遠雷

bluelotus【MAIL

男友達
2006年02月12日(日)

たまにしか会わない、それも誰かと一緒のときにしかあった事のない男友達と二人で会うとなると、躊躇してしまって後ろめたくて仕方ない、わたしがいます。別にどうこうということもなくてただ飲みに行く程度のことなのに、今日も行っていいのかと気持ちが苛まれたまま予定を先延ばしにしてもらったりして、我ながら呆れてしまうのですけれど。

Hとつき合う前から二人で飲みに行ったりしていた男友達と会うときですら、Hのことがあったあとはじめて約束したときは、ものすごく躊躇しました。自分に向かって、自分の心の中のHに向かって、ただ飲みに行くだけだから別になんともないんだからと言い訳をして、後ろめたい気持ちも半分ねじ伏せるようにして。行ってしまえば何という事もなく、Hとつき合ってる期間なんだかんだで連絡とりつつも一度も会わなかったので、少し後ろめたいながらもただ懐かしく楽しく。そうだったことがわかっているのに、やはり、そこまで気心が知れている人なわけでないと、友達であってもやはり気になってしまうのでした。

Hに、上記の飲み友達と二人で飲みに行ったら怒る?と聞いた事がありました。拗ねた顔をして、「行ってもいいし、ダメと言う権利もないんだけど、きっと嫉妬で狂いそうになるよ」そんなことを言った気がします。わたしも、Hで手一杯やら仕事もいろいろ忙しかったので、結局一度もHとつき合っている期間は友達と会う事はありませんでした。そのときのHの言葉があるのが、後ろめたさのひとつめの理由です。

亡くなる少し前に、出張したときに同行していた後輩の男の子と飲みに行った事がありました。仕事後に遅くなったからそのまま食事、というだけだったのですが、普段私の属する職場は男っ気がほとんどなく(その後輩も別の部署)そういうことは今迄(Hとしては)まったくなかったのでした。そして、愚かな事になぜか私はふざけ半分で正直に言ってしまったのです。実際どんな反応をするのだろうと思ってしまったのです。やはり、返って来たメールは、前述のことばとほとんど同じようなことばでした。あわててフォローしたつもりでした。でも、もしかしたら、このことも間接的に死の衝動につながっていたのではないかと、なんにも罪のない後輩を見るたびに頭をよぎってしまうのがもうひとつ。

そして、Hの視線というものを勝手に意識しているということだけでなく、もちろん深層心理では、必要以上に「何かあってはいけない立場なのだから」という自己防衛が働いているのではないだろうかということも、あるのでしょう。自意識過剰なだけかもしれません。でも、たとえそれが1%にも満たない可能性であっても、今のわたしはまだ、危険は危険と思わずにはいられないのでしょう。こうして勝手に自己分析しているくせに、そう思ってしまうということからまだ脱却できていないのです。



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