遠雷

bluelotus【MAIL

オーライ
2006年02月01日(水)

結果は、あまりよくありませんでした。そういう傾向がありますねと言われてしまいました。それが本当に言葉通りの程度なのか、やんわりと表現されているだけのかはわかりませんけれど。

嬉しいような悲しいような気分なのは、Hと同じものを共有できているのだというネガティブな喜びと、単純に困った、どうしたらよいのやらという気持ちがあるから。そして、直ってしまった時のわたしが、「乗り越えた」という形の「忘れた」になってしまわないかという不安と。ただ、我ながらとても冷静です。Hの時からの知識があったことと、それならそれで仕方ないのだという諦めがあるからでしょう。

気持ちや出来事(Hとの、もしくは今後のHとわたしに関する)については今後も少しずつ書いて行きたいと思いますが、できる限りこの病についてはここでは触れないようにするつもりです。それがひとつの結果であり今のわたしの一部であっても、この場所はHとその思い出、これからのHとわたしの事のためのものである限りは、それはあくまでメインではありません。カテゴリがここだとはいえ、病に関することを読みたい方の期待には添えないと思いますので悪しからず。

むしろカテゴリを変更しようかとも考えています。もともとここにしたのは、残されたものの苦しみを少しでも今死を選ぼうとしている人に伝わる手段となるならと考えた事によります。本来は、内容が思い出とHのいない「静かな」日々と思いの記録というつもりで、別のところにするつもりでした。もちろん、内容が苦しい事ばかりということもありますけれど…いま自分がこうなってしまうと、どんどん自虐的になって行ってしまう気がしているのです。どうしたものでしょうか。

もし実際変更する気になったときには、早めにお知らせします。まだ、わかりませんけれど。



BACK   NEXT
目次ページ