ポチの性格:
・短気でキレやすい。 ・几帳面で整理整頓、お掃除がダイスキ。 ・ゲームをこころの底から愛している。 ・不都合なことや自分がわからないことを聴かれると、キレる。 ・基本的に依存体質 ・気に入らないことは、まるで重箱のを隅を針でつつくようにして攻撃する。 ・外面がいい。 ・家事は進んでやる。 ・いってはいけない、最後のトドメを平気でいう。
上記にプラス(なんだかボロクソなのは気のせい)、前回お話したがポチは「NO」となかなか言えない人間なのだが、今日はそのことと、あひるとポチのこれまでの経緯について書こうと思う。
ポチはなぜ否定的なことばを嫌うのか、その理由は、以前付き合っていた彼女にある。
その女性は不倫していたのだが、モメていたらしく、その助けをポチへと求め不倫に終止符を打つべくしていたそうなのだが、結局は影でこそこそと不倫相手と関係を持っていたらしい。
すったもんだの末、ふたりの密会に乗り込んだポチ。 逆切れされた彼女に、
「あんたなんかなにもできないくせに」
とかなんとか、そんなような否定的なことばを散々吐きすてられたことが、あり、結局そのまま彼女と別れたそうだ。
その際に彼女からいわれたことばが、彼のトラウマになった。 ポチはそう自覚している。
それ以来、否定的なことばにかなーり敏感になっている。 なにかの話をしている際にそんなようなことばがでようものなら、即座に
ブチ。
と、キレてしまうのだ。
そうなってしまえば、あとのまつり。
大声でわめきちらす。 わけのわからないことを叫ぶ。 モノを破壊する。
という、なんとも凄まじい光景が。あああああ(TT
普通のヒトだったらこういうときどんな対応をするのだろう。 ちなみに前の奥さんは平然としていたそうな。 逃げ場のない1DKでよくできたな。素直に尊敬する。ブラボー。
だがわたしは違ったのだ。
頭が真っ白になり、 動悸が激しくなり、 ことばを失い、 判断力を失い、
ただただ、怯えることしかできなかった。
はじめてのパニック発作は、そんな感じで発生した。 わけがわからず、わたしはひたすら耐えることしかできなかった。
しばらくすると動悸は治まり、呼吸も楽になった。
ポチと付き合い出してから、不眠に悩まされたが、それは同居していた猫が原因だと思っていた。 1DKの空間、狭い6畳間に猫の巨大なケージ(W90.6×D61.8×H114.2cm)、パソコン用デスク、コンポ、テーブル、棚があり、その隙間にひとり用の布団を敷いてふたりで寝ていたのだ。 ポチと前妻さんは平気だったらしい。
だが、あひるは平気じゃないんだよ!!(怒
猫は夜行性だから夜になると鳴くし、走り回る。 わたしは自宅が食品関係の自営のため、動物と生活した経験はなかった。 だから堪ったモンじゃない。
そのころ仕事は目が回るほど忙しく(@@、ポチの家にいくとポチはその頃非常に不安定で(別居中の前妻にストカまがいなことをされていたので)、たびたび喧嘩をし、そのたびにあひるはパニック発作を起こし、電車がなくなって帰れないときはポチの家に泊まっていたので、猫のせいで安眠できなかった。
おかしくならないほうがオカシイ。
このころ偏頭痛や肩こりに悩まされるようになり、耳鳴りがひどくてほとんど耳が聞こえない状態になったり、たびたび口唇炎に襲われた。
とくに困ったのは耳鳴りで、電話でお客様と話す際に相手の声がまったく聞こえなくなってしまったことで、すぐに病院にいったが、「原因不明」と診断され薬はビタミン剤をもらっただけだった。
仕事ではリーダーに相談し(相談するのも大変だった;;)、なるべく電話で話すのではなくメールでやり取りをするようにして、どうしてもというときにはリーダーが対応してくれた。
この耳鳴りは2週間ほどでだんだん消えていき、自然に治癒していったのだが、口唇炎はビックリした。 だって、
「なんか唇痛いなー」
なんて思いながら仕事をしていて、ふとトイレの鏡を覗いてみると、なんとそこには。
唇が晴れ上がったあひるの姿が映っていたのだ。
ぎょぎょぎょ。
よく見ると腫れ上がったその唇には、ちいさなポツポツとした水泡があるではないか!!!!
