ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年04月22日(火) どうどうどう

曇り日。夕方からぽつぽつと小雨が降り出す。

「穀雨」となれば良いのだがあまりにも頼りない雨音である。


朝の山道を行けば道路沿いの八重桜が散り急いでおり

落ちた花びらがまるで薄桃色の絨毯のようであった。

それもまた風情があり一瞬写真を撮ってみようかと思う。

しかし車は停めたものの降りて花びらに駆け寄る行動力がなかった。

「まあいいか」と呟きながら発進し峠道へと向かう。


山里の最初の民家が見え始めると畑の隅にオオデマリが咲いていた。

コデマリよりも大きいので白い紫陽花のように見える。

優雅であるがコデマリの方が可憐に思え好きだった。

花は競い合いはしない。互いに褒め合いながら咲いているのだろう。




職場に着くなり例の大型車を納車に行っていた。

丁重に頭を下げて侘びたのは云うまでもない。

毎年の車検なので何としても来年に繋げたかった。


義父はまた早朝から田起こしに出掛けていたようだが

中古で買ったばかりのトラクターの調子が悪いとのこと。

思うように作業が出来ずかなり苛立っているようだった。

もちろん工場の仕事どころではない。何ひとつ相談も出来ないのだ。

言葉は悪いがまるで気が狂ったように見える。

口調も動作も異常としか思えなかった。

それ程までに米作りに命をかけているのだろう。


車検場には車検待ちの車を置いてあったのだが

その車が邪魔になると云うのには流石に呆れ返る。

大切なお客さんの車である。どんな口が云っているのだろう。

義父が車検さえ済ませてくれれば直ぐに納車出来るのだ。

そこで私が一言云うと「それどころではない」と怒鳴る有り様である。

怒鳴られると悲しいものだが今日は無性に腹が立った。

もうこんな人と一緒にはやっていけないと本気で思う。


しかし腹は立てずに気は長くである。

「どうどうどう」と馬を宥めるように少しずつ気を取り直していた。

明日は明日の風が吹くだろう。そう思って耐えるしかないのだ。



少しでも早く逃げ出したくなり2時過ぎに退社する。

帰宅するなり夫に愚痴ったのは云うまでもない。

「そんな時は要らぬ口を叩いてはいかんぞ」と夫の云う通りである。

私も気ばかり急いていたのだろう。かなり焦っていたようだ。

何とかなるのなら何とかして欲しいと祈るばかりであった。


夕飯は「八宝菜」と「切干大根の煮物」だったが

孫達はどちらも好まず娘が困り果てていた。

孫達の好きなメニューにするべきだったと悔やまれる。

結局はレトルトのカレーとなり一件落着となった。


歳のせいかもしれないがあれこれと気が届かなくなっているようだ。

仕事のある平日は特に心の余裕を失くしているように思う。

どうでも良いことなど何ひとつないのだと分かっていても

無意識の内に疎かにしてしまう事がとても多い。

もっともっと丁寧に生きていきたいものである。


※昨夜は誰なのか分からない幼子を抱いて歩いている夢を見た。


           幼子

      幼子を抱いて歩いていた
      季節は初夏のようであり
      若葉が薫る土手の道

      さらさらと流れる大河に
      降り注ぐ陽射しは
      川面を金色に染め
      さざ波が踊っている

      この子は誰だろう
      少しも重くなかった
      小さな手を握りしめ
      素足が胸をくすぐる

      風は沖から吹き
      ほんのりと潮が匂う

      守ってやらねばならない
      育ててやらねばならない

      幼子の微笑みに
      老いた命を重ねていた





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