書泉シランデの日記

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緑豊かな街
2006年06月30日(金)

かの三波春夫センセーの ♪1970年のこんにちは〜 からすでに36年。
36年ぶりに大阪は千里に行きました。

大体、大阪自体10年ぶりくらいです。
そのときは、大阪城と陶磁器美術館に行ったっけ、とまあ記憶もおぼろ。

この頃、<大阪のおばちゃん>が時々話題になります。たとえば駐車禁止の場所に止めて逆切れをする、とか、はたまた、バッグの中に飴を常備していて電車の隣の席の人にまで「飴ちゃん、いかが」と勧めるとか。

そんな<大阪らしさ>に少し期待して、梅田から千里に向かう電車に乗りました。ところが、それはあまりにも普通の電車でした。大阪弁が飛び交うわけでもないし、窓の外に見えるのはコジマ電機だったり、百均のダイソーだったりするし、吊り広告にもローカル色が乏しくて、ちょっとぼんやりすると大阪なのか東京の多摩あたりなのか、ほとんど違いが感じられません。

千里中央からバスに乗り換えて、これで少しはローカルっぽいかな、と思っても、まるっきり普通の郊外。広い幹線道路に整備された緑地で、多摩でも千葉でも筑波でも名古屋あたりでも、たぶんどことでも交換可能。

・・・こういうのが20世紀の開発スタイルだったんですね。

緑豊かな街は人々の憧れだけれど、人工的に整備された緑はその土地の個性を持たない、画一的な緑。人の暮らしの邪魔にならないお行儀のいい緑。

車窓からちらりと見えたかの「太陽の塔」は終わってしまった熱狂イベントの断片。塔の下まで行けば、あのイベントがこの土地に残したものが芽吹いて何か新たなものを生み出していることがわかるのでしょうか。

梅雨の晴れ間の緑は確かにきれいなのですが、緑豊かな街ってつまりこれだけのことなの、と「?」が頭にぺったり張り付いてしまいました。

たとえ<大阪のおばちゃん>がカリカチャライズされた虚像であったとしても、そういう個性の強いものを生み出す力がある土地って半端じゃありません。ところがそんな土地と隣あわせでありながら、どことはなしに脆弱さだけを感じる緑豊かな千里の街でした。20世紀の開発って結局そんなもんなんでしょうかね。



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