なんじゃこりゃ、って隣のスーパーにある薬局屋に駆け込んだ。 店員であるオバサンは、わたしの様子をみて静かに「モアリップ」という薬を薦めてくれ、それを迷わず購入した。 その際、そのオバサンは、
「アナタ、疲れているのねぇ。。。。。。。」
と気の毒そうにそういっていたのを、いまでも覚えている。 そんなにひどいカオをしていたのか、鏡でマジマジと自分の顔を見た。 その当時24歳という年齢にはふさわしくなく、目の下には寝不足のためクマと皺(!!)ができ、顔は青白くてストレスでドカ食いしていたたため、肌は吹き出物でいっぱい、身体の肉はパンパンだった。
ちなみにポチの身体の肉もパンパンだった。 わたしがストレス太りしているとき、ポチもポチのあひるの知らないストレスと戦っていたのだろう。
ポチもあひるもストレスには弱い体質らしい。
とまあ、そんなことはさておき。 ポチは「NO」といえない体質のため、自分の不満をなかなかうまく表現できない。 自分の意思表示がうまくできないため、「べつにいいよ」ですませてしまうのだ。 それが積み重なったとき、とある瞬間にブチ切れてしまう。 そのタイミングを計るのは非常に難しい。 こちらとしては、なんでもないことをきっかけにしてとんでもなく怒り出し大声を上げられるので、理解できず、またそのたびに発作に襲われた。
そのきっかけというのは、
用意したシチューの具のにんじんが「星型」だった。 風呂の入浴剤が変わった。
なんていう、とんでもなくツマラナイことが原因で、当時あひるはポチの機嫌を損ねないようにしようと、まさに導火線の上をびくびく歩くような生活をしていた。ポチの顔色を伺うようなそんなあひるの姿に、ポチは余計イライラしたらしい。
あひるはといえば、もう疲れ果てて自分の家に帰っては滾々と眠り、また家では同居していた兄の奥さんと折り合いがあわずにイライラし、生まれたばかりの甥っ子の金切り声に休まる間もなかった。
そんなあひるが、なぜストレスの塊のような当時のポチから離れなかったのか。それは一重にポチのその気質こそが、あひるの父親がそっくりだったため、その呪縛から逃れるという選択肢が存在しなかったのだと思う。
暴力を受けた子供は、同じように暴力をふるう男を選んでしまう。
そんな連鎖的なものだったと思う。
ポチはあひるに向かって手を上げたことは一度もないが、言葉と精神的な苦痛は結構なものだった。
あひるの父親は、あひるが小学校を卒業してから手を上げられたことはないが、言葉と精神的な暴力はたびたびあり、常に仕事でイライラしていた父(困ったことに自営なので自宅に24時間いる)のいる自宅は、まさに導火線の上の日常だった。(ちなみに12歳まで、あひるは父親にたびたび暴力を受けていた)
ひとり暮らしをどうしても許してもらえなかったため、ずっと自宅にいたが、20歳を過ぎたころから父親とのトラブルもなくなり、働き始めてしばし安定していたところへ、年少のころの恐怖が再びポチによってよみがえった。
ポチの導火線を、当時どうやってかいくぐってきたのか、わたしは何度もショック状態になり、耳を塞いで泣いていたことが多かったような気がする。
まあ、そんなポチも前妻との離婚が正式に成立したころで、じょじょに安定と取り戻していった。
仕事も変わり、収入も増えて生活に余裕もできたところに、こころにも安定してきたようで、以前のように頻繁にブチキレることは少なくなった。ちなみに新居は広くて綺麗な2DKだ。猫とふたり(?)、そして週末になると、あひるはポチのところに泊まりにいく、という生活パターンになり。 あひるは、部署移動になりポチのいる会社からあらたに別の会社へと移り、このときにかなり環境の変化が起こったのだ。
しかし2DKになったとはいえ、猫が夜鳴かなくなったわけではない。自宅では生活習慣の違う家の人間たちの動く音、声に悩まされていた。(このときは神経過敏になっていた)
だがそのなかで、あひるの職場が移動したことは、あひる自身の負担を軽減させてくれた唯一のものだった。
あひるとポチは職場で知り合ったので、モト同僚でありなのだが、この業界はほかの職種より極端に女性がいなかったりする。しかも広いビルのワンフロアに二十代の女性はあひるしかいなかった。 そのため、周囲からは珍しがられてよく声をかけらえたものだ。 相手の男性からしてみればそれはなんでもないことなのだが、ポチにとってはイライラのネタにしかならなかったようだ。
そのため、その件でもポチとはよくモメた。
まさにモメるネタにつきないカップルだったのだが、相手はあひるとポチの関係は知らないし、ポチはそのころは立派な既婚者だったので周囲には内緒にしていたのだ。
ポチと共有の時間が減る。 仕事上ポチとの共通点が減る。 仕事帰りにポチのところにいかなくなる(場所的にむり)
ヒャッホー(嬉
こんなにうれしいことはない。 ポチとの時間が共有の時間が減るということは、自分の時間が持てるようになるということだし、仕事中ポチの視線を気にしなくてすむ。 終電にも乗り損ねるような職場から、仕事帰りの平日に自分の時間を持てるようなる。
これだけが救い(T_T
実際そのとおりになり、自分の時間が持てるようになったわたしの最初の行動は、
心療内科受診
だった。
このときにあひるは初めて「心療内科」を受診することになった。
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