書泉シランデの日記

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METはずれ
2006年06月23日(金)

METの『ドン・ジョヴァンニ』見てきました。
はずれだったな、大枚はたいたけど、はずれははずれ。
『椿姫』にしておいたほうが無難だったかも。(ドミンゴ爺嫌いだから、『ワルキューレ』の線はない。)

出演者みなさん立派な声をお持ちで、しかも容色も整った方ばかり。ああ、それなのに、それなのに、感動がない!不思議なはずれ方でありました。

パーペのレポレッロに興味があったんだけれど、そもそもパーペの存在自体に滑稽味がないから、やっぱり×。あんな偉丈夫な従者がおりますかいな。マゼットやったレナウ君と代わったほうがいいわ。パーペがフィガロをやるのはまだわかる。フィガロは知恵者である。が、レポレッロは従者らしい素朴な従者であるから、パーペの演技力では追いつかない。

ツェッリーナのコジェナーは芝居も歌もうまくて、彼女とマゼットのからみはなかなか楽しめた。

でもねえ、ネトレプコ(ドンナ・アンナ)とかディーナー(ドンナ・エルヴィーラ)がも一つドラマを作り出せないような気がして、なんでだろうな、と思いながら、冷房のきつさばかりが気になってきて、カーテンコールもそこそこに退却。

以前、グルベローヴァのドンナ・アンナを聞いたときには、『ドン・ジョヴァンニ』はドンナ・アンナのドラマだ、といいたいくらいの感動があったし、去年のモネ劇場のときは、深情けのドンナ・エルヴィーラがしみじみ女を感じさせたものだ。ところが今日は強力な女性陣にもかかわらず何にもなし。

テノール(ポレンザーニ)はきれいなアリアを高らかに歌い上げたものの、それがなんでぇ、という程度の気持ちにしかなれなかった。

それぞれの歌声やオケの音楽がすべて有機的にからみあって、『ドン・ジョヴァンニ』の解釈を提示する、という点で、このプロダクションは少々とろいんだと思う。まあ、全体としていうなれば、大味のアメリカ料理を食べたあとに似ているかな。素材の一つ一つはいいのに、って。



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