曇り日。午後から少し陽射しがあったが青空は見えなかった。
昨夜の雨は残念ながら水不足の解消とはならなかったようだ。
山里では水の奪い合いがあると聞き何と理不尽なことだろう。
自分の田んぼに水が溜まるように隣田への水を堰き止めるのだそうだ。
水不足は深刻な問題である。少ない水だからこそ平等であらねばならない。
今朝の道ではっとしたのは馬酔木の花が殆ど枯れていたこと。
山肌からこぼれるように咲いていた可憐な花の面影もない。
馬酔木が散れない花だと初めて知り切なさが込み上げて来る。
紫陽花と同じなのだ。やがては化石のように枯れ尽きてしまうだろう。
けれどもまた季節が巡って来れば健気に咲いてくれるのだった。

自賠責保険と重量税の精算日であったが資金が足らず困り果てる。
予め預かっていれば問題はないのだが殆どが立て替えであった。
義父は今朝も田んぼに出掛けており誰にも相談出来ない。
自分で何とかしなければと金策に走り回っていた。
信用金庫のキャッシングカードは暗証番号を間違えてしまいアウトとなる。
行員さんに相談したらカード会社に連絡するようにと云われ
今日の事にはなりそうになかった。がっくりと肩を落とすばかりである。
仕方なく山里まで帰り郵便局で私のへそくりを引き出す。
そうでもしないと今日の精算が出来ず大変な事になるのだった。
年金から少しずつ貯めて来た大切なへそくりであったが
背に腹は代えられない。きっと戻って来るお金なのだと思う。
しかし前途は暗い。こんなことをしていて会社が持つのだろうか。
そう思い始めると不安でいっぱいになった。
これまで何度も危機を乗り越えてきたがそれが自信とは限らない。
お金は天下の回り物だと云うがいったい何処をうろついているのだろう。
2時を過ぎても義父は帰らず昼食の心配もあったが逃げることにした。
義父の苦労も大きいが私の苦労は迷子になっているようだ。
誰も頼る人がいない。ひたすら彷徨うばかりである。
そんな人生も在りなのか。誰が好き好んで苦労を選ぶのかと思う。
帰宅して夫に話したら当然のように少し機嫌が悪かった。
私が会社の経営に携わることを前々から懸念していたせいだろう。
母の死後、専務になることにも大反対したのだった。
「ずっと事務員でいろや」とその言葉こそが夫の願いだったのだと思う。
70歳が目前となり母と同じ道を歩んでいるようだった。
少しでも母に楽をさせてやりたいその願いは叶ったが
いざ自分が母の立場になるとあまりにも大きな山ばかりである。
ゴールは全く見えておらずひたすら走り続けなければならない。
不自由な足を引き摺りながらである。決して倒れてはならないのだ。
ほっとする瞬間がきっとあるのかもしれないがそれは何時だろう。
私にも残された人生があるのだろうか。
底
どれほどの深さだろう 手を伸ばしてみたが 底に届くことはない
季節は初夏を装い 風を薫らせている 木の芽は芽吹き 陽を浴びて輝く
私には枝もなく 葉にもなれない けれども生きているらしく 息をする度に揺れるのだ
深まることは切ない 底を知らないままに 生き永らえている
もし届くことが出来たら すくっと立ってみせよう
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