ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年04月20日(日) 身の程を知る

二十四節気の「穀雨」穀物を潤す雨が降る頃であるが

明け方まで降っていた小雨は長続きしなかった。

米農家さんは水不足に頭を悩ませるばかりである。

災害級の雨になっても困るがまとまった雨量を願っていることだろう。


雨上がりの曇り日。気温はさほど上がらず過ごし易い一日だった。

藤の花、モッコウバラ、山吹の花が生き生きとして見える。

お向かいさんの庭には紫陽花の葉が青々と輝いていた。


朝刊が届くのを待ち兼ねて開く。そうしていつも失望するのだが

今朝は文芸欄に俳句と短歌が入選しており何とも嬉しかった。

踏みにじられるばかりではなかったのだ。救われる時もきっとある。

どれほど励みになったことだろう。努力が報われたような気がした。


夫は文芸欄に目を通す人ではなかったが報告すると喜んでくれ

なんだか父親のように思えてならなかった。

父ばかりではないのだ。母もきっと喜んでくれたに違いない。


しかしここで有頂天になってはならない。

今後も尚いっそう努力を怠ってはならないのだと思う。

私はいつだって身の程を知っている。




市長選の投票を済ませ久しぶりに「一風」へ行った。

夫は白内障の影響か運転を渋っていたのだが

一度却下をしてから思い直してくれたようだった。

もしかしたら今朝のご褒美かもしれないと心が浮き立つ。


「一風」はお昼に法事の宴会が入っていて大忙しの様子だったが

30分待ちで美味しい炒飯とラーメンを食べることが出来た。

「余は満足であるぞ」お腹を撫でながら帰路に就く。

車中での夫との会話も弾み二人とも上機嫌であった。


帰宅すると一気に眠気が襲って来てまたお昼寝である。

今日も4時半まで眠ってしまい我ながら呆れるばかりだった。

明日からは仕事なのでお昼寝も出来なくなる。

寝溜め失くしてどうして闘えようかと自分を宥めていた。


夕飯は初物の筍。高価であったがサニーマートで買い求める。

以前はご近所さんからよく頂いていたがここ数年届かなくなった。

高齢化もあるのだろう。筍を掘るのも大変な苦労である。

私は筍が大好物で毎日食べても飽きない。

お鍋の中を見れば明日も食べられそうでウキウキとしている。



午後8時。窓を開け放しているが夜風の気配もなかった。

星も月も見えず空は眠っているように見える。

吸いたいだけ煙草を吸い焼酎三昧の夜であった。

明日からの仕事の事が頭から離れないが

眠りに就く前に短歌を三首詠むのが日課である。

身の程を知り尽くしていても詠まずにはいられなかった。



          糧

     何を糧に生きているのか
     ことばの花に訊いている

     老いるばかりのこの身には
     添える花さえ見つからず
     ただもがくばかりの日々

     春は深まり初夏の風が吹く
     仰ぐ陽射しには光がやどる

     このままでいいのだろうか
     命の蝋燭は揺らぐばかりで
     心細くてならないけれど

     仰ぐことを止めてしまえば
     一歩も前へ進めないだろう

     一輪の花として生きてみよう
     枯れることを怖れてはならない

     ことばは糧であろうか
     失くしてしまえば生きていけない


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