mortals note
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2005年10月01日(土) |
IE/047 【INSOMNIA】 04 |
4.bystander/真実に従うもの
第三の被害者、いくつもの高級クラブを牛耳る女主人(マダム)、セレスタ・リニエールのプライベートルームにたどり着いたのは、日も暮れかけた頃合だった。 先客がいる、とは聞いていた。 国家中枢とは完璧に―――表向きは―――分離している警察のご一行だった。 IEとして任務についている限り、警察の方々とは自然と顔見知りになる。が、恋にはそれが大変にわずらわしいものでもある。 警察が地道に己の経験と足と勘とで仕事をしているのは、昔も今も変わらぬ事実だ。 特に叩き上げと呼ばれる人種の人々は熱血漢で正義感に溢れている方々ばかりで、すべての真実を赤裸々に公にしたいと望んでいるものだ。 IEは、王族やその周囲に関する事件を、国家権力を盾に横からかっさらい、王宮に不利になることはすべて隠匿する。 ゆえに、総じて現場を任される刑事たちとはソリがあわない。
現場の入り口を塞ぐ警察官は、チンピラのような恰好の男を押しとどめようとしたのだが、相手が仏頂面でIE―――インペリアルエージェント―――のIDカードなどちらつかせたものだから、慌てて上司に報告に走った。 そして、煮え湯を飲まされたような顔をして、天敵が通過するのを見送ったのである。 愛想が悪すぎます、と補佐用サイボーグのお小言を右から左に流して、恋は現場の扉を開け放った。 とたん、波のように押し寄せた生ぬるい臭気に、恋は目を眇める。 「……こりゃひどいな」 扉から直線上の壁に、人形のようなものがもたれかかって座っていた。 正確には、昨晩までは生きていた人間の体だ。 床には赤黒い染みが広がっている。すっかりと乾いて、今はなまなましさは失っていた。 「仕事を横取りご苦労様だな」 すぐさま揶揄が飛んでくる。見慣れた姿だった。 セントラルエリアを管轄にしている刑事だ。もうすぐ定年を控えている彼は、長年刑事で培った鋭い勘とお上に媚びない精神力を持っている。 頭痛を覚えながら、軽く受け流す。まともに取り合ったら負けだ。 死体に歩み寄って、しゃがみこんだ。 「死んだはずの王弟の封蝋がなんで今になって持ち出されてきたんだ?」 演説のように続く刑事の声に、鋭くフィメが答えた。 俺とおまえ、どちらが愛想に欠けるってんだ。 毅然とした相棒の態度に、屁理屈のようなことをふと考えた。 その、体の右側に。 ちくりと刺さるようななにかを感じた。 痛いわけではない。決して。 ただ、ざわつきがある。 ちりちりと訴える、かすかな熱のような。 ―――視線。 「大体、近衛課に任せると耳障りのいい解決案しか帰ってこねぇんだ。知られちゃマズいことは絶対に公に―――」 「……誰だ?」 誰何し、恋は腰をあげた。 視線の先に向き直った。 そこには大きなクロゼットが控えている。 悪意のあるものではない。それならば、もっと早くに気がついたはずだ。 何事かを怒鳴る濁声も、もう気にならなかった。 一歩踏み出すと、床がきしむ。 目は、ただ見ている。 傍観者として。 軋みを伴いながら、クロゼットの前に立った。 薄い壁を隔てた向こうに、今は確かに気配を感じる。 息を殺している。 取っ手に手を掛け、恋は一気に傍観者の隠れ蓑を取っ払った。
「―――ッ」 声にならない悲鳴が確かに聞こえた。嗚咽にも似た響きはくぐもっている。 「……おまえ」 恋は目を瞠った。 見目麗しい華奢な男がひとり、クロゼットに膝を畳むようにして座っていたからだ。 両手で口を覆って、声を出さないようにしている。 少年を脱したばかりの、曖昧な境界にいる青年だった。 繊細なつくりの顔立ちに、贅肉どころか筋肉すらろくについていないような細い体。 大きな瞳は盛り上がった涙で濡れている。 「いつからそこにいたんだ」 今にも卒倒してしまいそうな男の様子に、恋は幾分か声の調子を和らげて問うた。 青年は両手で口を覆ったまま、首を左右に振る。 目の際から涙が落ちた。 「……見てたのか?」 端的に問えば、青年はびくりと慄いた。 零れ落ちそうなほどに瞳を見開いて、凍りつく。 恋は、後方にある女の死体に意識を遣った。 だらしなく四肢を投げ、無惨に切り裂かれて蹂躙された女主人。 なぜ青年がこの中にいたのかは分からないが、おそらく彼女が殺されたそのときも、この中にいたのだろう。 恋は青年に向かって右手を伸べた。 呆然と差し伸べられた掌を凝視して、それでも青年はゆるく首を横に振った。 頑なに口を覆ったままでいる。 嘆息をひとつ、恋は青年の二の腕を掴んだ。無理に口元から手を引き剥がそうとはせずに、引っ張り起こす。 握った二の腕が同じ男とは思えないほどに細く、その違和感に少しだけ戸惑った。 