mortals note
DiaryINDEX|past|will
4.
「僕は宮廷楽師だったんだ」 トールは、中庭を見下ろせるバルコニーにカイをいざなった。 広い中庭には十字に組み合わされた木がいくつも、鎧を着せられて立っている。先程から聞こえていた剣戟の音は、どうやらここから聞こえてきていたようだった。 石でつくられたバルコニーのへりに手をかけて、トールは中庭を見下ろす。トールと並んだカイは、自分とさほど年が変わらぬ青年が屈強な男と剣を交えている姿を発見した。 「……あいつ」 青年が振り下ろした剣をたやすく受け止めてはじき返したのは、祠でカイを殴りつけた男だった。 「彼にもあとで会うといい」 カイの渋い横顔に、トールは微笑した。 「宮廷楽師って言えば、皇帝のお気に入りじゃねぇのかよ」 カイを殴りつけた男、リーグと呼ばれていたか。太刀筋は迷いがなく見事なものだ。忌々しいながら目が逸らせない。 「なんで反乱軍になんか」 皇女が反乱軍を指揮するなど、カイには信じられない。何か巨大で巧妙な罠が足元に仕掛けられているのではないかとつい、勘繰りたくもなる。 「僕の左目は生まれついて金色でね」 カイは中庭から隣に立つ男に視線をうつす。 「珍しがられて楽団に買われた」 湖を渡ってきたどこか湿っぽい風が、しずかにふたりの間を抜けた。 「だけど珍しいのは色だけじゃなくてね、僕にはその人間の未来が視えるんだ」 カイは目をしばたいた。トールの言葉を噛み砕いてから、身構える。 「馬鹿にしてんのか」 「信じる信じないは君の自由だ。占いのようなものだと思えばいい」 真摯なまなざしを返され、カイはそれ以上言い募ることが出来なかった。 「未来だけではなく、過去が視えることもある。だけど、能力というには甚だ不確かなものだよ。視たいと思ったときに視えるものではないからね」 「じゃあその左目は……」 トールは自嘲気味に口元をゆがめる。 「皇帝陛下にやられたのさ」 楽師らしい細い指先で、傷の上をなぞる。 「陛下には、僕に視られたくないものがあるらしい」 「じゃあ、目を潰された復讐か?」 「それもないことはないけど、実はそんなに困っているわけじゃないんだ。元々そんなに視力はなかったからね。それに僕は別に視力で何かを視ていたわけじゃない。もちろんそれに気づいたのは目を潰されてからだけど」 「どういうことだよ」 回りくどい話運びに、カイはだんだん辟易してきた。元々短気な性格なのだ。 「今でも僕には視える。人の、過去や未来が」 トールは意味ありげな視線をカイに向けた。透き通るようなたったひとつ残された瞳が、急に妖しい光を帯びているように見え、カイは息を呑んだ。 同じいきものなのか、自信がなくなった。 「だったらあんたは」 身構え、一歩退く。 「俺の過去を見て、祠に誘ったのか」 貧しい村を。陰気な鉱山夫たちを。着飾った妹の姿を。 復讐心に付け込んで、湿った地下道を歩かせたというのか。 トールは改まったようにカイに向き直り、ゆっくりと首を横に振った。 「君が出入りしていた酒場の主人から君の噂を聞いたんだ。僕達は、過去で仲間を選ぶわけじゃない。それだけは誤解しないでほしい。傷を舐めあうために集まったわけではないんだ」 穏やかな物腰を崩さないトールにしては、強い語調だった。理不尽なわがままを言ったわけではないはずなのに、何故か居心地が悪くなる。真正面から挑んでくるトールの隻眼から、カイは目を逸らした。 「君から視えたものは」 トールはうつむくカイの肩に手を乗せた。 「大きな二本の木が生えているうつくしい丘だ」 瞳が見開かれるのを、止める術はなかった。戸惑いを隠せぬまま、カイはトールを見つめる。 「僕に視える過去は、その人物が一番気にかけている何かなんだと思う。君がどんな道筋をたどってきたのかは分からない。視えたのは、その丘だけだ」 視界が曇った。カイは驚いて、慌てて片手で眼を覆う。 村の傍にあった丘には、二本の大きな木が青々と枝を伸ばしていたものだった。その話は、誰にもした覚えがない。 「僕の能力はそれほど万能のものではない。それでも姫は僕の目を買ってくれているんだ。人を見る目を、ね」 「人を見る、目」 「昔から、芸と占い以外で誰かに求められたことなんてなかった。僕は姫にかしずいているわけじゃない。必要だと言われることがうれしいんだね、きっと。子どもと同じだ」 口の端をゆがめ、トールは自嘲気味に笑った。 「そんなところで日向ぼっこでもしてるのかー?」 下方から大声が飛んできて、ふたりの会話をさえぎった。 並んで中庭を見下ろすと、バルコニーの真下に逞しい男の姿がある。カイは思わず身構えた。殴られた左頬がまだ、鈍い痛みを覚えている。 「訓練はもう終わりか?」 身を乗り出して、トールが問う。