ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年01月19日(日) ちっぽけな人間

曇り日。午後から少しだけ霧雨が降る。

まるで春先のような優しい雨であった。


朝のうちに桜草の苗を植えたが座ると立ち上がることが出来ず

犬のように四つん這いになってやっとの思いであった。

このところ足の痛みが和らいでおり出来ると過信していたようだ。

やはり思うようにはいかずいささかショックであった。

桜草には小さな花芽が見え始めており立春までには咲きそうである。

早春の庭が目に浮かび微笑まずにはいられない。



午後は少しだけお昼寝。昨日は寝過ぎてしまって夜眠れなかったのだ。

天井が落ちて来て圧し潰されるのではないかと思った。

夫の忠告もありなるべくテレビを見るように努めていた。

けれども直ぐに鼾をかいて寝ていたそうで困ったものである。


読書離れをしてしまい随分と経ったが

活字中毒には変わりなくまた過去の日記を読み返していた。

3年前の一月の日記で我ながら読みごたえがある。

つい3年前のことなのに懐かしくてならない。

他の誰の為でもなく自分の為に書いたのだろうと思った。

過ぎ去った日々は二度と返って来ないのだ。だからこその日記である。

母が生きていた。あやちゃんも毎日学校に通っていた。

それが現実でなくて何だろうと思う。


詩のことや短歌のことも書いていたが今とは少しかけ離れていた。

認められたい「欲」を手放しているようだった。

まだ石も投げられていない踏みにじられてはいない頃である。

それだけ自由だったのだろう。生き生きとしているように感じられた。

「初心」とは少し違うが戻れないものかと思う。

私はもっと自由であるべきなのだ。

欲のないありのままの姿で「書く」ことを貫いて生きたい。


今日もやがては過去になるだろう。

生きてさえいればまた出会える「今日」である。

その為に書き残していると云っても過言ではないだろう。


昨夜はあと10年かと記してしまったが

欲を許されるのならば20年生きたくなってしまった。

書いて書き尽くして終れる人生ならそれこそが本望だろう。


ちっぽけな人間である。けれどもこの命を誇りに思っている。


      息吹

   やわらかくなる
   触れるとつるっと
   こぼれ落ちてしまう

   指先にはこころが宿り
   息を伝えようとしている

   石を投げられたこと
   踏みにじられたこと
   もう忘れられるだろう

   誰もが等しく在ること
   疎外されてはならない

   やわらかくなる
   それは春の芽のように
   息吹そのものであった

   私のような者だからこそ
   見失ってはならない
   こぼれ落ちるその前に
   いのちを注ぎ込んでいる






 < 過去  INDEX  未来 >


anzu10 [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加