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2005年11月13日(日) |
IE/047 【INSOMNIA】 05 |
5.paramour/禁じられた遊び
「カイ・タカハシ」 やわらかい女の声が人名を読み上げた。 照明の落とされた室内にぼんやりと浮かび上がる巨大なスライドに、一葉の写真が映し出されている。 写真の主は、二十代にとどくかといった年頃の見目麗しい青年だった。 スライドの傍らに、ひとりの女性が立っている。 ゆるやかな曲線を描く濃紺の髪は胸のあたりまで艶やかに零れ落ちている。 いかにも才媛といった体でスーツに身を包み、手元の書類に髪と同じ色の瞳を注いでいた。 「先日の、セレスタ・リニエール殺害の一件で、クロゼットの中に蹲っていたところを恋くんに発見された青年です」 王宮の一角にある近衛課専用の会議室だった。 円卓のようなテーブルには、ちらほらと人影がみてとれる。 そのうちのひとつは、行儀悪くもテーブルに頬杖をついて、だらけきった様子でスライドを眺めていた。 「事件唯一の目撃者であるはずですが、恋くんに発見された直後に何者かに狙撃されています。首を打ち抜かれ、現在意識不明の重体です」 ぱたりと音を立ててファイルを閉じると、FI-O011は報告を終えた。 エージェントの特性によって任務が異なるため、補佐用アンドロイドの能力も様々だ。 彼女―――通称フィオは、リオンの専属であり、主に情報の収集や操作に長けている。 「なにモンだ?」 こちらも行儀悪く椅子にふんぞり返ったサノスケが口を挟んだ。 「いわゆる、ヒモというやつかな」 スライドに一番近い席で、リオンが答えた。 両肘で頬杖をついて、拝むようにあわせた手を口元にあてている。 「リニエール氏のお気に入りだったみたいだよ」 サノスケは露骨に不快そうな顔をする。この男は何気に古風で曲がったことが嫌いな性質だ。 ヒモ、という響き自体が耳障りなのに違いない。 「すこし情緒に不安定なところがあるようです。”ヒモ”かどうかは別として、リニエール氏が面倒を見ていたのは事実なようですね」 アンドロイドがエージェントの発言を補った。 清楚な外見を持つフィオの口から「ヒモ」という言葉が出るのは、さすがになんだか後ろめたい気持ちになる。 「クロゼットに入るのも、習慣だったみたいだネ」 指先に銀の髪を絡めて、リオンがあっさりと言った。 恋は、欠伸をしかけたまま一瞬固まって、そのあとで身を乗り出した。 「習慣?」 「ノゾキアソビ」 わざと一語一語をくぎって、リオンが答える。 いささか揶揄するような口ぶりに、恋が憮然と押し黙る。嫌な響きだ。 ちらりと左隣のサノスケを窺うと素晴らしい渋面だった。 おそらく想像したことは外れていない。 「別にあそこに隠れたってわけじゃ、ないんだな」 苦いものを口に放り込んだような顔をして、サノスケが確かめる。 「あの隙間からノゾキをするのは、ふたりの秘密の遊びだったみたいだよ」 「歪んでるな」 思わずぼろりと恋が零すと、リオンがぱちくりと瞬きをした。 頬杖から顔をあげて。 「うわぁ、意外。恋くんがそんなこと言うなんて!」 新しい真理を発見したかのように驚いて、目を瞠る。。 「何がだよ」 「色恋沙汰関連で恋くんに歪んでるなんて言われたら、オシマイだよね」 かわいそうーと茶化すリオンに、恋は憮然と押し黙った。 言い返したい気持ちはもちろんあるが、口で勝てる気がしない。 「でも、痩せましたね」 恋の後ろに立っていたフィメが、口を挟む。 主語のない言葉に、怪訝に思った恋が振り返れば、フィメはスライドに映し出された美青年を見ていた。 「そう思いませんか。あの写真よりも、随分とやつれたように、わたしには思えるのですが」 本人にそんな意図があるかどうかは分からないが、突然やってきた助け舟に、恋は迷わず乗っかることにした。 あらためて、スライドに映し出されたカイ・タカハシなる青年の写真を見つめる。 確かに先日この目で見た姿より、写真のほうが健康そうだ。 クロゼットの中から現れた男は、不健康なほどに痩せ細っていた。 「気になるかしら」 妹をいたわる姉の顔で、フィオが首を傾げた。 「ええ、少し。調べていただけますか」 「分かったわ。結果はあとで転送します」 フィオは、妹分にやわらかく微笑みかけた。 「あらたな情報がある」 室内に照明が灯されて、やわらかいオレンジ色が会議室を包んだ。 スライドと対面側、入り口付近にちんまりと腰掛けていた美少女が口を開いた。 十程の子どもで、薄茶の髪を丁寧に巻いてある。 「警察のほうからもたらされた情報だ。