mortals note
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5.
「一応”あの方”と俺たちは、関わりがねぇことになってる」 美しく整備された石畳を踏んで、カイとリーグは並んで歩いている。 数週間に一度、必要物資を聖都に買い出しにくるのである。 トゥオネラ城は、聖都から馬車で一日ほど離れている。大体のものはゼイドで手に入るが、聖都ブリガンダインには近隣では手に入らないものがたくさんある。大々的に仕入れを行うと人目につくということもあるので、仕入れは食料品や雑貨、武器防具などを別々な日に別々な人間が、数組に分かれて仕入れに出かけるという徹底ぶりだ。 しかし、妥当な方針であるともいえる。トゥオネラ城と―――フレイヤ姫と反乱組織のつながりは、絶対に気取られてはならないものだからだ。 伝え聞いた話によれば、姫はすっかり世俗を嫌ってしまい、めったに城を出ることもせず、気に入った楽師や芸人を呼び寄せては城内に住まわせているという。変わり者で享楽的であるというのがもっぱらの噂だった。しかしその噂も、あえて流させているのだという。 傭兵まがいの男どもを大勢城に招きいれている、などという噂は決して立ててはならないのだった。 「あんたが楽師や芸人だっていうのは無理がある気がするけど」 城に身を寄せて、いつのまにか一月近くが経った。未だにカイは自分の身の振り方を決めかねて、しかしただ飯を食らうのも気が引けて、雑用係を買って出ている。 リーグの人柄は、生活を共にするうちに自ずと知れた。 豪快という二文字がこれほど似合う男もいるまい。 実直で公平、腕もたつ。あの城で中心的存在であるのもうなずける。 だがカイは左頬に受けた拳の恨みをなんとなく引きずってしまい、素直になれずにいる。 「口の減らねぇガキだぜ、まったく」 リーグは苦笑してさらりと受け流す。あくまで大人の対応をする彼を見て、本当に祠で自分を殴った人物なのかと時折いぶかしみたくもなる。 あの日自分に掴みかかってきた男は、憤怒を瞳に燃やしていた。 年の割にはいくつも修羅場をくぐってきたカイが、思わずすくみあがるほどの激情だった。だから、平素から荒くれ者なのかとずっと警戒していたのだが。 「こっちをおまえに任せる。用事が済んだら広場で合流だ」 「ちょっと待てよ、俺聖都はほとんど知らない……」 「聖都はひとが多いんだ。聞けば教えてくれるさ。それに簡単な地図も描いてある」 問答無用でカイにメモを握らせ、リーグはさっさと歩き出しいる。 「ああ、そうだそうだ」 大股ですこし歩いてから、呆然自失のカイを振り返る。 「一番下のヤツな、ご主人様の好物だからな。忘れると怒られるぜ」 にやにやと口元に嫌味な笑みを浮かべて、リーグはカイの手元を指差した。 カイは慌ててメモの最後に目を落とす。「マルガリテ・フラン」と書かれているが、一体なんの名前なのか、カイには見当もつかない。 「これって何……ってあれ?」 メモから顔を上げると、既に男の姿はない。うまく巻かれたのかもしれない。 こうやって、リーグは好んでカイをからかうのである。きゃんきゃんと犬のようによく食いつくので楽しいのかもしれないが、からかわれている側はたまったものではない。 だから素直に相手を認める気になれないのだ。 「……やってらんねぇ」 舌打ちひとつであきらめて、カイは簡素な地図を頼りに歩き出した。
*
扉を押し開くと、ベルの音が店内に響き渡った。 最後に訪れた店は、首をめぐらせば見渡せるようなこぢんまりしたものだった。 わっと湧き出した何かに、思わずカイは足を止める。 なつかしさだった。 こぢんまりしているとはいっても、聖都にある食料品店だ。カイが見て育ったような雑貨屋とは比べ物にならないぐらい洗練されている。店主の趣味がうかがえるというものだ。 何処と似ているというわけではない。店にただよう雰囲気が、なぜか郷愁をさそうのだ。 包み込むようなあたたかさがある。 「いらっしゃいませ」 カウンターの内側から細い声が迎えた。扉を押し開いたきり固まっていた自分にようやく気がついて、カイは店内に足を踏み入れる。 「ここに、マルガリテ・フランがあるって聞いたんだけど」 カウンターの内側には細身の少女がいる。愛らしい顔立ちだが、表情はどこかこわばっていた。 