mortals note
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3.
光がしみてくる。 閉ざした瞼の上からくすぐるように。 背に感じるやわらかさが心地よい。いつのまに転寝をしていたのだろう。あまり手伝いをさぼると母親が怖い。 もう起きて、村に戻らなければ。 やけに重い瞼をゆっくりと開く。一瞬だけ世界がすべて白く焼き尽くされた。幾度か瞬きをくりかえすうち、さまざまな輪郭がくっきりと浮かんでくる。 村の傍にある丘に寝転んでいるつもりだったのに、見上げた先は空ではなかった。背にしているのも、背の高い草などではなく、今までお目にかかったこともないような綺麗なシーツだ。 石造りの、高い天井。 「っ……!」 覚醒した。 跳ね起きた。上等なベッドのスプリングがきしむ。 何を寝ぼけていたのだろう。フィヤラルの祠にもぐりこんだんじゃないか。 傭兵のような男に殴られてそれから―――記憶がない。 「いって……ぇ」 勢いよく跳ね起きた反動で、殴られた腹部が鈍く痛んだ。その痛みが、祠での出来事は夢でもなんでもないことの証だった。 じくじくと痛む腹を押さえているうちに、口元に笑いがせりあがってきた。 滑稽で、惨めだ。 うまくいくはずがないと分かっているつもりで、きっと、自分が一番期待していた。 ドラゴンバスターが手に入ること。 劇的に、戦を終わらせるということ。 まるで御伽噺を鵜呑みにしている子どものようではないか。 「かっこわりぃ……」 「目が覚めたね」 扉が開き、穏やかな声が滑り込んできた。 カイはすばやく扉を振り返る。 頭からフードをかぶった、軽装の男が立っている。ハープこそ持っていないが、見まがいようがない。 旅芸人の男だ。 「てめぇ……!」 無防備に傍らに歩み寄ってきた男の胸倉を、カイは右手で掴んだ。旅芸人はされるがまま、抵抗しない。 「騙したことについては、申し開きはしない。だけど、僕は君の敵じゃない。覚悟を試す必要があったんだ」 「どの口がそんな……!」 「姫に会ってくれ」 カイの言葉をさえぎって、芯のある声で男は言った。 目深に被ったフードを引き摺り下ろし、初めて素顔をさらして見せた。水色の髪と瞳を持った、痩せた男だった。 左頬から額にかけて大きな古傷が走っており、傷が目を塞いでいる。 「……姫、だって?」 「僕の口から説明するよりも、そのほうが分かりやすいはずだ。立てるかい」 毒気を抜かれ、カイは男の胸倉から手を離す。 「僕はトールだ。君の名前を教えてくれないか」 「……カイ」 布団を跳ね除け、床に足をおろす。やわらかい寝台で寝たのはいつぶりだろうか。熟睡の名残がまだ残っている脚は、気を抜くとふらつきそうになる。舌打ちとともに名乗った。 「ありがとう。案内するよ」 トールはやわらかく微笑してみせた。穏やかな物腰に大きな顔の傷がひどく不似合いに見える。 「おまえを……おまえらを信用したわけじゃないからな」 言ってしまってから、ひどく子どもじみた文句だということに気がついて、カイは唇を噛んだ。 「すぐにすべてを信じろとは言わないよ。君が目で見たものを信じればいい」 しかしトールはカイの子どもっぽさを笑わず、生真面目な顔で扉を開いた。
一本の廊下が延々と続いている。 壁に沿って等間隔に甲冑がならべられ、大きな窓からは燦燦と日差しが差し込み、床にかがやきを落としている。 どこからか、金属をぶつけ合うような音が耳に届く。それはあまりに、剣戟の音に似ている。 「ここは一体、どこなんだ?」 半歩ほど遅れて後ろを歩きながら、カイは案内役に訊いた。 トールは塞がれているほうの顔でわずかにカイを振り返る。 「トゥオネラ城だ」 短い答えに息を呑んだ。 トゥオニ湖のそばに建てられた城の名前だ。聖都とはだいぶ離れているが、昔からフィヤラルの祠を守るという名目の、皇族たちの静養地だった。 そして近頃は、この城は特別な意味合いを持っている。数年前から聖都をはなれ、ここで暮らしている皇族がひとりいるのだそうだ。 ゴシップまがいの噂は何よりもはやく知れ渡る。その噂をカイも知っていた。 「じゃあ姫って、まさか」 意味ありげな微笑をのこし、トールは突き当たりを折れる。 折れた道の先にひときわ大きな扉が見えた。 飴色に光る扉を控えめにノックすると、凛と張った女の声で誰何が返ってくる。 「トールです。先日の青年をお連れしました」 「入ってくれ。トールは下がってかまわない」 「分かりました」 トールは、観音開きの扉を片方、うすく手前に開く。戸惑うカイの肩を軽くたたき、自分は後ろに下がった。 「取って食われたりはしないよ」 笑顔で押し出され、カイは光がこぼれてくる扉の隙間に滑り込んだ。 こわばる脚で数歩前へ出ると、背後で扉が閉まる。慌てて振り向いてももう遅い。トールの姿は見えなくなっている。 「具合はどうだ」 部屋の奥から声が飛んでくる。 扉の真正面にバルコニーに続く大窓があるせいで、逆光をあびて輪郭がぼやける。カイは目をすがめ、大窓の傍に立つ人影を見極めようとした。 まず飛び込んできたのは真紅だった。血のように赤い双眸と目が合う。 幻想的な祠の情景が蘇った。夜光石のわずかな光だけでもしっかりと見えた紅玉をはめ込んだような瞳。 白装束の、女。 今日は白装束をまとっているわけではない。喪服を思わせる黒いドレスを着ている。それでも目に焼きついて離れない白は―――髪だ。 