mortals note
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1.
―――おにいちゃん、まぶしいってどういうかんじ? 雲ひとつなく晴れ渡った空を仰いで、エスリンが問いかけてくる。 ―――そうだなぁ、なんつーか、ちかちかって感じ? 顎を押さえて考え込むと、声を頼りにエスリンがこちらに顔を向ける。小さい頭をかしげた。 ―――ちかちか? ―――ってもわかんねぇよなぁ。ムズかしいな……。 ううんと唸って頭を抱えると、年のはなれた妹はくすくすと軽やかに笑って、華奢な腕をこちらのそれに絡めてきた。 ―――……ありがとう、おにいちゃん。
*
五年後―――。
羽音が追い越してゆく。 白い翼をはばたかせ、鳥が空へのぼってゆく。 カイは、白い羽根の軌跡を目で追った。雲ひとつない空は高く、どこまでも澄んでいた。鳥の姿はすぐに見えなくなる。 「おい早くしろよ、はじまっちまうぞ!」 今度はいくつもの足音がカイを追い越していった。 この街に住む少年たちだろう。靴音も高らかに、緩やかな坂道を駆け上ってゆく。他にも無数の人々が足早に、この途の先にある広場へ向かっているようだ。カイも足を速めた。 異様な熱気が広場から道を伝って漂ってくる。大勢の人の気配。だが喧騒はない。 ぐるりと周囲を見回すと、道の両脇に開かれた露店は無人だった。店番すらいない。無用心極まりないが、それだけ街の人間が広場に集まっているということなのだろう。 なだらかな坂道をのぼりきったところに、その円形の広場はある。人々の憩いの場がいまや、不穏なざわめきに包まれていた。 たくさんの人、ひと、ひと。皆険しい顔つきで広場の中央を向いている。 幾重にも張り巡らされた人垣をへだてても見えるほど高く、一本の杭が地面に突き立てられ、頭にすっぽりと布袋を被った男が縛り付けられていた。 満身創痍であった。 灰色の服は擦り切れ、あちこちに血が滲んでいる。 「これより公開処刑を始める!」 杭の傍に歩み出た男が声を張り上げた。白を基調とした軍服は、ブリガンディア神聖国正規軍の軍服である。 巻かれた書状を縦に開き、朗々と響き渡る声で罪状を読み上げる。 この男は正規軍の小隊長であったが、畏れ多くも皇帝陛下の勅命に背いた。よって、罪は血で贖われる―――と。 鎧の音を響かせて、杭の左右に二人ずつの兵士がならぶ。 天を衝くほどに長大な槍を、石畳に力づよく打ちつけた。 「聖なるかな!」 書状を携えた兵士が声高に叫んだ。それとともに四本の槍が高く掲げられる。雲にさえぎられることのない太陽のひかりが、鋭い切っ先に跳ね返った。 声にならないざわめきが広がる。 カイはただ、朗と響き渡る聖句を聞いていた。 「神聖にして偉大なる主よ、罪深き子を赦し、御許へ迎えたまえ」 槍を持つ兵士は、縛り上げられた男の前に立ち、一対ずつ交差させた。 「……食料もなく、怪我人と女子どもしかいない村を」 はじめて、罪人が口を開いた。 酷くかすれ、震えていた声はやがて、強く大きくなる。 「焼き払うなんて! 俺には出来ない! そんなことは間違っている! 陛下は―――」 「イドゥナの仔に、幸いあれ!」 「ヴォーデンはもはや、狂っている!」 どっと鈍い音が響き渡った。 木製の杭を伝い、赤黒い液体がじわじわと石畳に広がってゆく。 がっくりとうなだれた罪人の首がもはや動かないのを見届け、カイは踵を返した。 一心に広場の中央を見据えていた人垣がくずれ、ばらばらと散り始める。 「オーブのせいだ」 雑踏のなか、いずこからかそんな呟きが聞こえてきた。 「……ドラゴンバスターさえあれば」 カイは思わず足を止め、周囲を見回した。急に立ち止まった青年を不審そうに眺めながら、多くのひとびとが彼を追い越してゆく。 見渡しても、声の主は見つからなかった。 身を捩って、もう一度広場の中央を眺める。 布袋をはずされた男の顔は、自分とほぼ年の変わらない若者に見えた。
―――ドラゴンバスターさえあれば。
「だったらどうして」 もはやただの肉塊となった罪人の体が、杭から引きずりおろされる。 ばらばらにほどけてゆく人垣の波に、一本の棹のように立ち尽くし、カイは唇を噛み締めた。 「どうして、誰も探さないんだ!」
*
ブリガンディア神聖国は、イドゥナ聖教を国教とする宗教国家である。 遥か昔、大陸を統一したというヴァン少年王の血筋を継ぎ、伝説の宝玉であるドラゴンオーブを至宝とする、大陸随一の軍事国家でもある。 第十一代皇帝であるヴォーデン・ヴェルダン・ヴィーグリードは、自らを大陸の正統な継承者であると主張し、大陸を統一すべく、進軍をはじめた。 大規模な侵攻がはじまってから既に六年。ブリガンディア神聖国は着実にその版図を広げていたが、反面着実に内側から疲弊しはじめていた。 新たに制圧した領地からの不満もさることながら、性急ですらある進軍に、民たちも疲れきっていた。 やがて、まことしやかにこんな噂が囁かれるようになる。
―――皇帝は、ドラゴンオーブに呑まれてしまったのだ。
伝説の至宝であるドラゴンオーブは、手にしたものに強大な力を与えると言われている。それとともに、手にしたものの内にうずまく欲望を駆り立てる、とも。 ゆえに、手にするものの心によって、聖なる秘宝にも悪魔の力にもなり得る。 元々軍事国家であったとはいえ、侵攻をはじめた頃のブリガンディアは飛ぶ鳥もおとす勢いだった。人々はそれを神の祝福と呼び、この戦いが正統なものであると信じて疑わなかった。 しかし、版図をひろげることよりも、戦自体に固執するようになった皇帝の異変に、人々はようやく気づき始めたのだった。 飛ぶ鳥を落とすあの勢いも神の加護などではなく、伝説の宝玉が与えた力だとしたら。強大な魔力に、皇帝の理性が飲み込まれてしまったのだとしたら。 すべてのつじつまが合う。
ドラゴンオーブはなにものにも傷つけられない。手にしたものが封印を施すまでは、その力を惜しみなく与え続けるという。ドラゴンオーブを破壊できるものは、この世界でたったひとつ。
ドラゴンバスターと呼ばれる剣だけである。
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