2006年10月12日(木) |
「デュランダル:durandal」2 |
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聖都、ヴァンディミオン邸宅にて、傍目からみればおかしな二人組が剣を交えていた。ヴァンディミオン家紋章クアドリフォリオ(四葉のクローバー)の意匠が、これでもかとそこかしこに彫りつけられた大噴水の南側、玉砂利が引きつめられたちょっとした広場である。 一人は軽装で壮年の男。銀の髪に青の瞳、背は高いが痩身の優男で、大きな両手剣を軽々と操って相手と手合わせをしている。 ひるがえってもう一人は、古式ゆかしい騎士の格好をしていた。鎖帷子で全身を覆い、首から上は金の十字の切れ目が入ったグレートヘルム。頭上に乗せたクレストは金の首輪に繋がれた白鳥で、まとったサーコートは鮮やかな緑の地でクォータリー(縦横十文字に四分割)に別れ、向かって左上と右下にヴァンディミオン家紋章が銀の刺繍でもって浮かび上がっていた。 面頬さえあげられぬ、大時代的な格好の騎士は、美しい剣を操っていた。両手剣には若干細く、レイピアよりも長い。何より人目を引くのは、金地の柄に施されたビサンツ様式の象眼と、埋め込まれたエメラルドの輝きだ。 その騎士と軽装の男の剣は、陽にきらめき、ぶつかり合うたびに高く美しい音をたてた。
「少し、休もう。君も息があがっている頃だろう」
軽装の男が重装備の騎士に声をかけた。銀髪の男は剣の指南役なのである。
「はい…」
くぐもった返事が聞こえ、騎士は重いヘルムを頭から外した。表れたのは濃い金髪で飾られた色の白い、細面の頼りなげな若い男の顔だった。剣指南役は彼、セルピコという騎士がグレートヘルムを外すたびに、湯であげられた大きなエビの殻を剥いたようだと思った。外は堅固な殻で守られているが、中身は白い肉の塊。彼ではエビ程の肉の歯ごたえも無さそうに見える。
「どうだろう、少しは慣れたかね?」
「…そうですね、最初よりは随分マシにはなったかと…」
美しい剣を無造作に地へ突きたて、柄頭に手を置いてセルピコは答えた。長めの前髪が乱れ、額に汗が光っている。
「しかし、ラミレス様、この様な付け焼き刃で"実戦"を戦えるのでしょうか?ましてや対戦相手を……」
剣の指南役はラミレスという名らしい。彼もまた、困惑した様に剣を支えにしてため息をついた。
「まったく同感だ。鎖帷子で騎士達が戦ったのは大昔の事だよ。今では祭りの御前試合で、ランスをぶつけ合うくらいの見せ物なんだが……」
言葉尻を濁してラミレスは、噴水の縁に腰掛けるこの舘の令嬢を横目で見た。毎回、侍女の危のうございますという言葉をよそに、彼女は頑としてセルピコと言う青年の剣の手合わせに立ち会うのだ。諦め顔の侍女が日傘をさすその下から、妙に険のある碧の瞳がじっと彼らを見据えているのだ。 奇妙な令嬢だと思っていた。従者の剣術の稽古を、間近で見たがるというてんでも変わっている。彼ラミレスは数えきれない程の貴族の舘で、貴族の子弟に剣を教えてきたが、教圏屈指の大富豪令嬢ファルネーゼを見るたびに何かしらの微かな歪みを感じる様になった。 かの令嬢は、ひたすらセルピコという名の若い騎士を見ている。一心不乱、それこそ脇目もふらずにだ。おかし難い気品や身に付いた優雅な身のこなしは当然の様にあり、大貴族らしい美しい令嬢と言えるが、何か頑ななものを感じる。 深窓の令嬢とはまた若干違うもの。様々な貴婦人をも見てきたが、ただ深窓であるだけの令嬢は、ラミレスとその弟子が剣を振り回す光景を舘の高い場所からおっとり見ているか、日傘付きの散歩で偶然立ち会いゆっくりと驚くくらいだった。 また女である事を意識し始めた若い令嬢らは、美丈夫のラミレスに高慢さの内側から密やかな媚態を示したものだった。 自惚れる訳ではないが、ヴァンディミオンの令嬢はラミレスを見ない。目の前の切れ長の瞳をした頼りなげな若い騎士に、ひたすらな執着を見せるだ。
「座って休んでもいいよ、セルピコ君。休む事も修行のうちだ」
「あ、はい。では少しだけ…。あ、ラミレス様はお休みにはならないのですか?茶でも運ばせますが…」
「ん〜今は結構。喉が渇いたら遠慮なく茶を所望するよ。ただ、これからの手合わせなんだが、かなり危険な事になる。あの御令嬢に恐れながら席を外すよう言上してはもらえまいか?見学ならバルコニーでも出来ようし」
「はぁ…自信はありませんが…」
セルピコはヘルムを脱いだときより、その青白い顔へ濃い疲労の色をにじませた。