少女はちいさく頷いて、カウンターの中を移動する。 カウンターの傍の、めだつ場所に置かれている菓子を示した。 遠くから眺めるだけで甘い芳香に満たされる心地がする。どうやらチョコレート菓子のようだ。 カイは吹き出しそうになるのをなんとかこらえた。あれほどまでに高圧的なふるまいをする姫の好物がチョコレート菓子だなんて。意外な一面を発見したような気がしたのだ。かわいらしいではないか。 何とか笑いをこらえた顔が奇妙に歪んでいたのか、カウンターの向こうで店番の少女が怪訝そうに小首をかしげる。 ゆるんでいた表情を、ちいさな咳払いとともにあらためた。 「おいくつですか」 鈴をころがすような声で、少女がごくごく当たり前の問いかけをしてくる。しかし、それは難問だった。はたしていくつ買っていったものか。 金の心配をしているわけではない。軍資金は多すぎるほどだ。 すくなく買っていっても不興を買いそうだが、かといって多く買っていくのも気が引ける。女心はとてつもなく難しいのだ。 件の菓子を目の前にして、カイは神妙な面持ちで悩んだ。 ちいさく吹き出す声で、カイは我に返った。声を追うように顔を上げると、少女がこらえ切れない様子で笑っている。 「ごめんなさい、でも、あんまり真剣だから」 思わず目のふちに浮かんだ涙をぬぐいながら、少女は詫びた。 はじめは憮然としたカイだが、少女の邪気のない笑顔に苦笑して肩をすくめた。 「あんまりこういうの買ったことがないからさ、分かんないんだ」 正直に白状した。 「ひ……、いや、ご主人が好きらしいんだけど」 姫と言いかけて、慌てて飲み込む。少女は別に気にするそぶりもせずに頷いた。 「女のひとにあんまりたくさん買ってくのもアレかなって思ってさ」 柄にもなく細かいことに気を揉んでいるカイに、店番の少女は甲斐甲斐しく世話を焼いた。日持ちの話や材料、甘さについて。 気づけばカイの手には、おそらく適量と思われる菓子の包みがあり、会計も済んでいた。 「これで多分大丈夫だと思います」 一仕事終えた少女は、カウンターの内側で微笑んでいる。
―――だいじょうぶ。
ふと。 包容力のある微笑に、なにかが重なった。 どこか抜けている兄を、時にはっとするような大人の顔をして諭した、あの笑顔だ。 「どうかしました?」 急に息を呑んだカイを、少女は不思議そうに見つめる。 言葉が見つからないカイを救うように、背後でドアが開いた。 軽快なベルの音が鳴り響く。 「あ、いらっしゃいませ」 「色々ありがとう」 少女の視線があらたな客にそれたのを見計らって、早口に言って踵をかえした。 背中に注がれる視線を感じたが、振り返らずに店を出た。どっと押し寄せる雑踏に戸惑いながら、いまさらながらに店を仰いだ。「グリース・リーブス」。それが店の名前らしい。 せわしなく行き交うひとびとをぼんやりと眺めながら、カイは自分がずいぶんと動揺していることに気がついた。 どうして突然、彼女に妹の面影を見たのだろう。 エスリンが生きていたら、ちょうどあのぐらいの年頃かもしれない。けれど、今まで同じような年頃の少女を見ても、妹を思い出すことはなかった。 店の前で立ち止まっているカイを怪訝そうに眺め、初老の婦人がグリース・リーブスのドアを押し開く。 ちりんと響くベルの音と、客を迎える少女の声。 高く、芯のある、声。 (ああ) 美しい声のせいだ。 エスリンも、村一番歌のうまかった母から譲り受けた、高く通る声の持ち主だった。 ぴんと、張り詰めた弦を弾いたときのような、まっすぐ通る声。 だから急に―――。 「こんなところにいたのか!」 荒々しい足音と唸るような声が、カイを現実に引きずり戻した。相手を確かめるよりも早く、腕を掴まれる。握りつぶすような握力に、思わず眉根が寄った。 「何するんだよ」 「いいから来い」 リーグはカイの二の腕を鷲づかみにし、引きずるようにして歩き出した。 いつも浮かべているような調子のいい笑顔が掻き消えた、こわばった横顔に、カイはそれ以上抗わなかった。 リーグは、門の外に停めてあった馬車までカイを引きずると、幌を捲り上げて荷台に押し込んだ。 「どうしたんだよ」 押し込められるまま荷台に乗り上げてから、カイはようやく声を潜めて訊いた。 「おまえは先に城に戻れ」 カイに次いで荷台に乗り込んだリーグは、自分の荷物をそのあたりに下ろすと、何やらあたりをひっくり返している。