一週間ほど前、D地区の収容所から殺人犯が何者かに幇助され、逃亡している」 近衛課の課長を担当する飯田亜津子は、恋の戸籍上の母親に当たる。 西洋人形のような容姿は彼女本来の姿ではなく、仮宿だ。十年前のクーデターの折、自由に動く体を失ったもののひとりだった。 「殺人犯?」 初耳だった。不穏な響きに、恋は幼子のような母親に顔を向ける。 「凶悪な快楽殺人者というわけでは、生憎と無いんだが。多少、精神を病んでいる。ゆえに、精神病棟のようなところに収容されていたわけだ」 軽やかな少女の声音とは裏腹に、飯田亜津子の口調は硬い。 「田所マサト。三十二歳。性根自体はやさしい男のようだが、ひとの視線に耐えられないほどの恐怖を感じるらしい。そこから生ずる被害妄想が爆発し、二十一の頃に立て続けにふたり、女を殺している」 「そいつが?」 「直接の関連はまだ見えていない。が、顔に事故で負った傷痕が多くある、大柄な男だそうだ」
―――みにくい、おとこ。
か細い青年の声が耳元に蘇る。 醜く大きな男が、セレスタを殺した。カイという名の青年は、そう言ったのではなかったか。 「その男が絡んでいるとお考えですか」 色気を纏ったなめらかな声で、サノスケの傍らに座っている美女が上司に訊いた。 「確証があるわけではない。ただ、視野に入れても悪くはなかろう」 つくりものにしてはいささか妖艶すぎるアンドロイドに、亜津子は答えた。 口元に施された黒子に指先を当てて、真紅の髪を持つ美女はちいさく頷いた。 「で、だ。梶原たちにはその殺人犯を追ってもらう。警察のシマだからな、うまく立ち回りをしてくれよ。どうやら今回も誰かさんが喧嘩を売るような真似をしてきたみたいだからな」 「なっ、俺は何も!」 ついと愛らしい瞳がつめたい色を含んで自分に流されたのを感じて、恋は思わず腰を浮かす。 「恋くんがそのまんまで行ったんだったら、しょうがないよねぇ」 「奴らは礼儀に煩ぇんだ、縄張りに土足で入ってくほうが悪い」 同僚からも批難を受けて、ぐっと恋は黙り込んだ。 「じゃあアレですか、今回俺はもうお役御免?」 それならば逆に、とてつもなく嬉しいのだが。 「おろかもの」 一蹴されてしまった。 「お前は先程のタカハシという青年の監視だ。例の組織に狙われているようだからな。目撃者を失うわけにはいかん。今のところ命に別状はないようだから、意識が回復し次第事情を聞く」 「……へーい」 退屈な仕事は嫌いなのに。 拗ねた恋は、気のない返事をして席を立った。
*
見られている。 右から、左から、後ろも前もだ。 僅かな隙間から、物陰から。 どこに行けば。 どこまで行けば。 体中に突き刺さる鋭い痛みは無くなるのだろう。 そこからも、あそこからも。 目が。 見ている。
*
「どうするの」 運転席でハンドルを握っていた美女が、ちらりとサイドミラーに目を流して、つぶやいた。 「やっぱり追ってきてるな」 大胆に倒したサイドシートから身を起こして、サノスケも傍らのミラーを睨む。 乗用車はハイウェイ上にある。 今も血眼になって、逃走した殺人犯を捜索しているだろう警察の方々に、今夜中に合流しておくつもりだった。 日はもう既にとっぷりと暮れて、郊外へと伸びるハイウェイに他の車は見当たらない。 ただひとつ。後方から距離を保って追ってくる一台のバイクを除けば。 相手が何者かが分かるほど近くはない。 ただ、一台の黒いバイクがついてくるのが分かるだけだ。 「ほっとけ、と言いたいところだが。市街に入ってからちょっかい出されても困るんだよな」 追跡者の目的がそれなのだとしたら、あまり上手くない。 サノスケが小さく溜息を落としたのを合図に、フォルはブレーキを踏んだ。 ゆるやかに失速して、燻し銀の乗用車がハイウェイの傍らに停まる。 運転席からフォルがなまめかしい肢体を地に下ろすのと、すぐ傍に黒光りするバイクが停まるのとはほぼ同時だった。 「わたしに何か御用? ナンパ―――じゃないみたいね」 片脚でバイクの重みを支える追撃者を眺めて、フォルは腕組みをする。 フルフェイスのヘルメットで顔は見えないが、ぴっちりと着こなしたライダースーツは、フォルに勝るとも劣らない、滑らかで扇情的な体の線を浮き彫りにしていた。 女だ。 バイクから鹿のように伸びた脚を下ろして、立った。 ヘルメットをはずすことはしない。 フォルは視界を通常モードから戦闘用のそれに切り替えて、すぐに気がついた。 「いやだわ、手加減はいらないってことね」 どれほど顔を隠したところで、その事実は隠せるものではない。 重心を低く構え、襲撃に備えながら、フォルは笑い黒子が刻まれた口元をゆるめた。
【続く】
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