抵抗するものかと思ったら、青年は案外従順に立ち上がった。 “従いなれている”。 決して強引にはなりすぎないよう、それでも促すように恋は掴んだ腕を引いた。 よろめく足取りで、青年はクロゼットから脱出した。 まろぶように二三歩前に出る。大分足元が覚束なかった。 「 あ」 蚊の鳴くような声がこぼれた。 部屋の中央まで歩みだした男が、無惨な死体を視野におさめたときのことだった。 この世の憂いを何も知らぬかのような秀麗な顔立ちにふと、影がさした。 体の割にあどけない青年の様子に、恋はようやくこの場所がかなり血なまぐさいことを思い出す。 それと同時に、死体を見てもあまり動じなくなった自分にも気がついた。 あまり見せるのは酷だ。 青年のこのおぼつかない様子も、もしかしたら殺戮を目の当たりにしたショックかもしれない。 恋は掴んだままの二の腕を引いて、青年を部屋から連れ出そうとした。 しかし思わぬ抵抗に遭った。 足に根が生えたかのように、当の本人がその場から動かなかったからだ。 大きな瞳を物言わぬ骸にむけたまま、青年は必死に口元を押さえていた両手を恐々とはずした。 「おおきな、おとこ」 図体に似合わぬ、細い声だった。 硝子玉のような双眼で死体をじっと見たあとで、緩慢に恋に顔を向けた。 「おおきな、みにくい男が、セレスタを」 死体が背を預けている壁の上部は、全面が窓になっている。 夕暮れ時、黄金の光が斜めに差し込んで、緻密につくりあげられたような青年の顔を神々しいほどに照らした。 たどたどしい言葉に、一同は固唾を飲んだ。 唯一の、目撃証言かもしれない。 「ナイフで……」 シャーマンが霊をその身に降ろしているかのような。憑かれたような物言いだった。 涙でうるんだ瞳でまばたきもせずに、縫いとめるかのように恋の顔を凝視し―――。 ぱっと鮮やかに赤い飛沫が散ったのは、そのときだった。 青年の華奢な首が、鮮やかな血を噴いたのは、つめたい音を立てて硝子が粉々にくだけたのとほぼ同時だった。 首を貫通した弾丸が扉の柱に当たり、青年は魔法のようにきれいに床に倒れた。 一瞬遅れ、狙撃されたことを悟る。 「フィメ!」 「はい」 サイボーグは砕かれた窓を開き、素早く足をかけた。 視界をサーチモードに切り替え、周囲の動くものを素早く探査する。 向かい側のビルの屋上にむけて視界を何度かズームする。 柵をもたない屋上の縁に黒い影をとらえた瞬間、フィメの足は窓枠を蹴っていた。 大通りをはさんだビルの屋上に、しなやかな猫の動きで降り立った。 エナメルのような光沢をもつ材質に包まれた、締まった脚があった。 すっくとフィメが立ちあがると、目線は同じあたりだ。 長身の女が立っていた。 全身を黒で包み込んだ女の周囲には、狙撃用の武器などは何もない。 丸腰だった。 「あなたなのですか」 吹き付ける風に金髪をなびかせ、フィメは鋭く詰問する。 同じように、相手の黒髪もさらさらと揺れる。垣間見える黄金の瞳が、猫科の肉食獣を思わせた。 「おまえは」 落ち着いた低い声が風に運ばれ、フィメに届いた。 口元をほとんど動かさないのに、女の声は明瞭だった。 「贋物に従うのだな」 口角が僅かに持ち上がる。笑ったようだった。 「贋物……」 耳慣れぬ言葉に鸚鵡返しにする。 “にせもの”。 言語中枢が素早くその意味を引きずりだした。 「……あなたは」 人間らしく、フィメが怪訝な顔をつくるのと、黒豹のような女が軽やかにコンクリートを蹴るのは同時だった。 女の肘から刃が”生えた”。 一歩で間合いを詰め、まるで頬に肘鉄でも食らわすかのように、刃の生えた右ひじを横に薙ぐ。首を狙う位置だ。 フィメは、難なく右腕を立てて受けた。金属がぶつかり合う音に、敵は金の瞳を細めた。 「人間ではありませんね」 落ち着き払って、フィメが言う。明日の天気を告げるような、簡単な口調だった。 「わたしは、イアレト」 ビルの谷間を吹き過ぎる強い風に、癖のない黒髪をなぶらせて、女は不敵に笑う。 「やがて真実が、おまえたちを飲み込むだろう」 予言のようだった。 「そのためには、膿みを出してしまわねばならない」 ぶつけていた肘を離し、イアレトと名乗った女は居ずまいを正した。 肘から生えていた刃は、幻のように消えている。 高らかに踵を鳴らし、イアレトはフィメを見つめたまま、後方に下がった。 「いずれ、また」 屋上の縁までたどり着き、イアレトは抑揚にかける声を残す。 そしてそのまま体重を後方に傾け、しなやかな体を宙に投げ出した。 フィメが屋上の際に駆け寄った時には、女の姿など、どこにも見当たらなかった。 「イアレト。……フュティスの、幹部」 眼下に車どおりの激しい大通りを見下ろして、フィメはデータベースから引きずりだした情報を思わず零した。
【続く】
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