mortals note
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「もう終わりにしようじゃないか」 笑いを含ませた声で言って、剣を構え直した。 「”鍵”を渡してもらう」 「自分が何をしようとしているのか、分かっているのか?」 緋のマントを翻し、豪奢な玉座の前に立つ男が、高みからこちらを見下ろしている。 アイスブルーの瞳には、哀れみの色があった。 ハハッ、と軽快な笑い声が自分の口から零れ落ちる。笑ってしまった。あまりに可笑しかったので。 「貴様には宝の持ち腐れだ。あの鍵で何が出来るか知らないのか、獅子王ランスロット? 鍵はただの予言の道具じゃない。手に入れることが出来るんだ。この世のすべてを!」 「身の程を知れ、人は神になることは出来ない」 若くして賢王と讃えられるランスロットは、鞘から白銀に輝く剣を抜き放つ。 どこまでも凛々しく、高潔なその所作に、ひどく残虐な気持ちになった。 貴様は、地獄を知らぬから言えるのだ。光を浴びる人間には、背に出来た影など顧みない。 「なってやるさ!」 咽喉をひらいて、咆哮した。 緋の絨毯が引かれた床を蹴る。玉座へつづく段差を一気に駆け上り、上段から剣を振り下ろした。 武芸に秀でた国王は、当然のように剣を横に構えてそれを受け止め――ようとした。 しかし、数多の修羅場を王と共に駆け抜けたはずの剣は、振り下ろされた得物とぶつかった瞬間、あまりにも容易く真っ二つに折れてしまった。 「な……」 「はは……あはははは!」 楽しくて、気づけば笑っていた。心の底から。体の奥から。あまりにも自然に。 「その猛々しさ獅子の如しと言われたアヴァロン王ランスロットもこの程度か! 脆いものだな!」 手にした得物を突き出し、賢王の左肩を刺し貫く。そのまま、玉座に縫いとめた。 絶叫のような悲鳴が、耳に心地よく届いた。 「貴様、一体……」 痛みに整った顔を歪め、王はうめいた。 刺し貫かれる形で玉座についた王を見下ろし、鼻で笑う。 「私はシン・アバルタ。さあ、お前の鍵も寄越せ」 青い瞳が驚愕に見開かれた。更に心地よくなった。 「まさか他の……鍵も……」 「人は神になれるさ。それを見せて差し上げられないのが残念だが……」 王を貫いた剣を、一気に引き抜く。赤い飛沫が散り、苦悶の声が上がった。 次に狙うのは肩ではない。 血の滴る剣を、再び振り上げた。 首――。 「やめて!」 止めを刺そうとしたところで、背に女の声がかかった。 剣を振り上げたまま、肩越しに振り返る。 若い女が一人、立っている。 「……クリオズナ、やめろ」 荒い呼吸を繰り返しながら、ランスロットがうめいた。 剣を下ろし、女に向き直る。美しい娘だった。 「鍵なら、あげるわ」 震える声が、そう告げた。 緩やかな段差を下る。 怯えながら、それでも凛とした瞳を向けてくる女との、間合いを詰めた。 「そうか。――貴女が」 穏やかな顔で微笑みかけることが出来た。それが彼女には殊更、おそろしく見えたことだろう。 怖じて下がろうとする足を、必死にとどめている。その姿の、何とけなげなことか。 手を伸ばせば触れる位置まで近づいて、恐怖を湛える菫色の瞳を真っ直ぐに見据え、そして。 その体を、剣でためらわずに刺し貫いた。 ずぶりと肉に食い込む感触。更に力を込め、一気に押し込む。 かすれた吐息が、耳のすぐ傍でこぼれた。倒れこんでくる華奢な体を、想い人にするように優しく抱きとめる。 「……ラン……ス、ロット……」 もはや声にならない喘ぎが、主の名を呼ぶ。そのまま、女の体は弛緩した。 「クリオズナ……! き、さま……!」 怨嗟が背にかかった。 差し込んだ剣を一気に抜き取り、もはやモノに成り果てた女の体を床に投げ捨てる。 滴りにぬめる剣の切っ先を、玉座から転がり落ち、必死に立ち上がろうとする王へ向けた。 「次は貴様だ、ランスロット!」
1.
