2004年3月5日(金) 晴れ・・雨
船便を何とか予定どおり出し終えた私は 4月初旬の渡航までの日々をどう過ごしたのか・・・
早いものは忙しいだろうと年末の内に送別会をしていただき 1月には別々の場所で開かれた他県での会にも2度参加した
3月になってからも、諸手続き等の慌しい時間をやりくりして 遠方の友人たちの誘いでかなり遠くまで出かけた いくつの送別会を開いていただいたことか・・・
最後の航空便を出すと言うその前日、夫から電話が入った
「まだ少し後だが 国内に転勤が決まった」・・・
一瞬、硬直したような・・・
「そうなの 急ね」これだけ言って後は夫の話を聞いた
その頃、あの戦争が始まろうとしていた ここに多くは書けないが・・・
私の渡航予定はこの夜、突然消えた
それからはこれまでしてきた全ての手続きを逆に動かなければならなかった
そして私の日用品や洋服たちはと言えば、 航空便に乗せるためのわずかな冬物を除いてみんな 太平洋上を一路U.S.Aに向かって20日間の旅をしていた
それでも私は夫がいる間に一度向こうに行こうとしたのだが・・ 海外事情とこちらでの諸事情が重なり、ぎりぎりの所でこれもまたキャンセルせざるを得なくなった
結局 荷物が戻って来たのは五月も終わる頃・・・ 私はそれまで着たきりすずめ状態・・・ でも、積極的に外に出る気にはなれなかったから さほど困らなかった その頃、ある事務所のお手伝いを頼まれなければ、 そのままずっと家にいたかもしれない
友人や知人たちに連絡するのにもとても勇気がいった 話せば笑い話くらいの内容なのに・・・
そう言えば先日会った友人のひとりはその時まで私が 日本に居ることをしらなかった
こうして私の渡航話は何事もなかったかのように 終止符を打った 帰って来た物の中で未だにどうしても見つける事ができない物が数点ある以外は・・・
以上で私の荷物だけがアメリカに行ったお話はお終い
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