腰に届くほどの白銀の髪が肩を伝って流れている。 「色無し姫……!」 口走ってから、慌てて口を覆った。 「貴様!」 部屋の隅に控えていた金髪の女剣士が気色ばむのを、白銀の女は片手で制した。 「よい」 「しかし姫様!」 「ここで無理に改めさせたとて、言い続けるものは陰で言い続けるものだ。始終監視をつけるわけにもいくまい。その呼び名を知っているということは、わたしが何者か大体察しがついているのだろう?」 怖じた脚が自然と下がる。閉ざされた扉に背をぶつけて、カイは知らずに後退していたことに気がついた。 「……フレイヤ、姫か」 「そのとおり。わたしはフレイヤ・オド・ヴィーグリード。暴君と名高いヴォーデンの娘だ。そなたの名は教えてはもらえないのか」 「カイ・ユマラ」 名乗る声がふるえていた。 皇族という位に圧されたのではない。まっすぐにこちらを射すくめる瞳のあまりの強さに怖気づいたのだ。
数年前から囁かれてきた噂の主人公は彼女だ。 皇帝のひとり娘でありながら聖都を追われ、トゥオネラ城で暮らしている。皇族の血筋に脈々と継がれてきた黒髪を持たぬことから、色無し姫と呼ばれている。皇族の色を持たぬということは、不義の子なのではないか、と。 噂では、父から疎まれ遠ざけられたフレイヤ姫は、泣き暮らしているばかりの深窓の姫君だ。だが、目の前に立っている彼女はどうだ。 見つめられているだけで息ができない。 「カイ、そなたは何故ドラゴンバスターを欲しがった」 一切のごまかしを許さない、有無を言わさぬ強い視線だった。 威圧感から逃れようと、カイは真紅の瞳から目を逸らす。 「言っただろ、ドラゴンオーブを壊せるのは、ドラゴンバスターだけだって信じてたから……」 御伽噺を信じていたと告白するのは恥ずかしかったが、結局はそれが真実だ。 「ヴォーデンを止めるつもりだったのか」 「戦なんてもうまっぴらだ!」 握った拳を背後の扉にたたきつける。鈍い痛みが手の甲から全身に孤を描くように広がっていった。 「領地とか大陸統一とか、そんなことどうでもいいんだ! みんな死んだんだぞ!」 「もし、オーブも剣も存在したとして、ドラゴンバスターを手に入れて、具体的にはどうするつもりだった。ひとりで聖都へ行くつもりだったのか」 膨れ上がった怒りに水をかけられた心地になって、カイは口をつぐむ。 具体的なことなど何ひとつ考えていなかった。奇跡の剣が手に入ったら考えればいいと思っていた。 何をどうすれば皇帝に近づけるかなど、分からなかった。 「ドラゴンを殺せる剣を手に入れても、何万という兵士がいなくなるわけではあるまい。たったひとりでは、聖都に入れるかどうかも―――」 「分かってるよ!」 浅はかなのは、愚かなのは、分かっている。 自分でも分かっていることを改めて指差し確認のように諭されるのは、つらい。 「どうすればいいかなんて分かんなかったんだ。戦を止めたくても俺一人じゃ何もできない。自棄だったんだよ、そんな剣があるかどうかなんて分かんなかったけど黙って指くわえてるなんて! そんなこと……」 「本気でヴォーデンを止めるつもりがあるか」 「え……?」 「本気で、戦を止めたいか」 刻み付けるようにゆっくりとフレイヤが言った。 カイは、扉から体を起こす。数歩フレイヤに歩み寄り、試すような強い瞳を見つめ返した。 「止めたい」 フレイヤはカイを見つめ返し、頷いた。 「我々は同志をあつめている。ヴォーデン暗殺を実行に移すためだ。トールには同志あつめを手伝ってもらっている。おまえが本気で戦を止めたいというのならば、手伝ってはくれないか」 「ヴォーデン、暗殺?」 「皇族しか知らぬ抜け道を使う。警備はされているだろうが、何しろ隠し通路だからな、たかが知れている。もはや民も兵も疲弊している。皇帝が死ねば戦は終わるだろう」 甘美な誘惑に聞こえた。ドラゴンバスターと同等の甘さを感じる。だが、大きな違和感に、カイは戸惑った。 「父親だろ……?」 フレイヤにとって、ヴォーデンは肉親ではないのか。 それともやはり、血のつながりなどないのか。疎まれて遠ざけられて、憎んでいるのか。 フレイヤはしばらく、戸惑いの滲んだカイの顔を見つめていた。 「父子でともに旅をしていたとして、父が間違った道をゆこうとしたら、おまえは黙ってついてゆくのか」 「それは」 「戦は大きくなりすぎた。わたしが諌め、とまるものではない。それだけだ」 「だから親父でも殺すのかよ」 フレイヤは、燃えるような瞳を伏せた。 「……城を見てまわるといい。この城には同志たちが多く出入りしている。すぐに答えを出せとは言わない。協力を強要するつもりもない。おまえの答えが出たら、聞かせてくれ」 「それじゃ答えに……」 「今は言えぬこともある。いずれ話そう」 「この城のこと、俺がどっかに密告するとは思わないのか」 「うぬぼれかもしれないが、我々はヴォーデンを討つのに一番近いと思っている。おまえとわたしは未だ仲間ではないが、敵は同じだ。我々がつぶれて、おまえが得をするとは思えん。憂さ晴らしや小金をもとめて密告をするような奴をトールが選ぶとも思っていない。もしそうなら、我らの見る目がなかっただけの話だ」 「むずかしい話なんて、俺にはわかんねぇよ」 まるで逃げ出すように、カイは部屋を出た。
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