遠雷

bluelotus【MAIL

1年が終わる
2006年06月29日(木)

祥月命日がある、それだけで6月は6月としての存在意義があり、6月がもう終わるということだけのことが大層重要な、まるで年末のような気分にさせられます。

「今年やり忘れたことはないだろうか」と同じように、「悼む気持ちに漏れは無かっただろうか」と。もちろんそこから2年前のことに飛び、過去がどうにもならないことに悶えています。年末に夏の出来事を悔いても仕方ないように、2年前のことを悔やみ、この2年間のわたしの身の処し方を悔やみ、そして悔やんだところでどうにもなりません。だからといって毎年年賀状を書くのがギリギリになって反省するくせに次の年もできないように、来月からのわたしもきっと来年のわたしから及第点を貰えるわたしではないのでしょう。

今年の祥月命日も終わってしまった、ではなく、また12ヶ月後にやってくるのだから。そう思えるときもあり、思えないときもあり。月命日はもう半月後、と、まずはそれを考えることにします。



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