三月の声を聞くなり最高気温が20℃を超え四月並みの暖かさとなった。
暖かいのは嬉しいが異常だと思えば不気味なものである。
これで寒の戻りがあればどんなにか戸惑うことだろう。
職場の紅梅が一気に花盛りになった。
まるで三月になるのを待ちわびていたようだ。
生前の母が愛でいたことを思い出し少し切なさを感じる。
重機で整地をした時に義父が残しておいてくれたおかげだった。
お隣は随分と前に老夫婦が亡くなり今は空家になっている。
数日前からチェーンソーの音がしており庭の大きな木を伐採していた。
嫁いでいる娘さんも管理が出来なくなったようである。
それはそれで仕方ないことだが今日は家の前を通りはっと驚く。
何と毎年綺麗な花を咲かせていた桜の木まで伐採されていたのだ。
おそらく娘さんが幼い頃からあった木ではないだろうか。
それを惜しげもなく伐る。いったいどれほどの覚悟なのかと思う。
切り株の何と無残なことだろう。思わず涙が出そうになった。
これから蕾を付けて二十日もすれば花が咲いたのに違いない。
なんだか殺められたように思った。もう二度と咲けはしないのだ。
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義父は昨日よりも少し楽になっているようだったが昨夜も発熱である。
幸い高熱ではなかったが三日目となるとさすがに辛そうであった。
食欲もなく何かを口にする気力もないように見えた。
患部を冷やすことしか手立てはなくアイスノンで冷やし続ける。
せめて例の女性が看病してくれたらと思うが今日は姿が見えなかった。
私は二階に上がるのがやっとで何もしてやれない。
心苦しくてならないが義父は「大丈夫やけん」と言ってくれる。
後ろ髪を引かれるような思いであったが2時半に退社した。
一刻も早く患部の腫れが治まることを願うばかりであった。
点滴の液漏れさえなければこんなことにはならなかったのだ。
あまりにも無責任ではないかと思い病院への不信感がつのる。
それにしても悪いことばかりどうして続くのだろう。
もしかしたら母が寂しがっているのではないかと思った。
供養も疎かにしており遺骨の埋葬も出来ずにいる。
けれども義父も私も精一杯の日々であった。
母ならばきっと理解してくれるはずだと信じたい。
義父を救ってはくれまいか。朝に晩に母の遺影に手を合わせている。
それが私に出来る唯一の供養であった。
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