遠雷

bluelotus【MAIL

一年
2005年06月14日(火)

みんな、この一年どのような思いで過ごしてきたのでしょう。
Hの友達のブログなどでHのいない集まりの記録を見るたび、彼らからも、Hからも、何と大きなものを奪ってしまったのだろうと思います。もちろん、Hの家族たちからも。

確かに居た、存在して笑って泣いていた人がいない。

居ないということを思い知らされたり、居ないことを忘れそうになったり、あまりに生々しくリアルに思い出されたり、ただひたすら私が今ひとりだということやひとりで生きていくかもしれないこれからの人生が悲しかったり、勝手に死んでしまったことが悔しかったり、裏切られたと思ったり、なんで死なせてしまったのだろうと後悔したり、あのときなぜああしなかったのだろうと自分を責めてみたり、私の知らない姿を知ったり、ちょっと立ち直ったり、またぶり返したり、私はそんな一年でした。

私が死ぬなら、今日だと思ってきました。
でも、いま、私はまだ死ねない。ごめんね。死ぬのは怖いんです。私は親を残していけません。彼のように友達が多くないから、私のお葬式は寂しいでしょう。仕事も、今の状態でほったらかしにできない(したいけど)。

昨晩もむこうから来る電車を眺めながら、飛び込むのは簡単だと考えていました。でもできない。たとえ今狂っているのだとしても、私は悲しいくらいに常識的でしかないのでした。


一度、皆といっしょにお参りに行きましたが、また今日もこれから出かけるつもりでいます。お酒は飲まないようにしていたけど、今日は解禁して、飲んできます。

今日の夜書こうかと思っていましたが、出かける前に、この一年の区切りとして、これからの一年へのスタートとして、今これを書いています。
この日が来ることが怖くて、夏が近いことを否定したくて、バカバカしいけれど半袖で外に出ることをしていませんでした。でももう今日は来てしまったし、私はお参りにいくことしかできないのです。半袖は着れないけれど。

いってきます。



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