「これから私も君も、真剣にやらなければならない。ファルネーゼ様にもしもの事があったら、君も私もただでは済まないだろう?」
「そうですね、本来ならそうありたいものです…」
「?」
謎の様な言葉を残して、セルピコはファルネーゼの元へ歩いていった。
話し合う音は聞こえるが、内容は定かではない。侍女もファルネーゼへ何か言っている様だ。そのうちファルネーゼ嬢は激昂し始めたらしい、立ち上がり項垂れた形に見えるセルピコを怒鳴りつけ、頬をはった。 やれやれ、またか。むき身の剣を肩に置いて、ラミレスはため息をついた。ここから見えなくても、セルピコがどんな顔をしているか彼にはよく解る。ヴァンディミオン家へセルピコの剣術指南役として招かれてから、幾度となく目にした光景。令嬢が我がままをいい、なだめる従者のセルピコを彼女は容赦なく罵倒し、頬をうった。その度、年上であろうセルピコは、やはり項垂れたまま令嬢の平手打ちを甘んじて受け、黙したままだ。 下の者に厳しい屋敷はあるものだが、ファルネーゼの怒りは主にセルピコに向けられる。当初、その光景をいぶかしく思ったラミレスは、ヴァンディミオンの使用人に聞いてみたが、セルピコは幼少からファルネーゼ専用ともいえる従者で、あれは当たり前なのだとしか言わなかった。 と、打たれた頬に手をあてたセルピコをよそに、ファルネーゼ嬢がこちらに向かって歩いてくるではないか。侍女が慌てて日傘をもって、その後ろからセルピコが彼女を後を追ってきた。 矛先は私に向いたか。ラミレスは苦笑した。ヴァンディミオン家一族の特徴であるやや太くはっきりした眉の下の瞳は険しく、白い頬は怒りで紅潮していた。そんなに怒っても美しいだけですよ、お嬢様。
「ラミレス様!たった今セルピコから聞きました。これから大事な時なのに、私を遠ざけよとおっしゃいますの?セルピコは私の従者です。主人として従う者の仕上がりを見届ける義務があるのです!」
ファルネーゼは背が高いラミレスを見上げ、一気にまくしたてた。 苦笑しつつラミレスは返す。
「恐れながら、これから仕上げに入るからこそファルネーゼ様には遠くから見守ってやって欲しいのです。これから私も本気でセルピコ君と立ち会います。その際、小石や欠けた剣の破片、最悪の場合、剣そのものがファルネーゼ様を傷つける事すらあるのです」
「セルピコはそんな真似をしないわ!絶対に。それとも剣聖とまで言われるホアン・ラミレス様ほどの方が、そんな失敗をなさいますの?」
「ええ、セルピコ君はしないでしょうね。でも私は絶対の自信はありません。いくら剣の扱いに精通しようとも、そのお約束は出来かねます。それに…」
興奮したファルネーゼの頬に、乱れた金髪の数本が張り付いている。まだ何か言おうとする彼女を制し、それを見下ろしながら言葉を続けた。
「今回の馬上槍試合はア・ルートランス、相手を殺すかこちらが死ぬかの戦いです。誰かをかばいながらの剣では、貴女の従者が死にますよ。それでもよろしいか?」
さすがにファルネーゼも言葉に詰まった。目を泳がせ、次の言葉を探しているが見つからない。さらにラミレスは追い打ちをかけた。
「セルピコ君は筋がいい。後ろを気にせず剣をふるえれば、トーナメントで相手を倒す事も夢ではありません。貴女に剣を捧げた若い騎士が、晴れの舞台で相手を殺すのです」
「最高に興奮するでしょう?」
「無礼者!」
囁く様に告げたラミレスの言葉に、ファルネーゼはもっと頬を朱に染めて反射的に平手打ちを食らわせようとしたが、ラミレスは貴婦人の白い手を難なく避けた。 怒りに声も出ないファルネーゼは、しばしの間細かく肩を震わせていたものの、踵を返して邸へ駆け込んでいき、また侍女が彼女を追いかける。
「お聞き入れいただけないなら、お父上のヴァンディミオン卿にお目通りする事になりますよーっ」 かの令嬢は涙さえ滲ませていた。 後には頬を押さえたセルピコと、ラミレス、男二人がぽつんと残された。
「……お茶をいただけないかな?セルピコ君。御婦人相手は疲れるな」
「あ、はい……、しかしラミレス様、あの言い様は…」
こちらは平手打ちで頬を腫らせたセルピコが、ぼそぼそと話かけてくる。
「ヴァンディミオン卿の不興を買うかい?私は君の方が怖かったけどね」
「………」
「本当に人を殺したいと思ったら、むしろ殺気は隠すものだ。この樹の下で待ってるよ、お願いする」
無言で頷くと、セルピコは邸の厨房へゆっくり歩いていった。
