年増のボヤキ
エロ目的の方には不向きです
  不向きですってば

2010年11月13日(土) 肺炎と食事

幼稚園の年中さんの時(4歳)、肺炎にかかった。



その肺炎はわりと重い状態だったようで
両親は医師から「覚悟してください」と言われたそうだ。



入院期間はどのくらいだったのか
母と父が交代で私と一緒に1つのベッドで眠ったそうだ。
母は当時弟の妊娠中だったはず。


1日2回(だったかな)の点滴の前に
お尻に注射を受けなければならず

看護婦さん(当時)が押す、注射の乗った台の
キャスターの音が聞こえてくると
誰からともなく、同室の子ども全員が泣いた。



クラスのお友達が寄せ書きのように
「はやくげんきになってね」と沢山書いてくれた手紙の束。

暗く、寒かった病院のトイレ。

姉がお菓子の空き箱で作ってくれた工作。

母方の祖母がくれた
赤いエプロンをつけた女の子の人形。

入院中の記憶は特に断片的のようだ。




退院してからも私は体が弱かった。
1日の中で一番嫌いな時間は食事の時間だった。
少ししか食べることができないのに
茶碗と箸を持たされたまま
「食べきるまで」と玄関の外に出され、鍵をかけられた。

「許してください」と泣くことしかできなかった。



(母はその後、「当時は肺炎で死にかけたあなたを
丈夫にしてやりたい一心だった」と言っていた。)



当時は団地の1階に住んでいたので
上の階のおじさんやおばさんが通りかかり
泣いている私を自宅に招きいれてくれた後
母に注意したそうだ。

私はその時、おばさんちのオカメインコと遊べて嬉しかった。



外に出されなくなってからも
食べ終わるまで一人ダイニングテーブルに残され
隣の部屋でみんながテレビを見ている声が
背中の向こうから聞こえていた。

私の視界には、濃いオレンジ色の、楕円形のランチョンマット。



母の目を盗んでご飯をゴミ箱に捨てた。

もちろんそんなことはすぐにばれて
また怒られた。


ご飯を食べないで済む世界に行きたかった。


弟はいつもこちらに背中を向けて
冷蔵庫の壁に並んだ数字やアルファベットのマグネットで
楽しそうに遊びながら食事していた。
「もういらないの?じゃぁいいよ」と言われていた。

私は、喋っていると余計に食べないからと
口をきくことも許されず
ただ黙々と、オレンジのランチョンマットを見つめながら
永遠とも思える長い時間を過ごした。


弟とは年齢が離れているし
健康だったので仕方がなかったのだろうけど
当時は「この差はなんだろう」と思っていた。
恨めしい気持ちだった。





豚の脂身。
口に入ると吐き気がするので
食べることができなかった。


そこだけを残し、やっとの思いで他のものを食べ終わると
父が「子どもは脂身を食べなきゃいかん!口を開けろ!」と言って
残ったそれだけを口に突っ込んできた。

無理して噛んで飲み込もうとしたけれど
吐き気が襲ってきて
トイレまで急いで行こうとして間に合わず
カーペットの床にもどした。

「何やってんだ!拭いとけ!」

泣きながら自分で拭いた。


そしてその後も同じことを何度か繰り返した。


くすんだオレンジ色のカーペットには
黒い染みがいくつも残されていた。


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瑛 [MAIL]