遠雷

bluelotus【MAIL

ニヤリ
2005年09月23日(金)

今月は月命日に仕事だったためにお彼岸の今日、お参りに行きました。
いつもとおなじように。でも、こんなに人がいっぱいお参りにきているのに驚きつつ。

昨日、久しぶりに会った友人と飲みに行きました。普段ほとんど連絡を取ることもない、小学校で一緒だった友人なのですが、なぜかHに会ったことがあるのです。わたしの友人にはG夫婦以外には紹介していなかったのですけれど、偶然にHとわたしの地元の桜の名所を歩いていたところ、かれこれ3年ぶりくらいにその友人とばったり出会ったのです。お互い彼氏連れでしたので、少々気恥ずかしい思いをしながら少し立ち話をし、数日後飲みに行き彼氏ばなしも含め近況など話したものです。それ以来また2年ほど会っていなかったのですが、先日またもや意外なところでばったり会ったので、せっかくだからとまた飲みに行ったのでした。

もちろん、前回飲んだ時お互いの恋人の話をしていましたから、その話もでました。普段はもう、改めて誰かにHのことを明かすことはほとんどありませんが、唯一と言っていいほどHのことを少しでも見ている彼女には話してみたくなり、話してみました。もちろん彼女は驚き、ひととおりの慰めのことば(言い方は悪いですけれど、さんざん言われ尽くした慰めと同情のことば)をもらいました。

返ってくるであろう言葉は想像できるのですから、そのことばになぐさめを求めている訳ではもちろんありませんし、第一なぐさめてもらいたいわけでもない、ただ、話してみたい。そんな風に思っただけです。できるだけ平静を装って。でも、我ながら、とても冷静に、客観的に。一年ちょっとでそんな風に話せるようになるなんてすごいよと、彼女は何度も言いました。なぜならわたしの口もとは微笑んでいたからです。茶化すかのように。でも、そこで酔っぱらって泣きながら告白するというのは、美しくないと思うのです。重たくなるだけ、悲壮感漂うだけで、私はナルシストになりたくない。ただでさえこのようなことを告白するだけで既に悲劇のヒロインぶりが漂っている可能性があるのですから。

以前、やはりもう一人十年来の友人に自身のつらい状況を明かされたときに、少し話したときもそうでした。わたしは笑っていたのです。半分笑いながら話していました。そして今回もやはり、平然と話そうとは確かに思っていましたが、笑おうと思っていた訳ではないのに、笑っていました。

そんなところまでHに似てきてどうするのでしょう。辛いことや言いにくいこと、本当に苦しいことを告白する時など(そう、ドロドロの状況下でわたしに告白したときもそうでした)は、笑ってしまうのだと、そのことによって変に誤解されてしまうのだとよく言っていました。マネをしているつもりもないのですが、以前のわたしには、このような癖はなかったはずです。それとも接客業ゆえに身に付いてきてしまったのでしょうか。

でも、人前では泣くより笑った方が、きっといいのです。きっと。



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