自分の悲鳴で、シンは目を覚ました。 開け放たれた窓辺に寄せた椅子に座ったまま、いつのまにか転寝していたようだった。 窓の下の通りを、子どもたちがじゃれあいながら駆け抜けてゆく。高らかな笑い声を聞きながら、顎に伝い落ちる汗をぬぐった。 またあの夢だ。 汗を拭った掌を、シンは目の前にかざした。 生々しい感触が、まだ残っている。 肉を刺し貫く、あの鈍い感触。 ずっ、と一思いに、力任せに押し込む衝撃。 人を殺す、手触り。 シンは、紫の瞳を眇めて、自分の右掌を見つめた。 「俺がやった……のか?」 掌を、ゆっくりと握り、ひとりごちる。 何度も何度も、繰り返して見る夢だ。 二年前、何者かに暗殺された獅子王ランスロットと、彼の魔術師クリオズナの最期。 自分を知っているなら、ただの夢だと割り切ることもできる。本来、自分を一番理解しているのは、他の誰でもなく自分のはずなのだから。 だが、シンにはそれができない。 自問自答を繰り返して、拳を握るのが精一杯だ。 (俺は人殺しなんかじゃない) 不安を打ち消すように自分に言い聞かせる。何度も、何度も。それでも安心できない。 シンが、自分を”知らない”からだ。
「若、入りますよ」 二度のノックのあとで扉が開き、見慣れた顔が覗いた。 左目に片眼鏡(モノクル)をあてた、黒髪の気弱そうな男だ。ひょろりと背が高く、威厳がない。 「今日のおやつは何にします? お茶を淹れますけ…ど……」 「いい」 最後まで聞かずに、シンは従者の横をすり抜け、廊下へ出る。 「出かけてくる」 「わ、若! お母上から……」 情けなく裏返った声が追いすがった。 立ち止まるつもりなどなかったのに、足が止まってしまった。 鼓動が早まる。母が、何だって? 「お手紙が届いて……」 従者の声は、徐々に細く弱くなり、尻つぼみに消えた。きっ、とシンが肩越しに振り返り、真っ直ぐに従者を睨みつけたからだった。 「……そんなやつ」 震える拳を強く握り、シンはこみ上げる憤りをなんとか押し戻そうと努力した。けれど。 「そんなやつ、どこにいるんだよ!」 咽喉を開いて怒鳴りつけ、シンはもう振り返らなかった。 階段を駆け下りて、屋敷を飛び出した。
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「それで、屋敷を飛び出してきたってわけか」 友人の言葉に、シンはこっくりと首を前に倒す。 「ガキか。お前いくつだよ? フォルバに当たったってしょうがないだろ」 ルーは大げさに頭を抱えて、深々とため息をついた。 「それに、俺はまだ仕事中なんだぜ。居座るつもりなら、とりあえず何か頼めよ」 腰の周りに巻いたエプロンをこれ見よがしに示して、ルーはシンの前にメニューを広げた。 「……どうせ暇なくせに」 差し出されるままにメニューを受け取って、シンは小声でこぼす。 「聞こえてる、っつーの!」 銀色に光るトレイで、頭をしたたかに叩かれた。頭蓋から背骨のあたりまで、びりびりと痺れが伝わる。 「おやっさーん! シン坊ちゃんがお腹が空いたってさ! 更におやさしくも俺に昼飯奢ってくれるって!」 厨房に向かって声を投げて、ルーはシンの向かい側の椅子を引いた。 「お前、なに勝手に……!」 「腹が減ってるからカリカリしてんだよ。とりあえず何か食え」 いきりたって立ち上がりかけたシンの頭を、ルーは上から押さえ込んだ。
「お前、考えすぎなんだよ」 夕暮れ時、ふたりはルーの勤め先である『黄金の林檎亭』をあとにした。 大通りを一本外れた裏路地を、シンの屋敷があるほうへ歩く。 仕事を終えたルーの足取りは軽く、シンはその後ろをとぼとぼとついてゆくばかりだ。 金持ちは庶民に施しをしろ云々と言っておきながら、この男は一度たりともシンに財布を出させたためしがない。今日だってそうだ。奢れ奢れと言うくせに、結局はシンの気づかないうちに支払いを済ませてしまった。 「よく考えてもみろ」 うつむきがちに歩いているシンのところまで戻ってきて、ルーは気安く肩を組んでくる。 「お前のその夢、現実のわけがないだろ。確かに獅子王ランスロットは、二年前に何者かに暗殺された。優れた魔術師だったクリオズナも一緒に、だ。だけど、兵士がうようよいる王宮の中に単身で突っ込んでいって、玉座の間にたどりつけると思うか? お前がだぞ」 シンの顔を間近に覗き込んで、ルーは青い瞳を眇めた。 「それは……そうかもしれないけど」 シンは、肩に絡んだルーの腕を少し強く払いのける。 