鼠小僧白吉のうだうだ日記

2005年04月26日(火) not me but us

くじけた夢を忘れたふりして
何にもなかったように笑いながら
今夜あなたは打ち明けるだろう
新しい未来語りはじめるだろう
それでも愛していると答える私の唇に似合うルージュの色は何?

(「HOPE」)
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ライブにも季節があるのだろうか。どうも冬の間はライブに行く気にあまりならないけれど、暖かくなるとあれも行きたい、これも行きたい、そんな気分になってしまう。今度ゴールデンウィークの最終日にはチック・コリアのライブを聞きに行くし、その後もいろいろ予定はつまっている。いよいよ季節到来か。

4月23日土曜、ここのところ春のライブとしておいら的には恒例になっている篠原美也子のライブに行ってきた。

この人を知ってまだ3年くらいしか経っていない。しかしこの3年、おいらはこの人の詩の世界にかなりひきこまれてしまっている。

弱いものにがんばれというのは簡単だ。だからこの世の中には、簡単に僕らをはげましてくれる歌があちらちらではやっている。でも弱いことを弱いとはっきり言うのは難しい。篠原美也子の歌は弱いことを弱いと言ったうえで、それでも何とかしたい。そんなスタンスで歌っている歌が多いのだ。

ライブ中盤で「秒針のビート」という歌が流れた。

選ぼうとしなければもっとずっと人生はたやすい
望んだりしなければきっとずっと人生はやさしい
思っているよりもずっとずっと人生は短い
遅すぎるかもしれない だけど顔を上げて

誇り高くありたいと願えば日々はあまりにせつない
勝ち負けで決まるならきっとずっと人生はたやすい
動機を見失ったまま過ごす日々は何てはかない
遅すぎるかもしれない
だけどこんなところで待っているよりは


そう、この世の中を軽く生きて行こうとすればいがいとたやすく世の中は渡っていける。そのことを僕らはよくわかっている。でも……その「でも」があるからいろいろと僕らは思い悩むのだ。

ライブ中のMCで篠原美也子がこんなことを言っていた。
「毎年言っているけど、君たち、こんな時代に篠原美也子ですか」

思わずクスリとしてしまった。ええ、篠原美也子なんでよ。今、おいらの心に響いているのは。

遅すぎるかもしれない だけどこんなところで待っているよりは

弱さを認める、その時点でもう後ろ向きなのかもしれない。マイナス思考なのかも知れない。でもそれでいいのだ。そうそう強いばかりの人はいない。おいらも弱さを持って生きている。でも……この「でも」があるから僕らは何かをやっていこうと思うのだから。

そう考えた時、篠原美也子の歌ほど、「応援ソング」になる歌はないのだ。
秒針のビートの2番の歌詞。

光の先に闇が見えたらそれを勇気と呼んでいいのかもしれない

闇の先の光ではない。闇を見据えること、それが篠原美也子の詩の世界では勇気なのだ。
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篠原美也子の今回のライブ、そして新しく出したアルバムのテーマは「愛」だそうだ。冒頭に出した詩は、ライブでも歌いCDにも入っている曲。別の道を選ぶ、その決断は英断なのか、無念の果てなのか。「それでも愛していると答える」いかにも篠原美也子らしい恋愛ソングではないか。
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先ほど引用したMC。篠原美也子はこんなことを言っていた。
「でもいつか、<ああ、篠原美也子。オレ前から知ってるよ>って君たちが言えるように……」
これが篠原美也子の「でも」なのかもしれない。これがあるから篠原美也子はあれだけすばらしい詩を送り出してくれてるのかも知れない。
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春、勝手にだけど、おいらの中ではライブの季節。春、新しい始まりの季節。そんな日々にねーさんの歌を聴けたことに感謝。










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