極彩色、無色
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2005年04月04日(月)
今日だけは、ちょっと……
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今日、教習所で(今、通っているのです)応急救護をやりました。
『事故の時には積極的に協力しましょう』と言われました。
それでも、実際に事故が起こった場合に、本当に助けてくれる人は何人いますか?
道路で、横たわっていた母を轢いた人が、止血をしていてくれたら?
轢いてしまう前に、母がいることに気付いていたら?
もっと早く、現場に救急車が着いていたら?
母は、少なくとも生きていたかもしれない。
障害が残ったかもしれない。
下半身麻痺とか、植物人間とか、一生寝たきりの生活だったかもしれない。
それでも、生きていてくれた方が良かったな。
寝たきりでも、そこに居てくれるわけで。
触ろうと手を伸ばせば、確実に温かい皮膚に触れることができるわけで。
胸が上下して、ちゃんと息をしているとわかるわけで。
ちゃんと生きて、ここにいてくれるって確認できるわけで。
やっぱり、”生きていること”と”死んでいること”の間には大きな大きな溝がある。
死んでしまってからでは、見ることも、喋ることも、触ることも、呼吸音を聞くこともできない。
何も、できない。
いつも家事で荒れてたけど、体温は高くて、冬でも冷え性とは無縁で、ぽかぽかあったかい手だった。
小さい時は出掛ける時はいつも手を繋いでた。兄が羨ましがるくらい、私は母の手を独占してた。
感触だけははっきり覚えてるのに、もう触ることはできない。
名前を呼ばれると、それだけで機嫌の良し悪しがわかった。独特の節をつけて呼ぶ時は、とても機嫌がいい時。
もう1回呼んで欲しいけど、何も聞こえない。
小さい時は、家族で遠出する時はいつも車。父が運転、兄が助手席。私と母で後部に座って、眠くなるといつも母に膝枕をしてもらって眠った。
布団で一人で寝るより寝心地が良くて、私はいつだって車の中では眠ってた。
さすがに最近では膝枕なんてしてもらわなかったけど、隠し撮りされてた小さい時の写真を見ればわかる。
どれだけ安心しきって寝てたか。
どれだけ気持ちよかったか。
なんでこんな写真があるんだ?って最初は思ったけど、今は撮ってくれたことに感謝してます。
私ってこんなに幸せだったんだ。
実感するのは過去の幸せばかりだけど、それでも嬉しい。
何度だって言おう。
何度でも願うよ。
お母さん、帰ってきてよ。
もう会えないなんて。
二度と会えないなんて嘘でしょ?
母親のくせにひどいよ。
こんなに泣かせないでよ。
ごめんね。
お母さんだって辛いよね。
それなのに、今でもお母さんに甘えてるなんて、ダメな娘だ。
わかってるよ。
もっとちゃんとしなきゃね。
もう二十歳なのにね。
お父さんは溜息が増えました。
最近は『疲れるなー』ってのが口癖になってます。
お兄ちゃんはよくお母さんの遺影に話しかけてるんだよ。聞こえてる?
私が作って、お供えしてるご飯はおいしいですか?
まだレパートリーが少ないし、包丁の使い方も下手だし、味付けもお母さんのようにはいかないけど、いつか”お袋の味”になるといいな。
もう四十九日も終わっちゃって、天国にいっちゃった?
この世にいるうちは成仏できてないってことなのはわかってるけど、
もうちょっと、近くで見守ってて下さい。
ダメダメな家族を、笑って見ててやってください。
なんでだろうか。
大丈夫な時は全然大丈夫なのに、ダメな時は本当にダメだ。
何を見ても、何を考えてても、結局はお母さんのことに行き着いてしまうよ。
明日はちゃんと元気で生きなきゃね。
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