ラミレスは巨大な落葉樹の根元に座りこみ、なにという事もなくセルピコの後ろ姿を見ていた。鎖帷子とヴァンディミオン家の紋章が入ったサーコートの下の、細く頼りなげな身体を思う。ただその細さは余計な筋肉が付いていなだけの話で、際に剣で手合わせをしている時は、鎖帷子の重さなど感じさせない程巧みに剣を操った。だがヴァンディミオン家の紋章が、必要以上に重くセルピコの肩へのしかかっている様に見えた。 しばらくして使用人が茶器の入ったワゴンを運んできた。香り高い紅茶の入った茶器は、薄い白磁に美しい紺碧の唐草の文様が焼き付けてある。遠くあの野蛮なクシャーンよりも東から、泥に包まれて運ばれてきた高価な茶器だった。さり気なく出される品々にも、教圏屈指の大富豪ヴァンディミオン家の豊かさが示される。
「すまないね、先に頂いているよ」
セルピコは使用人の後からやってきて、自分用の茶は自分で茶器に注いだ。
「いえ、気になさらないでください」 そう返事をすると、セルピコはラミレス同様樹の根元に座り込んだ。ラミレスは早くも、律儀に茶器のワゴンのそばに侍っている使用人に次の茶を頼んだが、セルピコは強い酒を飲む様にちびちびと茶を口に含ませていた。かの令嬢の張り手が効いたのだろう、口の中を切っているのかもしれない。
「…正直、フェディリコ殿の不興をかって、今お役御免となってもかまわないんだ。君に教えられる事はすべて教えたと言っても過言ではないしね」
「そんな…先生まで僕を見捨てるのですか?」
冗談めいた口調の、顎の細い白い横顔。平民あがりの従者とあって、どんな愚鈍そうな人間かと思って招かれたが、引き合わされたのは奇妙に出目を感じさせない、品のいい細面の若者だった。いや、最初は少年であったか。平民出であっても整えられた身支度で、濃い金色の髪が卑しいものを感じさせないのかもしれない……。
「剣の技を身につけたら、後は実戦の経験をつむまでだ。そこまで私には教えられない。せいぜい鎖帷子の重さに慣れるまで、剣の手合わせをするくらいだな」
「……先生、騎士が人を殺したら、天国には行けるんでしょうか?」
意外な言葉がセルピコからこぼれ、ラミレスは驚いた。剣の腕だけではなく、家庭教師がもう教えられる事は無いとまで嘆く利発な若者とも聞いていたのだ。
「…意外だな、君は合理主義者だと思っていたよ。法王庁の教えは汝殺すなかれだが、神の正義のため、名誉の為に戦った者は天国へ召されるそうだ。それに教えの説く冥府ばかりじゃない。騎士、戦士であるかぎりワルハラやアヴァロンへは行けるさ」
「はは、ワルハラか。そこでは毎日英雄達が戦って、死んで、生き返って、神々の宴会で戦場の乙女達が酒をついでくれるんですってね。僕はもうちょっと静かな所へ行きたいな」
「……君はまさか死ぬ気か?」
『真剣勝負よ!』 ファルネーゼ嬢の一言で始まってしまった事態だ。決闘で引き分けに持ち込まれた相手の貴族が、別れ際にセルピコを侮辱したのがきっかけだった。 ファルネーゼの言葉に貴族は答え、時代遅れの御前試合へと話が転がっていってしまったのだ。無責任な貴族達、見せ物を要求する市民達、聖都すべての市民が沸き立つ熱狂と興奮に、さすがのヴァンディミオン卿も押さえる事が出来なかった。 そこには聖都市民の不満の、ガス抜きの意図もあったかもしれない。法王庁への疑問が、高位聖職者からも出てきたご時世だ。原初の夫が耕し、妻が紡いだとき、いったい誰が貴族で、誰が平民であったのか? 戦乱に重税、疫病と、苦しむ人々の怨嗟が爆発する寸前でもあった。
「まさか、僕は”死ねない”んです。病を抱える肉親がいますし、ヴァンディミオンの名を背負ってしまっては、死ぬ訳にはいきません」
「そうか、そうだったな…」
ラミレスが何杯目かの紅茶をつがせ、茶菓子を口にしている横で、セルピコは温くなったであろう一杯の茶を音もさせずにすすっていた。
「私はヴァンディミオン家に招かれてこの庭に通された時、こここそが地上の楽園だと思ったよ。美しく整えられた花々の中、ひと際美しい令嬢に、君の様な若い騎士にかしずいている。絵の様な光景に見えた」
「……そうですか、他の方にはそう見えるんですね…」
「だから、当初どうして君たちがあまり幸せそうでないのか、解らなかった」
「……御舘様か奥様か、どちらでもよかった。かの方々がファルネーゼ様にもっとお心をくだいてくだされば、あんな風に僕に関心を向ける事もなかったでしょう……」
「愛情が必要、か。大ヴァンディミオンは変わった貴族だな」
無駄話はこの辺にして、稽古へ戻るか。何杯目かの茶を飲み干して、ラミレスは立ち上がった。
続く
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