遠雷

bluelotus【MAIL

なぜ。
2004年07月27日(火)

今朝、テレビを見ていたら自殺に関する話題がありました。
あまり突っ込んだ内容ではなく、中途半端だなと思って見ていたのですが、そのなかで自殺者数が交通事故による死者より多いという去年のデータを表示していました。来年に発表される2004年のデータの、何万人分かの一にHが含まれるのかと思うと、またもや苦しくなってきます。

昨年で約34000人だったと思いますが、その人たちが自ら死を選んだことによって、一体何万人の人たちが苦しい思いをしていることでしょう。親兄弟、友人や恋人たち。ある程度の年齢だとしたら結婚していて子供もいるでしょう。そうなると3万人の何倍、何十倍の人たちが喪失感、裏切られた思い、自分が殺したのではという罪の意識、これからの生活の不安などを抱えて日々暮らしていることになります。

死んだらどんなに楽だろう、と私もあれから何度も思いました。でも私には自殺するなどという勇気もなく、そして残されたものの苦しみが誰よりもわかっているはずの身では到底そんなことはできるはずもありません。ただ、駅のホームに立っていると「誰か私の背中を押してくれないだろうか」、道を歩いていれば「通り魔が来たりしないだろうか」とばかり考えていました。

彼は鬱病、というより強迫性障害と診断されていましたので、仕事の不安などから自死を選んだ人からすれば病気だからと思えて楽なのかもしれません。でも、そう思い込もうとしても、やはり「あの時こうしていればまだ今生きていたのに」に戻ってしまいます。最後に電話で話したのは私なのですから。自分の体調が悪かったので部屋に行く予定を翌日に延ばしてしまい、何か言いたそうだったのに電車に乗るからとあまり話もせず、いつもなら様子がおかしいと気になって友達に見に行ってもらったりするのにそんな気も回すこともできず、薬が効いたため電車で熟睡してメールにも気付かず、着いて何度か電話をしたら出なかったのに次の日行くからいいやと思ってしまったのです。後で確認したら、出なかった電話の後に私が送ったメールは未開封のままでした。以前から何度も何度も信号を出していたのに、結局は私もどこか油断していたのでしょう。
さあ、これでも「自分が殺してしまった」と思わないわけありません。

一方で私もHを責める気持ちも、もちろんあります。
私は頭痛もちで、その状態のひどさを彼もわかっているはずなのに。
次の日、仕事の後にも会うけれど朝にも部屋に行くよと言ったのに。
私が預かっていた病院に行く為の診察料を渡す予定だった=明日、病院に行く予定だったのに。
私のことを自分以上好きになる人なんて絶対いないよと何度も言ったのに。
会ってすぐに、「年をとっても一緒にいたいと思った」「縁側でお茶を飲みたい」と言ったのに。
結婚の話が進まないことがプレッシャーならプロポーズはなかったことにして、足下が固まったら改めてと言うことにしてもいいよと言ったら、「それでも結婚したいからそれはしない」と言ったのに。
何より、「何度も首にひもをかけるけど、もし本当に死んでしまったらそれを発見するのは君だから、その時の君のショックを考えると死ねないと思ってやめるんだ」と言ったのに。

「病気だから仕方ない」
わかっているんです。体の病気と同じなんです。
抗癌剤をつかっても、転移のスピードに間に合わなかった、と同じなんです。
でも、それならなんで、もっとちゃんと看病してあげられなかったんだろう。
病気だったとしても…手当てが足りなかったからであって、やっぱり私が殺してしまったんだ。
それとも、本当は私のことなんて大して好きじゃなくて、もしかしたら憎んでいてこんなひどい仕打ちをしたのではないだろうか? ……。
自死ということで、一番大切なはずの「彼の私に対する愛情への確信」、「私の彼に対する愛情」すら揺らいでいってしまうのです。

自死することで自分を殺すだけでなく、周りの人々の人生もまた殺していることを、自死者達は知っているのでしょうか。



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