mortals note
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「待てってば! 今からどこにいくんだよ!」 店から通り一本離れたあたりで、カイはエデの腕を掴んだ。 「もうわたしにかまわないで!」 思い切り腕を振り払われて、カイは思わず半歩下がる。 「あなたたちの邪魔はしないわ。だからわたしの邪魔もしないで! これでいいでしょう!?」 「おまえひとりで、どうするっていうんだよ」 「わたしはひとりで平気よ」 数歩歩いてから、エデはカイに向き直った。両足を踏ん張るようにして立ち、一切の干渉をこばむような険しい表情をしている。 「わたしには魔法があるもの」 完璧な拒絶だった。エデの瞳が宿す熱に、カイは気圧された。それは憎悪と復讐の炎だ。リーグの瞳に宿るものと同じだ。 「強力な魔法よ。ひとを殺すなんて、簡単だわ」 うっすらとエデの口元に浮かぶ笑みは、嘲笑だった。それがカイを笑うものかそれとも、自分を笑うものなのか。 自分が何とかしなければと、気負う気持ちにも。殺せよ、と笑いながら怒鳴り散らしたい気持ちにも、覚えがある。 ドラゴンバスターがあれば。強大な力があれば。 それですべて、うまくいくと思っていた。 「ひとりでなんて無理だ。ひとりで平気なんて、嘘だよ」 さっと、エデの顔に朱がさした。 「わたしのこと馬鹿にしているの」 「どんな兵器があったって!」 激昂するエデの声を、カイは強い言葉でねじ伏せた。思わずエデは口をつぐむ。 「駄目だよ、どんな強力な魔法があっても。ひとりじゃ絶対に目的地にたどりつけない。もしたどりつけても、帰ってこられるのか?」 はっと、少女の双眸が見開かれた。予期せぬ部分を突かれたときの顔だ。 やっぱり。 生きては帰れないかもしれない、と覚悟を問うトールに。 ―――生きて帰りたいところなんて、どこにもない。 カイもそう答えた。 「きみの魔法がどれだけ凄いか、俺には分からないけど。君の死体が晒されるのを見るのは嫌だ」 体中に張り巡らせた力を抜いて、エデは地面に視線を落とす。 「俺たちは、君を皇帝の前まで連れて行けるかもしれない」 おずおずと、エデは視線を持ち上げ、カイを見た。 「力を貸してくれよ」
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「ご気分がすぐれませんか」 先程から咳を繰り返しているフレイヤに、女騎士は声をかけた。 「いや、おそらく疲れただけだろう」 フレイヤの手元には、未だ稚拙ながら一生懸命綴られた手紙が広げられている。 ほとんど共に過ごしたことのない弟は、事情も知らずただ純粋に姉と慕ってくれている。 何の含みもない純粋な魂は、一文字一文字丁寧に綴られる文面から充分に推し量ることができる。 「わたしはひどい姉だな」 自分がしようとしているのは、近頃の出来事などを事細かに書いては送ってくる弟の好意を踏みにじることだ。 「引き返されますか」 答えを承知の上で、ブリュンヒルドはからかうように言った。 微苦笑が返ってくる。フレイヤは首をゆるく横に振った。 「戻りはしないさ。わたしはもう、このためだけに生きているようなものだ」 自分を捨てた、父への復讐のため。それだけに生きているようなものだ。 旗頭として求められることが、心地よくもある。 ここにある意味を常に確かめながらでなければ、守ってゆけない。自分の、作りあげた”かたち”を。 「おまえはわたしを憎んではいないのか?」 まだたどたどしい筆跡を指先でなぞり、フレイヤは真紅の瞳で女騎士を見た。 「憎んだことがまったくないかといえば、嘘になるかもしれません。シアルヴィさまは、わたしのすべてでしたから」 ブリュンヒルドは、なつかしむように目を細める。 「あなたの伯母上―――いいえ、あなたを産んだ母上は、決してあなたを憎んで遠ざけていたわけではありません。弟と通じた罪がおそろしくて、あなたに触れられなかったのですよ。わたしは物心ついたときからシアルヴィさまと共にあって、あの方の一部だった。婚姻もむすんでいないのに子を身ごもった時には、驚き、怒りもわきました。あなたを産んでしばらくして、塔から身を投げられたときには、絶望もした。まだ座ることもできなにあなたに、殺意を覚えたことも、あります」 机のそばに歩み寄るブリュンヒルドを、フレイヤはまぶしそうに見上げた。 「つとめてあなたに近寄らないようにしていました。近づけば、シアルヴィさまを奪われた怒りが噴き出しそうで。いいえ、あの方と過ごした頃のことを思い出すから、辛かったんです。あの方は主というよりもわたしにとって、神のようなものでしたから。けれど、フレイヤ様」 ブリュンヒルドは、机の上に置かれたフレイヤの手に自らのそれを重ねた。 「あなたはわざわざわたしのところに、実の母親のことを聞きにおいでになった。わたしは激情のままにすべてをお話しましたね。あなたが殺したようなものだと。泣いて逃げ帰ると思っていたのに」 ―――それなら、当然なのだな。 まるで重い荷をおろしたかのように、フレイヤはかすかに笑ったのだった。 ―――これは、報いなのか。 代々継がれてきた黒髪を持たないのも、瞳の色が血のように濡れているのも。 男にも女にも、なれずに生まれてきたのも。 罪があるのならば仕方がない、と。 「王城を出られるとき、あなたはわざわざわたしを従者にお選びになった。わたしなら断るとお思いだったのでしょう。ひとりで行く気だったのですね」 フレイヤの端正な顔が、くしゃりと紙を丸めるように歪んだ。笑おうとして、失敗している。 「おまえに、嘘をつくのは無理か」 「憎しみやいとしさなどという言葉ではとても表せない。自分でも、何故あなたの傍にあるのか分からなくなるときがあります。けれどもう無理です。わたしを連れてゆくとおっしゃったあの時、わたしはあなたの一部になったのです」 巧みに剣を操る指先が、フレイヤの白銀の髪を梳くように撫でた。 「今更わたしを遠ざけようとしても、無駄ですよ」 髪を撫でた手で、フレイヤの頭を胸のうちに抱き寄せる。 「共に往きます」 頭の重みを従者に預けて、フレイヤはルビーの双眸を閉ざす。 左胸の奥がやけに熱いのは何故だろう。弟の手紙から手をはなし、フレイヤは左胸に触れた。確かな鼓動とは別に、息づく熱を感じる。 手を伸ばせば届く。そんな場所に、欲しかったものが近づいてきている。 それゆえの高揚だろうか。
自らの生まれた意味を、ずっと考えていた。 どうして皇族に生まれたのか。どうして性別を持たずに生まれたのか。 その意味を。 不義の子として原罪を背負って生まれ、父に疎まれ父を憎み、その憎悪が今、戦を止める手段と重なろうとしている。 今はゆだねるだけだ。 運命だと。
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