やがて彼が隠してあった剣をつかみ出したのを見て、カイは息を呑んだ。 「何が……」 「情報収集させてた奴が捕まった。買出しに連れてきた奴らは皆先に返したんだ。あとはおまえだけだ」 「待てよ! 馬車全部返しておまえ、どうするつもりなんだよ!」 「声がでけぇんだよ!」 大きな掌がカイの口元を覆う。 噛み付かんばかりの勢いで、碧眼がぐっと間近に迫った。 「俺はな、仲間を見捨てやしねぇんだ。大儀のためにいらねぇ枝葉を切るようじゃ、帝国がやってることと変わらねぇ。意固地だって思われてもいいんだ。俺はそう決めてる」 青い瞳に、あの日の激情を見た。 フィヤラルの祠で自分を殴り飛ばした男の目だった。 滾るような、怒りの色。 「俺も行く」 「おまえは駄目だ」 菓子の入った包みを起き、自分の荷の中から短刀を引きずり出すカイの手を上から押さえつけ、リーグは唸るように言った。 「……簡単に死ぬなんて言うなって、俺をぶん殴ったのはこの腕だろ」 自分を押さえつける屈強な腕。忌々しげにその腕を睨んでから、カイは挑むように顔を上げた。 「馬車全部返して、あんたひとりで何処に行くって言うんだ。腕が立つのは知ってるけどさ、俺には死にに行くとしか思えないんだよ!」 ふつふつと煮えたぎる怒りを感じていた。急激に腹の底から咽喉もとまでせりあがってきた激情だった。 理不尽だ。 あの日。死んでやる殺せと自棄になった自分を殴り飛ばした腕ではないのか。その腕を持つ人間が今度は、ひとりで敵陣へ飛び込んで行こうとしているなんて。 筋が通らない。納得できるものか。 この男はそんな自棄を起こすような男ではないと思っていたのに。 裏切られた気がした。 「仲間を見捨てないってのは立派だよ。けどさ、それで皆死んだら仕方ないだろ。別に殴りこみに行くわけじゃない、連れて逃げるんだよな?」 男の双眸に煮えたぎっていた激情が、水をかけられたように消えた。 あっけに取られたように瞠られた瞳がやがて、何かまぶしいものを見つめるように細められた。 ぐっと上から押さえ込んでいた腕の力を抜いて、カイを解放する。 そして、その右手をカイの頭に乱暴に乗せた。 「すぐ戻る。ここで待っててくれ」 リーグの声はカイの頭上を越え、御者台へ飛んだ。 「何か顔を隠すもん、持ってこい」 不服そうに口を捻じ曲げているカイの額をはたいて、リーグは荷台を降りた。
6.
―――本当にすまねぇ。これで城に目をつけられたりしたら、姫に合わせる顔がねぇ……。
鎧の並んだ廊下を歩きながら、カイは助け出した男がうわごとのように繰り返していた言葉を思い出していた。 あの日。 カイとリーグは浄化で一騒動を起こした。 つかまった身内を、軍本部に連行されるすんでのところで奪い返してきたのである。 人の多い広場だったのが幸いして、すぐさま集まった野次馬を隠れ蓑にすることで、うまく逃げ延びることが出来たのである。 助け出した男はひどく痛めつけられたと見えて、数日が経った今も起き上がれずにいる。だが、どれだけ痛めつけられようとも、組織のことやましてや姫のことは何一つ言わなかったと、誇らしげに言っていた。 だから姫には安心していただいてかまわない、と。 どうしてだろう。 腑に落ちない。 自分たちを援助してくれる相手を立てるのは当然のことなのかもしれない。だが、「龍殺し(ドラゴンバスター)」とも呼ばれるこの反乱軍の、フレイヤ姫への忠誠心は異常なほどだ。 信仰にも似ている。 高貴な生まれゆえか、気高い容姿のせいか、それとも資金―――。しかしそのどれでも、カイは納得できなかった。 だから、今この扉の前に立っている。
拳全体で、乱暴なノックをした。 「開いている」 凛とした声が返された。 重みのある扉を押し開けると、わっと光が溢れてくる。その只中で、フレイヤ姫は机について本のページを繰っていた。 背後の大きな窓から注ぐ光に照らされて、おぼろげになる白い輪郭に目をすがめ、カイは大きく一歩踏み込んだ。 「話したいことと、聞きたいことがあるんだ」 赤い瞳がカイを正面から射る。 その強さに怖じそうになる両足に、しっかりと力を込めた。 探り合うような視線がしばらく絡んだあとで、ぱたん、と白い腕が本を閉じた。 「聞こう」 白銀の髪を揺らし、姫は立ち上がった。
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