ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年04月21日(月) 海老せんべい

最高気温は25℃と夏日に達していたが

爽やかな風が吹き過ごし易い一日だった。

一年中こんな気候ならどんなにか良いだろうか。

しかし夏がなければ秋は来ず冬がなければ春は来ない。


遅咲きの八重桜は散り始めてしまったが

今度はツツジの花があちらこちらに見られるようになった。

特に国道沿いに植えてあるツツジは見事である。


山里ではドウダンツツジ、キリシマツツジも見られ心が和む。

ドウダンツツジは鈴蘭の花に似て何とも可愛らしい。

キリシマツツジははっとするような真紅であった。

ツツジの種類は沢山あるらしいがとても覚えられない。

まだ咲き始めたばかりであるがGW頃が見頃ではないだろうか。



昨夜は仕事の事で頭がいっぱいになっており気ばかり急いていた。

大口の支払いがあったが資金が足らなかったのだ。

義父に相談しても何も変わりはしないだろう。

苦肉の策で支払いを待ってもらことにして急場を逃れる。

しかし月末には必ず支払わなければ今後の取引が出来なくなるのだった。

仕事は後から後からあるのに売上金の回収が追いつかない。

催促はしてはならずひたすら待つしかなかった。


早朝から田んぼに行っていた義父が2時頃帰って来る。

お弁当を買いに走って急いで昼食を食べさせた。

また直ぐに出掛けるだろうと諦めていたのだが

思いがけずに大型車の車検を済ませてくれて大助かりだった。

不具合が多く何と2ヶ月近く預かっていた車である。

お客さんは急がないと云ってくれていたが一度催促があった。

いくら使用しない車であってもあまりにも待たせたのだろう。

今後の信用にも繋がり二度とあってはならないことである。

義父が常に待機してくれていたら在り得ないことだったが

その義父は同僚に責任を押し付けようとしていた。

自分の非を絶対に認めないのが義父の大きな短所である。


4時前に退社。同僚に声を掛けたが頗る機嫌が悪い。

一生懸命に働いてくれているのに義父は労うこともしないのだ。

それでは同僚も報われないだろう。何だか憐れでならなかった。

せめてお給料を上げてやりたかったがそんな余裕もないのだ。


5時前に帰宅。もう横になる時間もない。

娘とめいちゃんが四万十川へ川海老を獲りに行っていたらしく

バケツを提げて得意顔で帰って来た。

まだ赤ちゃんの海老だがけっこう沢山いておどろく。

ぴちぴちと跳ねているのを揚げるのは可哀想であったが

娘は手早く片栗粉をまぶし「海老せんべい」を作る。

誰に習ったのだろう。私は教えた記憶がなかった。

そもそも娘と一緒に川海老を獲りに行ったことがあっただろうか。

もしかしたら亡き姑かもと思う。娘はおばあちゃんっ子だったから。


川仕事に追われるばかりで娘と遊んだ記憶もない。

どんなにか寂しい思いをさせたことだろう。

宿題を見てやったことも学校の話も聞いたことがなかった。

それなのにすくすくと成長したのは姑さんのおかげだと思う。

私自身は姑さんとの良い思い出が殆どないのだが

娘にとっては大好きなおばあちゃんだったのだ。


※日記の内容とはかけ離れていますが今朝の詩を載せておきます。


           波

     とうとう尽いてしまったのか
     言葉の波が退くばかりである

     潮が引いてしまえば
     川底の岩が剥き出しになり
     僅かの水を求めて魚が群れる

     どのような境遇であっても
     生き永らえねばならない
     干からびてしまえばもう
     息さえも出来ないだろう

     ここは汽水域である
     真水と海水が混ざり合い
     沖からの風が吹き抜ける

     どれほど生きて来たことか
     言葉に出来ないのが苦しい

     独りきりではないはずなのに
     どうして寂しく心細いのだろう

     風あってこその波である
     ゆらゆらと揺れながら
     失くした言葉を探し続けている



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