『庭の話』

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じっちゃん。



★キクザキイチゲピンチ、増えるムスカリ。


Y田のじっちゃんは 今、我が家にある樹の幾つかと、もうとっくに枯らして
しまった、数限りない鉢植えを持って来てくれた植木屋さんだ。
じっちゃんと付き合いがあったのは私ではなく私の母で、庭も今の家の庭では
なく、以前に住んでいた 日当たりは今ほどではないが何しろ風が無くツツジや
サツキ類に向いていた庭だ。
その頃の私は、庭には全く関心が無かった。

じっちゃんは自転車に乗って、鉢植えを幾つか持ってやって来る。
鉢はほとんどがアザレアで、華やかだが長持ちさせるとなると微妙な物だ。
母は枯れたら「はっはっは。枯れた」などと言って捨てていた。
無料じゃないのである。一応 買っているのだ。勿体無い。
何年も何年も、じっちゃんは家に自転車で来ていた。
冬囲いもじっちゃん頼みだ。当時は70代の初めだったと思う。

じっちゃんは実は大変な土地持ちだった。今は住宅地として開けている場所に
何とも贅沢なイチゴ畑なんかを作っていた。一度母が植木を見に訪れた際
私はイチゴ畑に野放しにして貰った事がある。「好きなだけ食ってけ」
イチゴは大好物。じっちゃんのイチゴは甘く、香りが良かった。
食べて食べて食べたのだが、20を幾つも過ぎた娘がイチゴ畑に座り込み
貪り食っている姿に、気が付くと思わずじっちゃんが側で 考え込んだような
顔で苦笑していた。

時折、沢山の切花を抱えてやって来る。これは無料なのだ。
言って見ればサービス。だが私にはプレゼントに思えて仕方なかった。
じっちゃんは母の事が好きであったのではないかと思うのだ。

その頃、うちには私の祖母も暮らしていた。女三代おそろしや。
私なんぞは小娘だったが、じっちゃんの年齢は母より祖母に近かった。
だが、未亡人である祖母とは相性がそれほど良くない。祖母が庭に出ていても
話もしないし、祖母も「あのじいさん」などと言う。自分の方が年上なのに。
私は母が居ない時じっちゃんが来ると困ってしまって「今、母はいません」
などと小学生の様な応対をする。じっちゃんは自転車で帰って行く。

鉢植えを買っては枯らし買っては枯らししている母に ある時じっちゃんが
「これじゃ、毎度押し売りに来ているみたいだなあ」
と言って笑った。母は「綺麗なのを楽しんだら、あとは枯れてもいいの」
などと恐ろしい事を言う。それは今も変わってないので、うちでは殆どが
宿根草だ。自然に枯れて、季節になればまた咲く花。

ある時からじっちゃんの自転車が間遠くなり、そしてぱったりと来なくなった。
何かあったと 母は言っている。最後に訪ねて来た彼の態度に感じる所があった
らしい。様子が変だったと言うのだ。
「オレももうこの仕事もきつくなって来たから」
そんな言葉を残して行ったと言うのだ。

母は珍しい事に、じっちゃんの家まで訪ねて行った。そして奥様から彼が
もう長くない事を聞かされて来た。
「お見舞いに行かないの?」
「何で私が来るんだろうって事になるでしょう」
じっちゃんに病気の事は知らされていなかった。

やがて奥様から丁寧な挨拶状を頂く、じっちゃんは亡くなった。
母は一度だけお参りに行った。

じっちゃんの住んでいた土地は、おそらくは息子達に切り分けられ、土地会社
に売られ、新興住宅地になっている。イチゴ畑は跡形も無い。
じっちゃんが今も自転車でうちまで通ってきてくれたなら
「アザレアは要らない。来年も咲く、庭に植えられる花を頂戴」
と私が言うのに。花束は相変わらず母宛かも知れないが、とにかくそう
言うのになあ。

じっちゃんが「売りたくなかった」とまで言っていた お気に入りのモミジは
引越しで根付かず駄目になった。まるで思い出を他所へ持って行くのを拒む
かのようだった。






管理人 焙煎 |午後からガーデン