあっただろうが心も酷く疲れていたように思う。


昼食後はまた炬燵に潜り込み何と4時間も寝てしまった。

夫はすっかり呆れ返っており異常だと言われる。

とにかく起きて何かをしようとは全く思えないのだった。

何だか寝るために生きているような気がしないでもない。


考えることは生きることではなく死ぬことばかりであった。

あと20年はとても無理に思える。せいぜい10年ではないか。

その10年の間に私は何を成し遂げられるのだろう。

詩も短歌も極められない。毎日墓穴を掘り続けているように思う。

救えるのは自分しかいないと思うのだがその自分が心細くてならない。


今日は生きていた。明日も生きていたい。

そんな欲に毎日振り回されている。

そのうち罰が当たるかもしれないがそれも定なのだろう。

その罰を受け止めながら立ち向かって行くべきかもしれない。



       棘

   棘が抜けなくなった
   ちくちくと痛い

   指先まで通う血が
   その温もりのまま
   言葉を奏でている

   たいしたことではない
   ほんのささやかなこと

   生きて在ればこそ
   叶うことがきっとある

   棘はやがて傷になり
   苦しみを歌うだろう
   嘆けば嘆くほどに
   行き場を失ってしまう

   いったい何の罰だろう
   取り返しのつかないことなら
   何としても守ってやりたい

   仕打ちに耐えている
   ありったけの命で
   立ち向かうしかない


 < 過去  INDEX  未来 >


anzu10 [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加