男は玉の汗をかいていた。 「腹が減ったから今日は仕舞いだ」 いかつい顔立ちの割には、男は随分と人懐こく笑う。すっかりと訓練場に改造された中庭を振り返って、引き上げるぞと声を張り上げた。中庭の中央では、先程まで彼と剣を交えていた青年が大の字になって転がっている。 のろのろと立ち上がる青年を眺めたあとで、ようやくリーグはトールの傍に立つカイに気がついた。 目が合って、カイは動揺する。顔がこわばるのが自分でも分かった。リーグもその青年が誰であるのか分かったのか、わずかに目を瞠った。 「あん時は悪かったな!」 ただ固まっているカイに、下方から大声が飛んでくる。 先制攻撃で謝られてはどうしようもない。ふいと顔を背けるのも子どもがすることだ。 かといって、痛い目に遭ったことを何事もなかったかのように振る舞えるほど、大人でもなかった。 「俺も、動揺してたし……」 リーグから視線を逃がし、ようやくぼそぼそと呟いた。 不器用な返答をする青年をまぶしそうに見上げ、リーグは後方にもう一度声をかける。早くしろたるんでるぞ。あとは何も言わず、城内に引き上げていった。 「フレイヤ姫は」 バルコニーの縁に手をかけ、カイは遠くを見た。茂る森の向こう側に、うつくしい湖が広がっているはずだ。傾きかけた太陽が、橙のひかりで辺りを包みはじめている。 「なんで父親を殺そうとしてるんだ?」 王侯貴族のことなどカイにはわからない。カイにとって家族とは、すべてを許すもの、互いを守るものだった。 確かに、誤った道を行こうとするのならば止めもするだろうが、あんなにも淡々と他人に話せるものだろうか。 「俺はもう戦争なんて真っ平だ。ずっと、止めたいって思ってきた。だけど何をしたらいいのか分かんなかったんだ。レジスタンスだっていう噂の組織にいくつも出入りしたけど、軍の宿舎に放火するぐらいで、大した活動なんてしてなかった。皆分かんないんだよ、どうしたらいいのかなんて」 石造りのバルコニーを握る手に、力が入る。 「でも何もしないでいることも出来なかった。黙ってるのは死んでるのと同じだ。……期待してる自分もいるんだ。ここにいて、もしかしたら今までどうすればいいか分かんなかったものが形になるかもしれないって。でももう、誰かに裏切られるのも誰かを裏切るのも、知らないうちに何かの道具に使われるのも嫌なんだ」 数年前。まだ田舎を出て間もない頃。反戦の熱に燃えて、カイはとあるレジスタンス組織に出入りしていた。 今になって考えてみれば、組織といってもちいさなものだった。しかし世間知らずな少年にとっては、自分や世界を変えてくれるかもしれないという期待と、自分も反戦のために戦っているのだという誇らしさを満たしてくれるものに違いなかった。 組織のねぐらである酒場で下働きを始めて数ヶ月、身なりのいい老紳士がカイに近づいてきた。 彼はカイに一通の書簡を携えてきて、自らはさる貴族の執事であると名乗った。 主は現在の戦況にたいそう心を痛めている。立場上おおっぴらに君たちを擁護するわけにはいかないが、心はひとつである。自ら書かれた書簡に、詳しく主の心境はつづってあるから、是非読んでもらいたい、と。 そして執事はカイに金を渡した。軍資金にしてくれ、と言うのである。 金は金、綺麗もきたないもない。いぶかしみながらも、カイはその金を受け取った。執事との金の受け渡しは、数回に渡った。 執事の態度は一貫して丁寧で、そのたびに熱意のこもった達筆の書簡を携えてきていた。 何でもその貴族は王族にも連なる血筋で、それゆえにおおっぴらに反戦を唱えるわけにも行かず、かといって現状を看過は出来ない。執事を酒場に出入りさせるのも疑われるというのである。 君はまだ子どもとはいえ賢い。是非今の現状をわたしにも教えて欲しい。手紙には繰り返し、そう綴られていた。まるで貴族から施しを受けているように見られるかもしれないが、是非理想のため耐えてくれ、と。 酒場が焼き払われたのは、数週間後のことだった。 皇帝に叛意をもつものどもの溜まり場であるとして、火をかけられたのである。 カイの手には、金だけが残された。 酔っていたのだ。自分が革命の戦士だと思い込んでいた。 今になって考えてみれば、おかしな部分もたくさんあった。それだというのに気がつかなかったのは、見ようとしていなかったからだ。 一体何をしていいのか分からない。そんな不安から目を逸らしたかっただけなのだ。 カイは金を溝に捨て、その町を出た。 「僕らは君に物証を見せられるわけじゃない。たとえ見せられたとしても、それが信じるに値するかどうかは君が決めることだろうし」 すこし強くなってきた風に目を細め、トールは踵を返した。 「ありのままの僕らを見てもらうしかない。もうすぐ夕食の時間だ、食堂へ案内するよ」
|