「俺には、記憶がないから……」 「だったら、元のお前は大罪人かもしれない、ってことか……」 ルーは顎に指先を当て、憂えた表情で声をひそめた。 シンは何も言えずに、石畳に視線を落とす。 くくっ、と自分の真上で、こらえ切れない笑いがこぼれた。 驚いて顔を上げると、すぐ隣でルーが腹を押さえて身をよじっている。 「だ、だめだ、腹いてえ! そんなことあるわけねえだろ!」 「笑い事じゃない! 俺は真剣に悩んで……」 「笑いながら人を殺すなんて、お前にできるわけないだろ」 きっぱりと断言されて、シンは噛み付く勢いを殺がれてしまった。 「分からない、じゃないか。もしかしたら本当は、とんでもなく残酷無比な生きものだったのかも……」 言葉は半ばで途切れた。 ひゅ、と風を切る音と共に、握り拳がシンの顔面を狙って突き出される。 条件反射で、強く目をつぶった。 しかし。 覚悟した痛みも訪れず、シンはおそるおそる目を開く。 「ほらみろ」 目の前で、ルーが拳を広げて、得意そうに笑う。 「記憶がなくったって、体は大体覚えてるもんだって聞くぜ。謀反人の大罪人が、そんな無防備なもんかよ」 「……」 言い返そうとして、シンは口を開く。だが、言葉が出てこない。 「それともお前は、人殺しのほうがいいのか? そうじゃないだろ。お前はただ、昔のことが思い出せなくて、お袋さんが手紙ばっかで会ってもくれなくて、不安なだけなんだよ。フォルバに当り散らすなよ。あいつ、またストレスで寝込むぞ」 「……うん」 「分かればいい」 頭を乱暴に撫でられて、シンは不服だった。また子ども扱いされている。 だが、それも仕方のないことなのかもしれない。 ルーは糧を自分で稼いで生きている。年はふたつほどしか離れていないが、シンとの間には歴然とした経験の差が横たわっているのだ。 子ども扱いするなと噛み付くことこそ、子どもの証明であるような気がして、唇を噛んで堪える。 自分はまだ、飼われているに過ぎない。 対価をもらえる何かを、果たしたことがない。 「……なあ、ルー」 「ん?」 「なんで、世話焼いてくれんの」 「そりゃもう、シン坊ちゃんが偉くなられた暁には、旨い汁をだな……」 「うそつき」 「……まぁ、ヒミツだ」 「卑怯」 「かっこよくねえから、ヒミツ」 「……なんだよ、それ」 ルーが苦笑する。その笑顔が憂いを帯びているように見えて、シンはそれ以上食い下がることが出来なかった。 このやりとり、もう何度目になるだろう。 元々面倒見がいいほうではあるのだろうが、ルーの親切さは少し度を越えている。見返りになるようなものを、シンが与えることは出来ないのに。 「なんだ、騒がしいな」 ルーが顔を上げて、大通りのあるほうを眺めやった。 確かに騒がしい。怒号と、悲鳴――だろうか。近づいてくる。
「退いて!!」 ほぼ直角に、前方の角を小さな影が曲がってきた。 鋭く指図をする声は、高い少女のものだった。 シンは慌てて横に飛びのき、建物の壁にぴたりと張りつく。 「どこまで鬼ごっこするつもり? その小さな体で!」 艶のある女の声が少女を追いかけて、シンの目の前で宙に舞った。 路地を駆け抜けようとする少女の正面に着地し、立ちふさがる。 「今度は逃がさないわよ」 猫科の生きもののようにしなやかな体で追跡者は立ち上がり、腰に片手を当てて少女に向き直った。 体に張り付くような衣服はすべて漆黒。髪と瞳ばかりが禍々しいほどに赤い。 「なんだ、あの腕……」 ぴたりと壁に背をつけたまま、シンは女の右腕を見た。 腰に当てたその腕は、鋼の色をしていた。 退路を塞がれた少女は、唇を噛んで足を止める。 栗色の髪は背に流れるほど長く、体は小柄で華奢だ。その表情は――。 うかがい知ることが出来ない。 少女の目を、黒いバイザーが覆い隠しているからだ。 「さあ」 鋼色に輝く右手は腰に当てたまま、女が左手を少女に差し伸べる。 「鍵を渡してもらいましょうか」 血を塗りたくったように鮮やかな唇をゆるめ、女は微笑した。 「馬ッ鹿じゃないの? 渡すわけない」 素早く少女は背に両手を回し、腰にくくりつけた何かを抜き出した。 片手にひとつずつ、鉛色に輝くその得物の先を、立ちふさがる女に向ける。 「魔法具(メカ)……」 隣に並んだルーが、あえぐように呟いた。 「あの子、魔術師(メカニシャン)か――?」
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