氷点下の朝だったが日中は随分と暖かくなった。
しかしこのまま一気に春とはいかないだろう。
寒の戻りは必ずあり三寒四温を繰り返すはずである。
桜の季節になっても「花冷え」があり戸惑うことも多い。
山里は昨日の雪を山影に残し一面の霜の朝であった。
県道沿いの桃の花はまだ咲かず蕾さえ見えていない。
ラッパ水仙も同じくまだまだこれからのようだ。
9時を過ぎるなり支払いのお客さんが二人も来てくれて有難いこと。
これで月末の資金も何とか整いそうである。
同じ頃義父から電話があり退院の許可が下りたとのこと。
医師からも電話があり病状の説明もあった。
下血も治まっており貧血も改善していて後は自宅療養となる。
義父は子供のように喜んでおり一刻も早く帰りたがっていた。
午前中は仕事の段取りで忙しく迎えには行けない。
何度も催促の電話があり午後一番に病院へ向かった。
例の女性の姿がなかったのは入院費の支払いがあったからだろう。
頼るべきは私であるのが見え見えであった。
義父の車は置いて帰るつもりだったが乗って帰ると云う。
足元がふらついていたので心配だったが運転を任せた。
工場へ帰り着くなり直ぐに車検場へ向かう。
倒れるのでないかと気が気ではなかったがもう検査を始めていた。
内心はどんなにか辛かったことだろうに一切の弱音を吐かない。
おかげで例の大型車の車検が完了しまるで奇跡のようであった。
随分と長いこと待たせたにも関わらずお客さんは上機嫌で
明日早速に支払いに来てくれるのだそうだ。それも奇跡のようなこと。
なんだか一気に泥沼から這い出たような気分になる。
その後義父は「種籾」の準備をすると言い張っていたが
さすがにそんな無理をさせるわけにはいかなかった。
少しでも横になるようにと言い聞かせ職場を後にする。
もう4時半であった。買い物をする時間もなく夕食は「ほか弁」である。
昨日からラジオの調子が悪く全く聴こえずそれがストレスであった。
忙しい同僚の手を借りずわけにはいかずまたダイハツへ頼もうと思う。
車検の予約はもう3月の半ばまで埋まっており私の車どころではない。
事態は一気に好転したが油断は禁物だろう。
有頂天にならずとにかく慎重に日々を送らなければならない。
誰一人欠けてはならない職場である。
今回の義父の入院でどれほどそれを思い知ったことだろうか。
私も元気でいなければならない。死などもっての外である。
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