綿霧岩
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「あ」という言葉を目と耳でおもいうかべた時に、私に浮かぶものは、こちらに向かって口を大きく開けている人の顔です。 「あ」はそれを使う者自身を開くようです。 大きく咲き開いた花のようにも見えますね。 「あ」を向けられたこちらは、花に向かう蜂のように、その中へダイブしていけるような、母性のような女性的な、あたかも聖母を前にしたかのような、許されている感覚さえ覚えます。
「あ」から始まる言葉は何があるでしょう。 「あい」「あじ」「あたま」「あんこ」「あつい」「あめ」「あり」「あき」「あきる」「あきらめる」「あっぱく」「あんず」「あし」「あきなう」「あまがさき」 などなど、今一つ統一感はありません。 しかしどの言葉も、一番始まりに「あ」があって、その始まりの「あ」を言われたその瞬間は、私はこちらに向かって堂々と力強く、開かれている感触を覚えます。 その次からの展開がどうであれ。
そう、「あ」は何だか堂々としているのです。 押しが強いと言ってもいいです。
例えば、「ああ。」とため息交じりに、またはそれを越えて悲嘆にくれた調子で、「ああ!」と叫ぶ人がいたとして、 やはり、それは堂々と世界に対して開いていると感じます。 開きなおっていると言っても良いかもしれません。 余談ですが、落ち込んだ時は、「ああ」と声に出してしまえば、もうこちらのものなのかもしれません。 少なくともその「ああ」は自身を開くことでしょう。 あっけらかんと。
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